TITLE



たった3分の恋ものがたり、なんだ
8



「っ、この人!この人痴漢です!」

その声と共におれは電車の中で高らかと右手を掴まれ掲げられながら遠い目をした。何が起きているのか分からない。ただこの状況で一つだけ言うとすれば一言に尽きる。

勘弁してくれ。

と、言うのも、そもそもおれは三駅ほど先の行きつけの本屋に出向こうとしていただけなのだ。今日は大学も休みだし午前中はダルっと家で過ごして午後からさて行くかぁ、なんていう緩いモチベーションで家を出た訳で、決して女性に無体を強いる為に家を出た訳ではない。そう、おれは右隣の女性に指一本触れていない。立派な痴漢冤罪だ。

「…え?おれ触ってませんよね…?」

「嘘つかないで!さっきから触ってたでしょ!」

こんなもん虚偽の主張だ。でも何かで見聞きしたことがあるのだが残念ながら痴漢冤罪は殆が冤罪だと証明できないらしい。大体のケースが満員電車でどさくさに紛れてそういった行為を働いた、とされるらしいので目撃証言が取れなかったり被害者が女性だからとかなんだかで結局は男が悪いよね、みたいな感じで捕まってしまうらしい。そんな感じだったと思う。もともと興味なかった。知るかクソ喰らえ。

そもそもこんな席が全部埋まっている程度で立っている人が五、六人なんていうこんな空いている電車で痴漢なんてする奴はいないだろう。おれは頭をガシガシと掻いて半ば舌打ちをしそうになりながらも果敢に言い返した。

「え、なんかあれじゃないですか、他のものが当たったのを勘違いしたとか…」

「そんなことない!触られたし!」

「はぁ?」

思わず自分より身長の小さい女子を冷ややかに見下ろしてしまった。右隣から小さくひ、と引きつった声がしてやってしまったと気が付いたのだが。

おれは見た目真面目で気弱そう、とよく言われる。それは目が悪いというまっとうなのと目つきが悪いのを隠すためという二つの理由から掛けている眼鏡とか、基本Uから始まるメーカーのシンプルな服を着ているからだとか読書が好きだからとかこの黙っていれば比較的柔和な顔立ちとかに由来する。のだが、それは所詮「黙っていれば」に過ぎない。口を開けば割と人を傷付けるような言葉を平気でホイホイ吐くので周りから諌められる事もしばしば。

というかおれ今右手首腱鞘炎こじらせてるからあんまり強く握らないでほしい。睨んだのは悪かったけどそんなに握り締める必要はないと思う。レポート地獄明けでグロッキーなんだおれの右手ちゃんは。

「に、睨まれたって怖くないんだから!」

勘違い女はおれの痛みに歪んだ顔を睨まれていると思ったらしく、恐怖のあまり更におれの右手を掴む手に力を込めた。そろそろ本気で怒りたくなってくるものだ。短気とか言わないで欲しい。車両内から目撃者という名のヒーローも現れなそうだしもうなんとか一般論と手首の捻挫の件で押し通すしかない。初めから痛くて指先の感覚なんて殆ど無いのにこんなに握り締められたら右手首から先がもう二度と使えなくなる。それは流石に言い過ぎた。

「あのね、君さぁ…」

「そいつは触ってねぇよ」

未だ立ち向かってくる女子を退けようと口を開けば、第三者の声がそれを遮った。まさか、と思いおれの眼の前の椅子に座っている男に視線を向ける。男は気だるげな笑みを浮かべて足を組んで、こちらを見上げていた。当たり前だが見たことのない男だ。

もしかして、目撃者様?

「女、どれくらいの頻度で触られたんだ」

「え、えっと…」

「言えねぇのか?因みにこいつはずっと右手をまっすぐ下に下ろしてたしお前が手首を掴んて上げるまで殆ど右手は動いてねぇ、それに袖口から包帯も見えてる、左右で見比べると明らかに右手の方が腫れているようだから見た所割と重度の損傷だな、動かすのもいてぇだろうな?そろそろ離してやれ」

「っ、そ、そんなこと…!」

「悪化したら責任取れんのかお前」

目の前でいけしゃあしゃあと物を言う整った容姿の男は、黙っていればミステリアスな風体なのだが中身は明け透けらしい。事態が事態だからなのか柔らかい言葉は選ばずにあえて相手に刺さる言い回しをしているようだ。冷静かつ的確に女の矛盾点を突く男の態度に、勘違い女も唸っておれの右手首を振り払うようにして払った。無駄に痛くて呻いた。

それでもまだ引く様子のない女はおれをぎりりと睨みつけて来る。メンタルが強すぎるアマゾネスかお前は。はぁ、と溜め息を吐けば椅子に座った男がくすりと笑った。ちらりと電光掲示板を見ればそろそろ次の駅に着くらしかった。本屋のあるおれの目的の駅だ。

「もうひとつ言うとすれば」

おれの横で悔しそうにしている女子を男の薄茶色の瞳がゆるりと捉える。なぜだか楽しそうな様子でまたくすりと含み笑った男に勘違い女が上半身を引いた。男だが美人のそういった顔はなかなか迫力があるものだ。この場合は色気とも言うのかもしれないが。何を言うのだろう、おれはぼんやりとその男を見下ろした。男はおれを品定めするように下から視線で舐め上げた。

