脳内辞典



【取り繕う】
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「お前と付き合ったりなんかしなければ、オレは、こんなふうにはならなかったのに…!」

後ろを向いたままのネズにぴしゃ、と頭から引っ掛けられた言葉に反論しようとして、大きく息を吸ってから、止めた。言い返そうとした。言い返そうとしたんだけど、言葉が全部すり抜けるように逃げていって、何も残らない。事実俺「なんか」ネズに釣り合わないとずっと思っていたし。その通りだ。ど正論。

ちょっとした喧嘩だ。最近帰りが遅いとか靴下が脱ぎっぱなしとか、そんな程度のことから発展した売り言葉に買い言葉。分かっている。ネズは普段そんな事言わないし、言うような奴でもない。例え思っていたとしても。

けれど喧嘩のときは誰だって、瞬間的に手近に落ちていた弾丸を籠めるものだ。ネズがずっとそう思っていたから咄嗟に出た言葉だと、俺はすぐに理解した。うん、そうだ、よく考えたら帰りが遅いのも靴下を脱ぎっぱなしにしたのも、つまり喧嘩の発端も俺だ。ならさっさと謝ってしまえばいいのに、とは思うけれど、ネズの口から俺の不安を真正面から射止める言葉が出てきて、俺の唇は凍りついたように動かなかった。

無言になった俺に苛立ちを隠さずに舌打ちをしたネズは「黙ってねぇで…」と言いながら振り返った。恐らく「黙ってないで何とか言ったらどうだ」とかだろう。けれど何も言い返せずに突っ立っている俺と目が合うと、ひゅ、と息を吸って、それから無理矢理に口角を上げた。

「…ナマエ…?…あの、違います…言い過ぎ、ました…」

ネズの声が震えている。ネズは何も悪くないのに謝っている。ネズが近づいて来て俺の頬に触れる。驚いて、いつの間にか下がっていた視線をネズの顔に向けると、ネズは眉を顰めて俺の顔を覗き込んでいた。は、と我にかえって俺も何とか笑顔を浮かべる。

「…や、俺のほうがごめんな!ネズの…言う通り、だわ、ほんとごめん」

言葉尻が震えた。何とかそう謝った俺の顔を見詰めたままだったネズが、ぎゅ、と唇を引き結ぶ。傷付いたように目を細めて、空いた方の手で俺の手を取った。

「…ナマエ、今のは」

「…ごめん、今度から気を付ける」

自分の顔が情けなくなってない自信がない。あぁ、もう、うまく行かない。ままならない。折角許容してもらえたというのに、俺はいつもこうだ。へら、と笑ったら、何故だかネズの方が辛そうな顔をしていて、俺は誤魔化すように「何でそんな顔するんだよ」なんて、また笑った。ほんと、なんでネズみたいな奴が俺なんかと付き合ってくれてるんだろうな。不思議だ。




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