サナトリウムでおやすみ


∴悪魔はキャソックを着る

「信じなさい、さすれば神はより良い来世へと導いて下さるでしょう」

広い講堂、十字架があしらわれたステンドグラスを背にした男が壇上で両手を広げ、びっしりと座席に座った信者達に歌うように言う。決して声を張っている訳でも、マイクを使っている訳でもないのに、その声はふわりと空間を包み込んで響く。誰からともなく拍手が始まり、会場は割れんばかりの音に包まれた。だが、す、と片手を上げた男が端から端までを見渡して口を開くと、その場は水を打ったように静かになる。にこり、と男が柔和に微笑んで、一言。

「…ありがとう、皆に幸多からんことを」

「フッフッフ!なァにが幸多からんことを、だよ!」

額に手を当てて反り返って笑うおれの前のテーブルに、コト、と上等な紅茶と茶菓子が置かれる。つい三十分ほど前まで信者の前に立っていた男は、まだその禁欲的な神父の服装のままだ。ふわり、と微笑んだ男は、自分の分のティーカップのあるおれの正面の席に座ってから柔らかな髪をす、と耳に掛けた。

「それは勿論、雑草が幸せに養分を蓄え込んでくれれば、それを食むこちらも幸せですから」

柔らかに弧を描いた目元と対象的に、上弦の月のように釣り上がる男の口の端。口が裂けているような笑みだ。ゆったりと上げられた瞼から覗くビー玉の目は、随分と私利私欲に塗れた苛烈な色をしている。その貪欲な瞳と清らかな服装との違和感が相まってまたも腹の奥から笑いが込み上げて来た。

「フッ、フッフッ、おいおい、随分と口汚ねェな!」

「それほどでも」

褒めたわけではないのいうのに。何の気なしにそう素っ気なく返される返事に、おれは笑みを浮かべたまま肩を竦めた。

目の前の男、ナマエは有り体に言えば新興宗教の教祖である。この男自体も転生者であるし、まるっきり全て信者たちに嘘を吹き込んでいる訳ではない。ただ、まるっきり全てでないだけで、殆どが嘘に近いナマエの創作だ。神に祈ろうが悪行を働こうが、前世の記憶がなければそんなものは本人の知る所ではないのだから。フフ、とまた喉の奥で笑って、上等なソファに全体重を掛けるように仰け反った。

「そのテメェの言う雑草達も可哀想になァ」

正面に座ったナマエは、かちゃ、と微かな音を立ててシュガーポットを開け、角砂糖を二つ自分のカップに沈めた。それからおれのカップにも一つ砂糖を入れながら、にこり、と微笑む。

「お砂糖は幾つですか?」

「一つもいらねェっつうところだった」

「へえ、そうですか」

ふ、とまた微笑んで、無かったことにするように、シュガーポットの蓋を閉じる。全く、自分本位な男だ。どろり、と溶け切れていない角砂糖の角が紅茶の中で融解した。それを見ながら、おれはね、とナマエが口を開く。

「迷える子羊の縋る藁になっているんです、感謝こそされても、そんなふうに言われる筋合いはありませんね」

目を細めて笑いながら、ティースプーンで紅茶を混ぜる。それがおれのティーカップに移動して、今度はおれの紅茶を二、三度混ぜた。それと、とゆったり動いた唇が、含み笑いをしながら続きの言葉を吐いた。

「いい事をした人間には、金が舞い込むようになっているシステムなんですよ」

前世、この男はドンキホーテファミリーの一員だった。トレーボル軍の幹部であり、人身掌握に長けたこの男は、主にファミリーの資金繰りを担当していた。柔和な笑みで相手の心に滑り込むように漬け込み、高額の金を貸し付け、そして豹変する。鬼のような取り立てに一体何人の人間が自ら命を断とうとして、それすらも阻まれて死ぬまで搾取されたものか。

