脳内辞典



【見栄】
19



「つ、付き合ってねーよ!誰がこんな奴と…!」

キバナが耳を真っ赤にして怒鳴り散らした。握り締めた小さな拳が震えている。その必死な様相にけらけらと僕達を取り囲む同級生の男児たちから笑い声が上がって、僕はあーあって肩を竦めた。彼らが笑っているだろうキバナの必死な顔は僕からは見えない。

僕とキバナは幼馴染だ。生まれた時から一生、家も、何なら保育器も隣。家族ぐるみで仲のいい僕達は双子の兄弟みたいに毎日くっついて暮らしていた。それはスクールに通い始めてからもそうだった。僕達はそれに疑問を感じた事はないんだけど、周りから見たら少しおかしいらしい。主に距離感が。

「キバナとナマエ、近過ぎじゃね?男同士なのに」

放課後、クラスの友人達にそう声を掛けられる。日直の仕事である日誌を書いていたところ、僕が座っていた横に椅子を引っ張ってきたキバナが二の腕と太腿が触れるほど近くに座った。のを見止めたマセガキの台詞だった。スクールに七歳で入学して数年来の気のいい同級生達ではあるが、こういう時は少しだけ面倒くさい。

「そうか?いつもこんなんだけど」

「まあそうだけど…」

俯いて黙り込んだキバナの代わりに僕が質疑応答する。兄弟同然で育ったし、キバナの甘え癖も相まって僕としてはこれが通常運転だ。親に対しては反抗期の気のあるキバナも、僕の話なら割と聞いてくれる。おばさんと喧嘩したときの避難場所は専ら僕の家だし。その時だって膝を突き合わせて話を聞くし時には泣いてるキバナを抱き締めて落ち着かせることもある。

僕のなんとも言えない返事に首を傾げたクラスメイト。顔を見合わせて、一人が閃いたようにあ、と声を上げて、それから愉快そうににまりと口の端を上げた。

「あ!もしかしておまえら、付き合ってんの!?」

そこからは冒頭の通り、だんまりを決め込んでいたキバナが突然立ち上がって付き合ってねえよと大声で否定した。のだが、どう考えてもムキになったら相手が面白がるだけだし、明らかに悪手だ。それを裏付けるように友人達はわっと囃したてる。ちょっと男子休憩時間だからって煩いんだけど、と女子の委員長にでもなってキレ散らかしたい気分だ。やんないけど。

「大体!オレとナマエは幼馴染だっつうの!」

「幼馴染だって好きになってもおかしくねーよな!」

どうなんだよ、と囃したてるような友人達に、思わずあからさまに嫌な顔をしてしまう。こういうノリは引き際が大事だ。

「だからオレはナマエの事なんて、す、好きじゃ…!」

「うん、僕の片思いだよ」

キバナの言葉を遮って口を開くと、ぴたり、と口論が収まった。そんなに驚くような発言だったか、とクラスメイトたちを見れば、皆一様に口をぽかんと開けて僕をじっと見つめている。それから固まっているキバナに視線が移った。呆然と固まったキバナだったが、やっとのことでこちらを振り向いて、真っ赤になった顔を見せた。

「…は…?」

笑っているような、泣いているような、複雑な表情だ。その感情はどこから来るのだろう。「オレが頑張って言い返しているのに、なぜ壊すような真似を」といったところだろうか。黙って硬直しているキバナを見て、それからぽかんと口を開けている友人達に向かって言った。

「なんちゃって、これで僕が万が一マジでキバナのこと好きだったらお前ら、イジメだかんな」

これがただの幼馴染の僕だったからよかったものを、本当にキバナのことが好きな女の子とかだったら大変なことだ。少し落ち着いた彼らにも多少なりと自覚はあったらしく、目を見合わせたあとに気落ちした様子を見せた。

「わ、分かってるよ」

「ちょっとからかっただけだろ…」

「ゼッテー先生には言うなよ!」

「言わねーし」

思い思いに反省した様子を見せて離れていく彼ら。最後の奴は悪びれない様子だったので思わず笑ってしまった。じゃあな、と手を振って帰っていく。しん、と教室が静かになった。僕はまた日誌に視線を戻そうとして、突っ立っているキバナとばし、と視線がぶつかった。

「キバナ、こんな奴、なんて絶対言ったら、本当にキバナのこと好きな子は悲しがると思うよ」

あ、と小さく声を溢して眉尻を下げたキバナに、それ以上言う必要はないだろう。さっさと書き上げてしまおうとまた日誌を見下ろす。「今日のバトルの授業は、キバナとジュラルドンが一番勝ちました、僕とドロンチも頑張ります」これでいいだろう。

キバナのことを好きな女の子はたくさんいるだろう。背が高くてバトルも強いし頭もいいし顔だってかっこいい。そんな子達を不用意に傷付けてしまうのは、キバナの本位でもないだろう。モテない僻みでは決してない。日誌を閉じて顔を上げると、キバナがいつの間にか僕の正面に移動していた。

「な、なぁ、ナマエ…あの、オレ…」

「…うん、どうした?」

立ち上がって、スクールバッグに日誌を突っ込む。キバナには悪いけど、職員室までついてきてもらおう。消沈した様子のキバナの顔を覗き込むと、ゆら、とキバナの目が泳いで、恐恐として僕の顔に視線を上げた。

「もう、言わない…ごめんな、ナマエ…」

ごめん。キバナの声が震えた。僕もまさかそんな謝罪が来るとは思わず一瞬目を丸くしてしまった。キバナが良い奴なのは、ずっと一緒だったから知ってる。少し続いた沈黙にキバナの表情が不安げに曇ったのを見て、僕は慌てて笑顔を作った。

「うん、いいよ、全然大丈夫」

瞬間、凍りついたように立ち尽くすキバナが、なぜだか見開いた目に涙を浮かべてきゅっと口を引き結んで俯いた。思わずえ、と声を出してしまう。なんで、なんで泣くんだよ、僕、全然怒ってないのに。青い大きな目から溢れた涙にポケットのハンカチタオルを押し付けると、キバナが僕の手に自分の手を重ねて、また泣いた。









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