運命に唾を吐け!
ピンクのジョーカー

トラファルガー・ローはポーカーが苦手だ。何故か、と聞かれるとそれはある過去のトラウマのようなものに起因するのだが、今回はそれについて記そうと思う。それは、彼がまだ十歳を少し過ぎた頃の話である。

「ロー、ちょうど良い所に来たな」

「なんだよドフラ…なんだそれ」

ドフラミンゴ、と呼ぼうとして途中で止めた。和気あいあいと騒ぐ声が聞こえたリビングルームのような一室の開け放たれた扉から声をかけられて、ローは素直にその中を覗いた。声の主が彼の尊敬する悪党のドンキホーテ・ドフラミンゴであったからだ。その他の人間に呼ばれたからと言って無視するほどローは捻くれてはいないが、他の誰に呼ばれるより素直に寄って行った自覚はあった。

部屋の中では彼専用の豪奢な椅子に座ったドフラミンゴが長い足を組んでローを手招きしていた。周りには数人の、テーブルを囲む最高幹部を中心とした幹部たちの姿がある。それはいい。それはいつもの事なのだが、傍らに積み上がった「もの」がその場面に異常性を見出させる原因となっていた。

「フフフッ、ほら、こっち来いよ」

部屋におとなしく入ってきたローに困ったような笑みを向けながらドフラミンゴが言った。積み上がった「もの」とは金貨で、まるでカジノの掛け金か、それとも古の財宝のようにいくつかの塔に分けて高く積み上がって照明を反射してキラキラと輝いていた。一目見ただけでもその量の金貨に圧倒され、ローは思わず固唾を呑んだ。その前で組んだ足を崩して不敵に笑うドフラミンゴに、あまり違和感を感じなかったことにも。ドフラミンゴの長い両腕がローの小さい体を抱え上げ、彼の膝の上に招き入れた。

余談だがドフラミンゴは、その悪のカリスマという印象から似付かない子供好きであった。あくまでもそれはローの印象なのだが、よくその膝にベビー5やロー、たまにバッファローも乗せて構っている。最近成長の著しいデリンジャーも膝に乗せないでもないが、あの幼児の場合はそういうふうに構うよりも抱え上げたり玩具で遊んでやったりとそちらの方が多いためにあまり抱えている印象はない。今射殺さんばかりにローをにらみつけているコラソンとはえらい違いである。

「なにをしてるんだ」

「あァ、大人の嗜みってやつだ」

ほら、と積み重なった金貨の塔から一枚、光り輝くそれを抜き取って、ローの白色混じりの手のひらに落とした。こんなに高価であろうものをそんなふうに扱っていいのか、と思いながら、手のひらに落ちてくるだろう冷たさと重みにひ、と引きつった声を上げる。これ一枚でどれくらいの価値があるのだろうか、落として傷でも付けたら、そんなローの懸念とは裏腹に金貨は軽く、金属特有の冷ややかな手触りもなかった。拍子抜けしたローは、いつの間にか肩に入っていた力を抜いて、手のひらの上のそれをまじまじと観察した。

「……メダルチョコ?」

「食っていいぞ、おれァあんまり甘いもんは得意じゃねェからな」

本物だと思ったか?と愉快そうに笑うドフラミンゴに図星を突かれて、思わずむっつりと口を引き結んだローは手元のメダルチョコと、ドフラミンゴの膝の上から覗ける高さになったテーブルの上を見比べた。どうやらカードゲームの最中らしい。ローが最初に抱いたカジノのようだ、という印象は遠からずと言ったところで、伏せて散らばったカードの横にはメダルチョコが数十枚綺麗に積み上げられていた。幹部たちの手元を見るとガードが五枚ずつ、ローの少ないカードゲームの知識ではそれがおそらくポーカーだろうという推察しかできなかった。

「ポーカー?か?」

「ん?知ってんのか?」

ドフラミンゴは余裕綽々とカードから目を逸らしてローと話すことに本腰を入れ始めたようだ。ポーカーとはそんなにつまらないものなのか、と軽い疑問を抱きながらこくり、と一つ頷いて、ローはドフラミンゴのスーツに包まれた腹を背もたれのようにして座った。ドフラミンゴの手札がローの視点からでも見える。ず、とドフラミンゴがメダルチョコの塔をテーブルの真ん中よりに押し出すために屈んで、ローにその手札がより見やすくなった。