かつてそんな風に血も涙もなく、追い込まれ謝罪しながら神に祈る人間を足蹴にしていた男が、新興宗教の教祖だなんて、世も末である。前世とは打って変わって、見た目は全くの善人になっているこの男。中身は一切変わりないようで安心した。ふ、と笑って紅茶のカップに手を伸ばし、口を付けて傾ける。ほんのりと甘く熱い液体が喉元を過ぎて、じわりと胃の腑に広がったのを感じた。

「そろそろ、帰る」

「おや、そうですか」

おれの一言に意外そうに目を丸くしたナマエ。もともと長居する気もなかった。ただこの男が信者共にちやほやされて、よもや真っ当な人間になっていやしないかと、少しだけ引っかかったのだ。たが、どうやらそんな心配は完全なる杞憂だったようだ。男はテーブルの上の、百合の花のあしらわれた封筒を手にとって、そっと封を開けた。中から覗いたのは、くしゃくしゃと皺だらけのベリー札。

「帰り、これで、美味しいものでも召し上がってください」

札が一枚。おれの前に差し出される。どう見ても信者からの寄付、或るいは謝礼のようなそれを当然のように受け取れと突き付けられ、一瞬呆気にとられた。今日はなんのためにここに足を運んだのだったか。ああ、そうだ、この男が善人などという薄ら寒いものになってはいやしないかと。そこまで考えて腹の底から込み上げた馬鹿馬鹿しさに、思わず大声を上げて笑った。

「おいおいおい、そりゃあカミサマに捧げられた金だろォ!」

フッフッフ!と笑うおれに、ナマエは欠片も驚いた様子もない。ただ微笑みをそのままに一度ゆっくりと瞬きをして、それから眉間に皺を寄せて片眉を上げ、珍しく下劣に笑った。

「ドフラミンゴ、貴方は稀に少年のような事を言う…よもや、神などという馬鹿げた偶像をお信じですか?」

ナマエは、そのままそっと笑みを隠すように口元に手を当てる。下衆。お前でなかったら殺していたところだ。男の手からひったくるように札を受け取ると、陰湿な笑みを引っ込めた男が肩を竦めて、それから紅茶のカップを手に取って、口を開いた。

「本当に神がいらしたら、せっかく死んだおれ達のような悪人をそのまま下界にポイなんて、しないでしょう」

「悪人、なァ」

悪人。確かに前世のドンキホーテファミリーはそう呼ぶに相応しい存在だっただろう。この男も、おれもそうだ。おれが殺した人間は何人で、こいつが巻き上げた金は、幾らになるか。そんなものをいちいち覚えてもいないし、そもそも数えても居ない。悪人とはそういうものだ。呼吸のように人を騙し害し、自分の糧にして最後は後ろ手に捨てる。生命活動の一環のようなそれは、恐らくナマエの、そしておれの魂の根底に深く染み込んでいる。

「フッフッフ、まァ、記憶がなくてもおれァ元気に悪人やってたと思うぜ」

「全くです」

手の中の、ナマエからぶん取った札を見遣る。しわくちゃの札。これに染み込んでいるのは、誰の血で、誰の汗で、誰の涙か。なんの苦労もなくこの金を手にしたおれやナマエには、知ったこっちゃないのだ。誰かが汗水垂らして稼いだこの金は、数十分後におれの昼飯となって腹を満たす。全く、世界は相変わらず馬鹿げている。ふ、と一つ笑って、上等な革張りのソファからゆっくりと立ち上がった。

「今世も、面白おかしく生きようぜ、雑草共のカミサマ」

札をひけらかすように揺らす。紅茶を煽っていたナマエは、こくりとそれを飲み下したあと、ソーサーにカップを戻した。

「ええ、おれのカミサマ」

はは、とナマエがいたずらっぽく口を開けて笑う。覗いた赤い舌先に、おれの海賊旗のマークの刺青が黒く象られているのが半分ほど見えた。前世のまま、何も変わらない。そう、世界は相変わらずアタマの良い奴が得をするように出来ているのだ。







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