サナトリウムでおやすみ


∴好候、と僕等は

ブウン、と地鳴りのように船後方の動力ダイヤルの音が継続的に響く。奮発して買った小型のクルーザーの調子は上々だ。自動操縦、船舶用レーダー付き、地上からの天気情報も定期的に電伝虫に届くようになっている。多少なりと中に生活スペースもあるし、多少の旅なら難なく過ごせるらしい。それなりにいいものを割り勘して買った甲斐があるな、と波を割いて真っ直ぐ進む船首を見て思った。

「しっかし便利な世の中になったよな〜」

半袖のTシャツを捲って腹をぼりぼりと掻いて、あくびまで零しながら、自動操縦の設定を終えたシャチが出てくる。もちろんこいつがこの船をおれと共同出資で買ったもう一人だ。シャチの、そんなおっさん臭い台詞に心底同意しながら、おれも釣られてあくびを一つ。

「ほんとな〜、何だっけ、自動操縦、レーダー、天気情報と?」

「衝撃感知装置と、海王類が嫌がる妨害電波」

「それだ」

かぁ〜、と思わず天を仰ぐ。あの頃とはえらい違いだ。いちいち帆を広げて風を読んで、交代で寝ずの番もする。帆船が先頭を切っていた時代だ。まあその点に関して言えば我らがポーラータング号は潜水艦なのでそれより更に秀でていたのだが。

「でもおれはやっぱ潜水艦が良かったけど」

ぶつくさ、とシャチが唇を尖らせて文句を言う。この船を買うと決めてから毎日の如くこれだ。いい加減にしてくれ、と思いながら、おれは船の縁にとん、と背中を預けた。

「お前ね…」

シャチがおれに手のひらを突き付ける。それ以上言うなと言うサインだ。

どうしても潜水艇がいいというこいつを宥めて、この高性能なクルーザーにしたのは、おれだ。かつて大海賊時代に乗られていた潜水艦はもう殆どの物がアンティーク品として扱われていて、乗れるとしたら相当な値がつく。乗れたとしてもう乗る馬鹿なんていないだろう。殆どが博物館で展示品になるか、金持ちのコレクターの部屋に格納されるかだ。

かと言って新しい潜水艦でも、この船を買う為に貯めた金で買うにはやはり手が届かない。あと何匹エレファントホンマグロを一本釣りすればいいのか、という話だ。その話を何度もシャチに説明して折れてもらったので、こいつも重々承知のはず。分かってるなら言わなければいいのに。肩を竦めて勘弁してやると、シャチがキャスケット帽子をぼふ、と手で押さえた。

「分かってるけど、やっぱ海の上だとどうしても海軍に狙われる気がしてさ」

サングラスの下から、船の進行方向を眺めるシャチ。その目は隠れていても分かるくらい追想に耽っていて、おれはいつもその問いを笑って誤魔化すことしかできない。

「何言ってんだ、今のおれらだったら海軍に狙われても免許見せりゃご苦労さまです!で一発だろ」

「全くだ、漁業権に船舶免許まであるわ」

「おれ調理師免許と栄養士まであんよ」

やってらんねーよ、とゲラゲラ笑うシャチ。それどころではなく自己流ながら叩き上げの戦闘の心得まであるのだから、全く困った話である。

おれとシャチは、なんと漁師だ。小さな島に生まれ変わって最初に友達になったのがまさか、隣の家に生まれた前世の仲間である。前世の姿そのままに餓鬼にマイナーチェンジしたお互いをひと目で誰だか理解して、言葉もままならない年頃に指を指し合って笑ったのを覚えている。

だが、それだけ。今の所おれたちの秘密のハートの海賊団は、おれとシャチのふたりぼっちだ。

ずっと子供の頃から、おれたちは二人でいた。けれどやはり同じ時代を過ごしたおれとシャチの話なんて、昨日の晩飯の話をしていても今日の学校の話をしていても、結局は「船長が」「ベポが」「ペンギンが」と、古巣の話になってしまう。

「皆、おれたちの事覚えてんのかな」

子供の頃、学校帰りのシャチが悲しげにぽつりと呟いた言葉を、今も忘れることが出来ない。おれとシャチは奇跡的に再会出来てお互いに記憶もあった。だが、かと言ってかつての仲間たちまでもがおれたちのことを覚えている、というのは些か出来すぎてはいないだろうか。

それどころか彼らのうちの一人でも、おれたちが生きるこの時代にもう一度生を受けているという保証も確証も、ないのだ。けれど、おれは。

「…覚えてるに、決まってんだろ!」

気が付いたら、消えてしまいそうに呟いたシャチの、まだ幼い両肩を引っ掴んでそう怒鳴っていた。目を丸くして驚くそいつが「でも、」と続けようとした言葉を、更に大きな声でねじ伏せる。

「覚えてる!覚えてるに決まってるし、また会える!」

「……そう、だよな」

だよな!もう一度シャチが繰り返して、吹っ切れたように笑った。それがどうしても前世、あの海賊団で旅をしていた時の笑顔と重なって、ああ、おれはこいつがハートの海賊団を懐かしむなら、どうにか皆と会わせてやりたい、そう思ってしまったのだ。

分かっている。幾ら科学が進化して世界が平和になったとしても、この世界の膨大な数の島国を虱潰しに当たるのに、どれだけ長い時間がかかるか。世界を一周したとして、誰も見つからないなんて悲惨な事態が起こり得ることも。それでも、おれは。

「なあナマエ、皆おれたちの事、待ってるよな…おれたち、これで間違ってないよな」

船の縁に手を掛けてまだ日が昇りきっていない海を頼り無げに眺めるシャチの笑顔を、どんな手を使ってでも見たいと思ったのだ。ぐ、と胸を膨らませるように空気を取り込んで、人っ子一人いない海に向かって声を張り上げた。

「ヨーソロー!」

「うわっ!なんだよ急に叫ぶんじゃねーよ!」

「面舵いっぱーーい!」

「バカ!自動操縦だから!」

おれの奇行にゲラゲラとシャチが笑う。そうだ、お前はそうやって笑ってくれてればいい。もし誰とも会えなくたって、出発地点に帰ってきたら「楽しい旅行だったな」で、二人笑い合えばいいだろう。

いいよおれは、この旅が間違いでも。またお前と旅が出来るんだから。久し振りに感じる冒険前の高揚感と少しの不安感に、思わず両手を広げて息を吸った。ああほら、空がこんなにも高い。







好候、と僕等は


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