「コール」

「……」

そうして一瞬それを見た事を後悔して表情を強張らせた。今この衝撃を顔に表してはこのゲームを台無しにしてしまう。そっと帽子をずり下げて表情を隠すと、それに気が付いたのかドフラミンゴがその帽子の上からくしゃりと髪を撫でた。

その手元、五枚のカードは恐らく、一枚も取り替えないでも勝てるカードだ。否、ローが遊びでやったことのあるポーカーの知識でも分かることだが、あの役は。

ハートのキング、ハートのクイーン、ハートのジャック、ハートのエース、そして、ジョーカー。

ロイヤルフラッシュ。その手に揃ったことも無い、揃ったところを見たことも無いカードが易易とその男の手に収まっていた。全くの偶然と片付けてしまうには余りあるその役に、ドフラミンゴがドフラミンゴたる所以なのかとそんな馬鹿な事を考えてしまう。周りは皆もう役を作り終えているのかドフラミンゴの動向を窺い見ていて、自分が見られているわけでもないのにローは少し居心地の悪さを感じた。ここに来たのは失敗だったのかもしれない。もぞもぞと座り直したローの目の前で、三枚のカードがドフラミンゴの手元から抜き去られていった。

「三枚ドローだ」

「えっ…あ、なんでも、ない…」

目を疑った。詳しくは知らないがロイヤルフラッシュと言えば最強の手札ではなかっただろうか。なぜドフラミンゴはその役を崩してしまったのだろうか。そのまま出しておけば恐らくここでカードを手にしているうちの誰もドフラミンゴに歯が立たないものだっただろう。思わずそのようなことを口走りそうになって、幹部の注目を集めてしまって無理矢理にごまかした。悪い大人の注目が集まるのはローにはまだ少し慣れない事だった。

「フフフッ、お前ら、そんなに見てやるなよ」

その中でも一番の悪い大人がローを擁護する。何故か勝てる手を捨てたドフラミンゴはしかし当然のように余裕そうで、もしかしたら他に誰か勝たせたい相手でもいるのかと思うほどだ。カードを手にした最高幹部がにやりと笑って挙ってローに構ってくる。

「ドフィにはさっきから持って行かれてばかりだからな、少しでも情報が欲しいところだ」

「べへへ〜、ねぇねぇロー、そこからドフィのカードが見えるだろ〜?」

「っ」

ずい、とトレーボルが顔を寄せてくる。それなら自分でカードを覗けばいいではないかと思うほどに近付かれて思わず身を引けば、とん、とドフラミンゴの硬い腹に背中がぶつかった。ドフラミンゴは残った二枚のカードをローに持たせてトレーボルに向かってくい、と指を動かす。

「ほら、怖がってんだろォが」

あくまでも窘める程度にそう笑いながら、大男を椅子に戻す。ドフラミンゴの膝に椅子のように腰掛けて、腹を背もたれにしたローはカードを周りに見えないように顔の近くで持った。そんなに緊張すんな、と帽子にもう一度大きな手のひらが乗る。

「っていうか、おれは怖がってなんかないからな」

「はいはい、将来の俺の右腕がこんな事で怖がってたらいけねェもんな」

「……ふん」

減らず口を叩いても戯れるような声が面白がって調子を狂わせてくる。むぅ、とむくれながら手渡された二枚のカードに視線を落とした。

ハートのキングと、ジョーカー。

そのカードを見てふと背後の男の通り名を思い出した。ジョーカー。その名に恥じずに番狂わせでトリッキーな男だ。絵に書いたピエロが玉に乗って笑っているが、それもドフラミンゴがいつも浮かべている笑顔のようだった。食わせ物のこの男に調度良い名だ。

ハート、その記号にも思い当たる人物はいる。それはもちろんローの嫌悪するコラソンである。正直他人を思いやる心があるのかと思うくらいなんの躊躇いもなくローやバッファロー、女であるベビー5にまで暴力を振るうのだから正直ハートとはかけ離れた男ではないかと思っている。

この二人は兄弟だという。全くの偶然であるがローはこのカードを見てドンキホーテ兄弟を思い浮かべた。

「……なるほどなァ」

頭の上からドフラミンゴが呟いたのが聞こえた。どこか落胆したようにローに残りの手札を押し付けてきた男に抗議しようと思って口を開くが、その手渡された手札に思わず口を噤んだ。

