サナトリウムでおやすみ


∴数百年越しのラブレタア

「博物館に行きましょう」

ある朝。仕事が休みなのをいいことにだらだらと昼間近まで寝腐っていたおれをそんな一言で叩き起こしたのは、同棲しているロビンだった。まだ微睡む意識がぼんやりと単語だけを拾う。

「…ハク、ブツカン?」

「ええ、博物館」

なにを、急に。全く可愛げがない。折角の連休に遊園地でも水族館でもなく、博物館だと。まあでも確かにそろそろ二十代も後半に差し掛かる大人二名がデートにテーマパークというのも中々の絵面になってしまうから、いいのか。そんな風に考えながら目を擦ると、早く顔を洗ってきたら?と穏やかな声で尋ねられた。ので仕方なし、素直に従う事にした。二度寝の余地はなさそうだし。

ニコ・ロビン、彼女はおれの父親の経営していた古書店の元常連である。それが五年前、腰を痛めて店頭に立てなくなった父の代わりに俺が店番をしていた時、困っていたおれの前に颯爽と現れたのだ。下手したら生まれたときから古書と関わっていたおれに匹敵するほど本に詳しく、そして趣味が考古学なだけあって歴史にも明るい。

短期間のピンチヒッターのはずだった彼女は、いつの間にやらおれが継ぐことになった古書店の欠かせない従業員となっていた。無論、ここまでの話で私生活でも欠かせない存在であることもお分かり頂けるだろう。

それなりに突飛な言動が多いことは何となく理解していた。真面目くさった顔で恐ろしい冗談を言ったり、唐突に考え込んだり。変わった女ではあるが可愛らしい物が好きだったり、と意外な面を垣間見せるのだからこちらとしては慣れるまで大いに混乱させて頂いた。まあ、それは良しとして。耳慣れない単語に思わず朝食を作る背中に声を掛けた。

「博物館って、なんで急に?」

長い髪を後ろで束ねたロビンが振り返った。黒いシンプルなエプロンは、彼女と一緒に暮らし始めるときに贈ったものだ。一瞬斜め上に視線を泳がせた後、ふふ、とロビンが笑う。

「大海賊時代の新しい書物が見つかったんですって」

その言葉に、ああ、と合点がいく。彼女の専門分野だ。しかも大海賊時代と言うと、ロビンの専門である考古学の中の更に専門。つまり、おれが行かないと言ってもどのみち一人で行く、と言うことだ。はあ、と溜め息を吐くが、面倒な訳ではない。ただ、今日のデートプランは次の休みに延期だな、と決めただけだ。

「どこの博物館?」

ロビンからスクランブルエッグとベーコンが乗った皿を受け取る。彼女はその後、トースターから飛び出したトーストを皿に乗せて、テーブルに並べた。

「ログで言うと…三つ先の島ね」

「調べてあんの、準備いいな」

「元々知っていたの、大きな博物館があるから」

ふうん、と何の疑いもなく聞き流して、朝飯を流し込んで、既に用意されていた連絡船のチケットを受け取って、揺られること数時間。おれ達は閉館間近の博物館の前に立っていた。

「…でかい」

「そうかしら」

城のような巨大な博物館を前に立ち竦むおれの横を、しれっと答えながらとおりすぎていくニコ・ロビン。思わず苦笑して後を追うと、既にカウンターで購入したらしい入場券を手渡された。場慣れしている。紙を受け取ると、ちらり、と手元のリーフレットを一瞥したロビンが早くも目的を認めたらしい。

「貴重な文献だから、一番奥の展示室みたいね」

「あ、そうですか…」

おれの頭の中で、「エスコート」という文字が浮かんで霧散した。カツカツ、とヒールを鳴らして歩く彼女の後ろを追いかける。途中、大海賊時代の短剣や宝石、細かい細工のされた食器などが展示されていたが、ロビンはそれに見向きもしない。恐らく見慣れているのだろう。初めて来たのだから、おれはもう少し細かく見たいような気もするけれど、今回の目的は彼女の行く先にあるのだから、と少し肩を落として着いていく。と、横から学芸員らしき男がロビンに話し掛けた。

