脳内辞典



【何故】
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どうして、なんて、そんなこと聞かれたって僕には分からない。そうだからそうとしか言いようがないのだ。

楽しいから笑っているのに「無理して笑うな」と言われる。生きているのが楽しくて、というか楽しくなるように生きているから楽しいのに、キバナさんは私が笑っていると決まって一度は苦しそうな顔をするのだ。変なの。ぎゅうって抱き締めて「おれさまがいるから」って、悲しそうに言うの。

「どうしてそんなこと言うの、キバナさん」

ぎゅう、と今回も噛み付くように抱きしめられて、ぽわんと疑問が浮かぶ。捕獲されてるみたいだ、と思った。俺はキバナさんのお気に入りのぬいぐるみになってしまったみたい。面白い、一体どんなリボンの巻かれたテディベアかな。

ナックルシティのトレーナーズスクールを主席で卒業した私に招待状を書いてくれたのは、キバナさんだ。キバナさんは僕によく「女の子なのにすごいな」とか「無理すんなよ、女の子なんだから」って、無意識にペタペタレッテルを貼ってくる。最初のうちは気にしてくれてるんだなって嬉しかったけど、段々それがちょっと鬱陶しくなってきて、つい口を滑らせた。ちんちん生えてるし、って。

そりゃまあ、孤児院出身でちんちんの生えた女の子なんて人生勝ち組のキバナさんから見たら終わってるも甚だしいのかもしれない。可哀想なことに、俺のことを普通と違うから親から捨てられた子供だと思われているのだろう。残念ながらうちの両親の死因は事故です。

「どうしてって」

キバナさんの喉が震えるのが分かった。横で僕のギギギアルがふわふわと宙に浮きながら不思議そうにしている。ジムチャレンジは、バッヂを八個集めてトーナメント一回戦で負けて終わった。私を負かした女の子は今、ガラルの新しいチャンピオンとして君臨している。

トレーナーズスクール主席と言ったって、飽くまでスクール。実地ではそこそこといった実力だった。その報告と謝罪をキバナさんにしに来たら、労いの言葉より先に熱烈なハグを頂いている所存だ。ぎゅう、と答えの代わりに腕に力が篭って、少し苦しくなった。潰れた喉の隙間から、キバナさんに向かって言った。

「私が無理して笑ってればいいと思ってるんだね」

「…違う」

「僕が苦しんでればいいって」

「ナマエ」

キバナさんの上半身がこちらにのしかかって来る。ぐえ、とカエルが潰れたような悲鳴を出しつつ、それが面白くて思わず笑った。窘めるように呼ばれた名前を、それでも気が付かなかったと装ってそのまま続ける。

「俺に、助けてって言ってほしいんだね、可哀想だって思っ」

その瞬間、べりっと音がするくらいにキバナさんに引っペがされる。両肩を握りつぶされそうなほど強い力で掴まれて、ぐあんと揺れた首がもげるかと思った。驚くほど近くに、キバナさんの青く澄んだ目がある。

「おれさまは、そんなふうに思ったこと、無いからな」

ぎら、と睨みつけるように眦が上がっている。怒られてるみたい、私。ぜえ、と肩で息をするキバナさんの手が震えているし、服の上からでも分かるくらいにじっとりと熱を持っている。よく見れば深い青の眼も、凍えたように怯えていた。じ、と暫くその目を見つめ返すと、怯んだように瞳が揺れる。

「うん、可哀想だとは思ってないけど、可哀想であればいいと思ってるんでしょう?」

ひゅ、と震えた褐色の喉が息を吸った。もう観念した方がいい。僕が哀れで仕方ないんだろう。分かってるんだから。けれど残念でした。俺は可哀想でもなんでもない。ぎり、と肩を掴む手のひらに力が入っているが、どうやらキバナさんは気付いていないらしい。震えて下がっている口角をどうにかへらりと上げた彼のその目は、やはり何かを恐れているようだった。

「なぁ、ナマエ…思って、ねぇったら…」

「可哀想どころか、いつ死んだっていいくらい幸せだよ、私」

今ここでキバナさんの勘違いを否定しておかなければ、私はずっと腫れ物扱いだ。いつもそう思っていたんだけど、ずっとこの調子のキバナさんに強く言えないでいた。キバナさんがそう思っているのなら俺は可哀想でいいやって。お世話なってるし、思われるだけなら別にいいかと思っていた。

けれどキバナさんが僕をそんなふうに守るたびに、周りからの目も変わってくる。セミファイナルトーナメント出場の強い子、あのナックルシティのトレーナーズスクールの首席、凄い子、親がいないのに。

そうだ、締めの言葉に私の頑張りと関係ない言葉が付いてしまう。そんなふうに決めつけてフィルターをかけて、俺の今までの苦しみを分かった気になられるのが、一番ムカつくのだ。親がいないのは本当だ。私を残して死んでしまったのも。けれどそれは、美談として扱うのもディスカウントするときに持ち出すのも、違うだろう。性別のことだって関係ない。少なくとも俺は関係ないと思っているんだから、いいんだよ。

僕の言葉を聞いたキバナさんは目を見開いて、それから呼吸を忘れたようにはく、と唇を震わせた。何を言い出すのだろうか。お前が幸せなはずがないと、逆上でもして俺の言葉を否定するのか、それなら良かったとふにゃりと微笑むのか。けれど予想を裏切って、キバナさんは眉間に皺を寄せて酷いひきつり笑いをしてみせたのだった。

「…しぬとか、言うなよ…」

ぼろぼろと青い瞳が溢れて、ぎゅうと上着の裾を掴まれる。いつもは僕を捕まえて閉じ込めるように抱き締めるのに、今は引き止めるように縋り付かれている。何だよ、死ぬほどとか死んでもいいとか、誰でも言うだろうに。死んでもいいほど幸せだからって、本当に死んでしまうとでも。この人は僕のことを分かったような気になっているんだろうな。全く、むかついてしょうがない。むかついたので、そのまま否定せず笑ってやった。

「人はいつか死ぬよ」











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