偶然の集まりでしかない、今の関係
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ざざん、そんな音を立てて何もかも飲み込んでしまう海が嫌いだ。親父もそんな海に魅入られて心まで飲み込まれて、お袋とガキだったおれを残して海の底に消えてしまったらしい。だからおれは海が嫌いだ。大切なものを全て奪っていってしまう、この果てしない水溜りが。
「まぁそんな事言って親父なんてクソみたいな野郎だったけどな」
「…どんなクソでも親は親ってことか」
「まーな、アル中でも暴力夫でもお袋は真面目に愛してたらしいし」
からん、とグラスの中で積み重なった氷が音を立てる。溶けた水とキツイ酒がマーブル状に分離しているのを視界に映しておれはグラスをくるりと一周回した。
「ただな、確かにそんなクソでもやっていける海賊は夢があるだろうぜ」
ふ、と笑って一気に琥珀色の酒を煽ってから、おれは目の前の男に言った。男、トラファルガー・ローはつまらなさそうにおれと同じ酒を一口分含む。
この男との出会いは唐突だった。おれの日課は毎日磯に魚を釣りに行く事なのだが、その通り道の浜辺に間抜けな人魚よろしくこいつが打ち上げられていた。最初は死んでいるのかと思ったが微かながら呼吸も体温もあったので死ぬ前に、と家に連れ帰って治療をしたのが一週間前。海賊だというので電伝虫で連絡を取らせたら思った以上に流されていたらしい。仲間が迎えに来るまで暫く厄介になる、と男、ローは宣った。
「しかしまぁ、一回こんな目に遭ったのにまた海に戻るなんて…海賊っつーのは気違いの集まりかなんかか?」
おれからすれば考えられない事だ。父親もそうだったが、ここまで海に魅入られる意味が分からない。母親も、死ぬまでそう嘆いていた。お前は行かないでね、その言葉が今もおれをこの島に縛り付けている。
「…おれはある目的があってこの海を旅している」
「物は言いようだな、ワンピースってやつだろ?」
「……そう思うなら思っとけ」
ふん、とまた酒を煽るローに苦笑する。海賊なら皆ワンピースを目指すものではないのか。少なくともかつてこの島にやってきた勇猛な海賊はそうであったと母が言っていた。今はそれに一番近いとされている海賊団の船長だ。
「まぁ、ここに残れとは言わねーけど…」
「言わねぇのか」
おれが言ってなにか変わんのか、そう他人事のように零せばローは変わんねェな、とぼやいて大きな窓から海を眺めた。海は嫌いだ。そう宣う割に家はオーシャンビューなのかと突っ込まれそうだがこれはまともだった時代の父親が設計したものだ。父母共に亡くなってからもおれはこの家で暮らしている。いつもは海が見えないようにカーテンを閉めているのだが、ローが窓からの景色に興味を示したのでずっと開けてある。
「そんなに海が嫌いか」
「そうだな、嫌いだ」
じい、と海からこちらに視線を戻したローに見つめられる。おれは少しの居心地の悪さに肩を竦めて答えた。すると一瞬斜め上を見るように薄茶色の瞳を彷徨わせたローが、酒を煽ってからニヒルに笑った。
「おれのことは?」
「…あァ?」
何を言ってるんだ、そう思い切り呆れた顔をして見せれば、くく、とローが喉の奥で笑いを押し殺した。とん、とテーブルに置かれたグラスから刺青まみれの指が離れて、おれの無造作に置かれた指に触れる。
「こんな風にして出逢ったのも何かの縁だろ?」
にやにや、この顔は知っている。その表情に少し呆れすら覚えた。一週間でこの男の表面の部分は少しだけ理解できている。紛れもない、人をからかって楽しんでいる顔だ。
「…あー、そうね、はい」
「……つまんねェな、ナマエ」
いまいち面白い答えが思い浮かばないので適当に流せば、ローが膨れっ面をした。おや、と思う。適当に流してもここまで顕著につまらない、と顔で表されたのは初めてだ。少しだけ面白くなってそっと離れて行く筋張った指を絡めて捕まえた。ぴくり、とその手が強張る。自分の手がローの手を捕えたのを見届けてからゆるりと視線を上げる。目を丸くしている海賊と視線がかち合った。
「縁じゃなくて、運命かもな、ロー」
絡む指に力を入れたおれを見てじわり、と頬を染めたロー。本当におれの知る野蛮な海賊とは違うのだな、とくつくつ笑えば我に返ってその長い足でおれの脛を蹴りあげてきた。それに呻いて、それでも楽しさが勝ってけらけらと大きく笑えば「笑うんじゃねぇ!」と怒鳴られる。海の上で聞いたらそれはとてつもなく恐ろしい敵船の船長の啖呵なのだろう。しかし今この状況、真っ赤な顔で浴びせられたのを聞いても恐怖なんて感じない。
「海賊の船長さんも可愛いもんだな」
「…っ、もう、勘弁しろ!」
おれと繋いでいる手をぶん、と振り払ったローをまた笑う。おれが嫌いなはずの海賊は悔しそうな顔で酒を一気に飲み干した。
「身体に悪い飲み方すんなよ」
「うるせぇ…」
ふい、とまた海の方に顔を背けたローの横顔をじ、と見つめた。海に流された心労で出来た隈かと思ったが、元々のものらしい。少し日に焼けた肌に馴染んでミステリアスな雰囲気を醸し出している。整った顔だ。
この偶然の出会いを運命と名付けるのか。それは彼の仲間が迎えに来るまでに決まることだろう。おれはまだ耳を赤くしたローの不満そうな横顔を見てふ、と微笑んだ。
偶然の集まりでしかない、今の関係TITLE BY 「確かに恋だった」
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