脳内辞典



【闇】
21



「モンスターの目撃情報?」

初めて聞いた事だ。ふうん、なんて思って俺は首を傾げた。物騒な世の中だなぁ。

人生の競争に負けて就職浪人になって、コンビニバイトを五年間。店長に匹敵するスキルを身につけたものの、正社員になれないから辞めた。そんな俺を拾ってくれたのがここ、「WE HAPPY RESTAURANT」で。面接受けたら即日採用、しかも社員の募集だったのに気付いたら店長になっててやったね!って感じ。意外と給料が多いのも助かっている。何とびっくり、賄いまで出るんだ。俺は絶対に食わないけど。

ゼネラルマネージャーが額に手を当てる。彼女もなかなか美人だけど、俺は実を言うと秘書さんの方が好みだ。主に顔と胸が。

「ええ、地元の警察がしつこく尋ねてくるの、「行方不明」とか「モンスター目撃」とかね」

「ははは」

二人で顔を見合わせて声を上げて笑い合う。一瞬間が空いて、俺は思わず真顔になってしまった。

「それうちじゃないですか」

「えぇまぁうちだけど」

面倒よね。と金髪が揺れる。そう、我らがレストランはお客様に幸せを提供するお店。まぁその幸せというのもマネージャーが瞳孔かっ開いて焦点の合ってない目で見てる幸せなのでお察しだけど。

例えば俺が店長になる前からの常連らしいお客さんはレジに来るたびに顔色が変わっているので「いつもの」って言われても「はあ」と思ってしまうし、ピザから生えた触手が会計が終わって席に運ばれるまでの間俺に「じゃあね」みたいに手を振ってくることもある。俺がおさらばしてしまったのはハッピーなピザではなくて多分平穏な日常生活なんじゃないかな。

「っていうか、こういうクレーム対応って俺らじゃなくてマネージャーの仕事じゃないんですか?」

ごもっともな意見を彼女にぶつける。責任者と言ったら店長の俺よりマネージャーの方が上の立場だし、職務怠慢じゃないけど警察だって一番上が出てきたほうがいいんじゃないかと思うんだが。そう言ってマネージャーの部屋の方を親指で差すと、ゼネラルマネージャーはゆっくりと目を伏せて、俺の胸にクレームをまとめたらしい紙束を押し付けた。

「あら、ありがとう、さすが店長は気が利くわ」

「会話が成立してない自覚あります?」

お前も何か食ったんか?と正面切って聞いてしまいたかったが、相手は一応先輩なのでぐっと飲み込んで紙束を受け取る。というか建物の中を少し歩いたらマネージャーの部屋なんだから自分で行ってすぐ資料押し付けて帰ってくればいいものを。踵を返してものの三十秒もしないうちにその部屋に辿り着いた。

「マネージャー…?失礼しまーす…いないな」

五回くらいノックをして、返事がないので扉を開けた。電気も消えているし、どうやら席を外しているようだ。ならもう勝手にデスクに置いてさっさと退散しよう。と思って電気をつけたら、マネージャーのデスクの横に何やら液体が溢れているのが見えた。

「…水銀シェイク?」

もしかして水銀シェイクを溢してしまって拭くものを探しに部屋の外に行ったのだろうか。と思い至る。まったく、仕方のない人だ。殺風景な部屋にはティッシュの一つも置いてない。確かに生活能力低そうな見た目をしている人だけれど。

「やあ、おつかれ!」

「ハァイッ!!!?」

耳元で大きな声を出されて、奇声を上げてしまう。振り向くと、ポッカリと穴の空いたような黒目二つと視線がかち合った。電気を付けておいて良かったと思う。ついてなかったら俺は恐怖で死んでた。

「何か用かな?」

「えっ、あ…あぁ!これ、ゼネラルマネジャーからお届け物です!何らかの資料です!」

書類を差し出すと、ふうん、と不思議そうにしたマネージャー。ざっと一番上の文だけ目を通して内容を把握したらしく、顔を上げて言った。

「ありがとう!出来たら今度からなんの資料かの情報も言えるようにしておいてね!」

その顔でまともな事を言うんじゃねぇよ、と思う。というか寧ろ、次ヘマしやがったらお前もどぎつい変異させてやろうか、みたいな脅しにも聞こえた。せめて感情がわかる表情づくりを心掛けて頂きたい。へらっと笑って誤魔化した俺に二度ほど瞬きをしたマネージャーは、俺の背後の液体を一瞥して口角だけを上げた。

「丁度いい、紹介しよう、前任の店長で私の恋人のナマエです」

え、と思って振り向くと、こぼれていた青い液体がもに、も盛り上がった。思わず白目を向きそうなほど驚いた俺を他所に、ぷるん、と波打った水銀シェイク、もとい青い水溜り。なるほど、人だったのか。おそらく変異を重ねた身体なのだろう。気の毒に、と思った瞬間、マネージャーの恋人だというその水溜りに話し掛けようと屈んだ俺のおでこすれすれに腕が伸びてきた。

「こんな格好ですみません、よろしくお願いします」

喋った。青い水溜りから、人間の腕が生えている。ひぇ、とおかしな空気の抜け方をした喉を叱咤して、何とか俺もその手をとった。握手だ。温かい手は、やはり人間の温度。色だって恐らくアジア人の肌色だ。さっきまで余すところ無く青のゲル状の物体だったくせに。突然ヌルっと腕が生えた。こんな格好も何もねぇだろうアンタの場合もはやそれが全てだと思うが、角が立たないように何も言わないでおく。俺はいつからこんなに汚れたおとなになっちまったんだろう。

「あっ…ナマエさん…?よ、ろしくお願いします…」

「分からないことがあったら聞いてくださいね!お役に立てる事もあると思うので!」

やっぱり喋った。聞き間違いじゃなかった。ハキハキした好青年、という印象の声。けれど顔がどこにもないのだから、一体どこから声が出ているのだろうか。生えた腕が元気よくびし、と親指を立てた。

「あっ…ありがとうございます、ぜひ…じゃあ俺は仕事がまだ残ってるので、これでぇ…」

へへ、と笑いながら、後退って、彼らに背を向けて早足でその場を去る。ちら、と後ろを振り返ると、いつもの笑顔で俺を見送るマネージャーの横、青い水溜りから男の腕がにょっきりと生えてこちらに向かってフレンドリーにバイバイしている。俺はそっと会釈をして、恐々とした思いで前に向き直った。給料良いので仕事は続ける。けれど、絶対に賄いだけは食わない。例え幾らキャッシュを積まれたって、絶対に。







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