「こいつにも、相手を選ぶ権利はあるだろ」

「え」

その言葉に一瞬、おれと女、加えて言うならこの一連の過程を見ていた周辺の乗客までもが一瞬意味を分かりかねてぽかん、とした。おれはいち早く我に返ったが周りはまだ唖然としている。まぁ確かにおれは極度の面食いだとかそういうのではないがこの勘違い女は正直タイプではない。見た目の美醜についてとやかく言うつもりはないがつまりそういうことだろう。

遠まわしにこの男、勘違い女をブスだと言いやがった。

男がまた愉快そうに笑ったその時に、タイミングよく車両アナウンスと共にドアが開いた。降りなきゃ、そう思ったがこの状況を放っておいていいものか少し思案していたら、目の前の男がゆらりと立ち上がった。見た目通り身長の高い男だ。

「降りるぞ」

「え、あんたも?ってかいいの?」

「来い」

「えぇ」

少し渋ったら左手を引かれた。そのままされるがままにしていると、おれが出るのを待っていたかのようにドアが閉まる。電車の中はまだ騒然としていたようだ。そのまま走り去っていく電車がなんだか少し面白かった。

電車を見送って左手をつかむ男に向き直れば、男は隈を湛えた目でこちらを見据えていた。ともあれ、この男には助けられた。

「えっと、ありがとう、あんたがいなかったら冤罪でしょっ引かれてた」

「いや、いい、痴漢冤罪は逃げるが勝ちらしいしな、それより一緒に降ろしちまったが次の電車は…」

「あぁ、おれこの駅だから大丈夫、あんたは?」

「おれもここだ」

奇遇だな、なんて男が微笑む。本当に綺麗な顔をしている。目の下の隈と細身な体が相まって儚美人のような印象がある。相手は男だからそんなことを言っても嬉しくないだろうけれど。そうか、なんて言いながら駅のホームから階段を降りる。

「あ、じゃあもしこれから暇だったら飯でも奢らせてくれない?」

「…悪いな、今から知り合いと用事があるんだ」

儚美男はおれが飯に誘ったことに少し驚いた様子だった。断られてしまったし、やはり少し図々しかったのかもしれない。じゃあお礼はどうしようか、なにか手土産的なものにすれば知り合いと食えるだろうか。そんなことを考えながら階段をおりきった。そうだな、と首を傾げると男は少し焦って口を開いた。

「飯に行くのが嫌なわけじゃねぇ」

「ん?そう?それじゃあ別の日とか空いてたら…」

「明日なら、空いてる」

「お、よかった、じゃあ連絡先がいるよな」

えっと、とポケットから携帯を出せば男もそれに倣った。林檎社の最新機種だ。すごいな、と思いながら自分の連絡先を画面に表示して見せる。

「悪いけど、一回ここに掛けてもらっていい?」

「ん」

男がポチポチと番号を押していくと、おれの携帯が震えた。相手の発信画面からしてちゃんと通じたらしい。その番号を登録する。

「あ、名前なんて入れればいい?」

「…トラファルガー・ロー」

「わかった、ローな、おれはミョウジ・ナマエ」

「登録した」

とんとん拍子に事が進む。これで明日ちゃんと連絡が取れるから礼もできるだろう。さて何を食いに行こうか、と一瞬考えを巡らせるが、相手には用事があったことを思い出した。

「じゃあ明日の昼過ぎに連絡するな、晩飯食いに行こう」

「わかった、待ってる」

「うん、本当にありがと、助かったわ」

「あぁ、それじゃあな、ナマエ」

「おう!知り合いによろしく!」

改札を抜けてローは西口、おれは東口に向けて歩く。そうして安心してふう、と一つ息を吐いた。ローが電車の中で助けてくれなかったらおれは今頃お縄頂戴だ。んん、と伸びをしながら本屋に向かって歩く。そうだ、こんな面白い出来事があったんだ、誰かに話したい。おれはくすりと笑って携帯を取り出した。通話履歴の一番上を適当に叩く。ワンコールで出るこの男は、流石に暇らしい。

「あー、もしもしキッドー?」

『何だナマエかよ、何か用か?』

「今めっちゃ面白いことあってさ、話したくて…」

『ユースタス屋!』

『何だよおせーぞテメェ』

『お前の事はどうでもいい!今!今とんでもなく良いことが起きた!聞け!』

『あー?おい、また後でかけ直す』

「ん、わかった、友達?」

『そんなとこだ、じゃあな』

「ん、じゃーね」

プツ、と電話の接続が切れる音がした。どうやらキッドは友達と待ち合わせしていたらしい。まぁいっか、おれは携帯をポケットにしまって本屋に向けて歩き出した。

後に発覚することだが、ローはずっとおれと同じ電車の利用者で大学も同じでキッドの友達。そしてなんとおれに一目惚れしていたらしくずっとおれに接触する機会を伺っていたらしい。付き合っている今となればそんな涙ぐましい努力も可愛らしいものなのだが。





たった3分の恋ものがたり、なんだ



TITLE BY 「確かに恋だった」







- ナノ -