「ロビンさん!お久し振りです!」

「あら、久し振りね、新しい文献が発見されたと聞いたのだけれど」

挨拶もそこそこに本題を切り込むロビン。彼女が一見とっつきにくいように見えるのは、多少このドライなところも関係しているのでは、と個人的には思う。まあおれ以外の男に馴れ馴れしくされるよりはマシだ。ロビンの斜め後ろ辺りから男に会釈すると、彼はおれにも一礼してから促すように手で先の部屋を示した。

「だと思いました!どうぞ、こちらです」

彼も周りの展示品には見向きもせず、一直線に奥の部屋へ進んでいく。簡単な説明もないのだから、ロビンはよっぽどこの博物館に足を運んでいたのだろう。寧ろ、彼女に歴史を説明するなど、星に宇宙の説明をするようなものだ。と、一層開けた部屋に辿り着いた。部屋の真ん中にぽつん、とガラスのケースが佇んでいる。男性の足が止まり、ああ、ここが目的の部屋なのか、とおれにも察しがついた。

「さすが大海賊、暗号で書かれているようで…我々にもさっぱりなんですよ」

ロビンさんなら読めるかも。男性に促されて、ロビンが一直線に展示品の前に向かう。彼女の知的好奇心に水を差してはいけないとは思うが、ここまで仰々しくされたらおれだって流石に気にはなるというものだ。

「ロビン、それ、一体何なんだ?」

逸る気持ちを抑えきれないといった様子のロビンに、思わず声を掛ける。ちらり、とおれを振り返ったロビンは、くすりと笑って、おれの胸に博物館のパンフレットを押し付けた。

「大海賊、ミョウジ・ナマエの手紙よ」

「え」

え。自分でも間抜けだと分かる声が、口から飛び出していった。ロビンの声がいやに弾んでいる。それ、重要な文献が見つかったからじゃないよな。

「だから、大海賊のミョウジ・ナマエの手紙よ」

「おいおいおいちょっと待て、誰の?何て?」

長い足でつかつかと歩くロビンは、もうガラスケースを食い入るように見つめている。思いがけず聞こえた名前に全身の震えが止まらないおれはよろよろと彼女の後を追い掛けた。

「見たほうが早いわ」

ほら、とロビンが指差した先には、ひどく日焼けした封筒と、白い便箋が広げられていた。紫色の封蝋は、開いた封筒にくっついたままになっている。見覚えのある、おれのイニシャル。そしておれの汚い癖字で、宛名には。

「あら、私宛じゃない」

わざとらしく、しかも嬉しそうにそう口ずさんだロビンに、目眩がする思いだった。忘れもしない。あれは前世、一目惚れしたロビンに手紙を送りまくっていたおれが、多分送りそこねていたやつでは。恐らく真っ青な顔をしたおれに向けて、ロビンが確信めいた笑みを見せた。

「お、おま、おまえ…!おれを嵌めたな…!」

「さあ、なんの事かしら?それにしても、相変わらずすごい癖字ね…暗号ですって、ふふっ」

「うっわもう有り得ない二重に恥ずかしいそれ言わないでくれる?」

「親愛なるニコ・ロビンへ」

「音読すんな!読むな!止めろ!」

ジュワッ、と音がしそうな程顔に血液が集まったのが分かる。彼女からその手紙を取り上げたいが、生憎ブツは大切にガラスケースの中。勿論彼女をここから無理やり引っ張り出す訳にも行かず、おれは横でおろおろとしているばかりである。寧ろ時たま「まあ」とどことなく嬉しそうに声を上げるロビンを、この重要な展示品の前から引っぺがす事ができる人間がいたらお目にかかりたいものだ。

「……おれ、ホテル予約してきていいか」

「あら、貴方は読まなくていいの?」

「読んでたまるかそんなもん…!取れたら連絡する!」

「お願いね」

ひらひら、と顔を上げずに手を振るロビン。額に手を当てて振り向けば、何となく状況を察したらしい学芸員の男性がおれに向けて気の毒そうに笑った。全然重要とかじゃないからさっさと手紙引っ込めてくれ。逃げるように博物館を出たおれは、パンフレットの裏側「お近くの宿泊施設」のリゾートホテルの部分を指でなぞった。

「…食えない女だよ、ほんとに」

大体、お前への愛の言葉なんて、何百年も前からこの頭にしっかり入ってるんだ。今更手紙を読み返す意味もないだろうに。






数百年越しのラブレター


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