「………」

「どうした、ドフィ…今回は駄目だったのか?」

甲高い声でピーカが尋ねる。どことなく嬉しそうなそれにドフラミンゴは一瞬肩を竦めてみせた。表情はさっきの笑顔と打って変わってムッツリと口を引き結んだものだ。

「おれからだな」

明確には答えなかったドフラミンゴのカードを悪いと見たのか、ディアマンテがにやりと笑って五枚の手札をテーブルに並べた。8のスリーカードだ。そこから左回りに順に幹部たちが賭けを降りた者を抜かしてカードを出していく。そうしてあっという間にドフラミンゴの番が回ってきた。ドキドキと胸を高鳴らせてテーブル上を見守っていたローは、出しても良いかと無言の合図を出すためにドフラミンゴをちらりと見上げた。その瞬間、不機嫌の仮面を被っていたジョーカーのピエロがそれを取り払って、口の端をにたり、と釣り上げた。

「おれは負けねェよ、なァ、ロー」

どくり、と胸を高揚感と畏怖が占める。強力な手札を捨てて、手に入れられる確信のない最強の手札に手を伸ばす男の貪欲さに。狙ったものは手に入れる、その天に愛された才覚に。ごくり、と固唾を飲み込んで、ローはテーブルの上にカードを扇型に置いた。にたり、とジョーカーの名を持つ男が、スートのそれぞれを名乗る最高幹部を視界に映しながら笑んだ。

「『おれ』には『おまえら』がついてるから、負けることなんてありえねェんだ」

フフフッ、と、楽しそうに息を弾ませて笑ったドフラミンゴに、表情を強張らせた幹部たちはそのカードを目に写したまま目を見張っていた。カードを手渡された時、声を出さなかったことを褒めてほしい。ローは、純粋に思った。頭の上から手渡されたカードはクローバーのキング、ダイヤのキング、スペードのキングだったからだ。キングのフォーカードに、一枚のジョーカー。実質ファイブカードのその手札に勝てるものは揃った役の中には存在しない。それぞれのスートのキングに、祭り上げられているようなジョーカー。正しく最高幹部と王たるドフラミンゴの姿を表しているようだった。

「またおれの一人勝ちだが…そろそろ勝ち逃げさせて貰うとするぜ」

言うが早いかドフラミンゴは膝のローを片手で抱え上げ、掛け金として置いてあったメダルチョコを掻っ払って大きな袋に入れた。どうやら元々全てのメダルチョコが入っていたらしいその袋にはドフラミンゴの取り分である大量のメダルチョコが収納された。

「あァ、ちなみに手元のメダルチョコは約束通り後で一枚百ベリーでおれのポケットマネーから換金するからな」

『ドフィのはどうする』

「おれのはガキ共が山分けだ」

「まったく、今回はドフィにしてやられたな」

「楽しかっただろ?許せよディアマンテ」

サンタクロースのようにメダルチョコ入りの袋を担いだドフラミンゴは、そう言い残して快活に笑って部屋を後にした。後で聞いた話だが、一人で任務をこなしていたドフラミンゴが通りかかった街で、駄菓子屋がメダルチョコの発注ミスで苦しんでいたらしい。彼はそれを面白いと笑い飛ばして多い分を買い占めて帰ってきたという。幹部達に何に使うんだと責め立てられ賭けトランプの話を思いついたのだが、何分幹部たちが弱くて話しにならなかったのだそうだ。

ベビー5とバッファロー、生まれて間もないように見えるが歯の生え揃ったデリンジャー、そうして、ロー。ついでにお前もガキだと巻き込まれたグラディウスにもメダルチョコは配布された。手放しに喜ぶ子供と尊敬する悪人からものを貰って歓喜に打ち震えるギリギリ子供。しかし、そんな中でどうやってドフラミンゴがポーカーの場でこのチョコを集めたか知っているローは手放しで喜ぶことが出来なかった。ポーカーとは、恐ろしいゲームだ。人間の異常性をそのままカードに表してしまう、そんなゲームなのだ。

ベビー5に笑顔でメダルチョコの包装を向いてやっているドフラミンゴを見て、自分もチョコレートを口に放り込む。やはりこの男は、悪のカリスマだ。神から、世界から、そうあるべきと決められた悪人なのだ。その特異性を目の当たりにした気分になって、ローは強張った表情でチョコレートを噛み締めた。

本当はただ身内にはそのチョコレートのように甘くて、運が良いだけの男だというのが事実なのだれけど。ジョーカーとはもう一枚のカード、相手さえいれば何にでも変わることが出来るカードである。









- 5 -
[] | []

[ top ]
- ナノ -