運命に唾を吐け!
ある日の撃鉄

ドンキホーテ・ドフラミンゴが熱を出した。

最初こそ部屋には誰も入れるなと強がって閉じこもっていたらしい。だが代わる代わる部屋を訪れるファミリーに諦めたのか、今は殆ど部屋は開放されている。開放されている、と言えど部屋の扉は加湿のために閉じられているがその程度だ。その部屋の中には駄々をこねたベビー5が世話役として常駐しているらしい。

敵の弱みは握っておくに限る。おれも一応スポーツドリンクなんてものを持ってドフラミンゴの部屋を訪ねた。のだが。

「あ!コラさん!」

部屋の扉の前に立って心の準備をしていれば、その最中にガチャリ、と重厚な扉が開いた。突然の事に目を見開けば、膝辺りから声を掛けられる。鈴のなるような可愛らしい声で呼んできたのは、ドフラミンゴの世話でこの部屋に入り浸っているベビー5だった。思わず少し仰け反れば、なにをしているんだろう、と言った奇怪なものを見るような目で見られる。その目の前に筆談用のメモを差し出した。

『ドフィは』

するとその目がまんまるに開かれる。何を驚いているんだ、とこちらも怪訝な顔になれば、その丸い目がすっ、と細められた。それこそ、子供とは思えない目つきだ。なんだ、少し怯めば先程より低い声で問い詰められた。

「…コラさん、今まで何してたの」

今にも手をサバイバルナイフにでも何でもして襲い掛かってきそうな形相だ。その質問に答えないと命が危険そうだったので紙面で答えることにした。

『しごと』

「…じゃあ、しょうがないけど」

納得したような口振りだが、目はまだ睨みつけるようなそれだ。しかしベビー5はドアの隙間から出て、それから後ろ手にドアを閉めた。なぜおれが今から入るのに閉めたのだろうか、と不思議に思っていると、口の横に手のひらを当ててひそひそ話のように小声で言う。

「わたし、今から若のおかゆ作ってくるから、コラさんがここにいて」

なんでおれが。ベビー5に思わずそう反論しそうになって踏みとどまる。この子供に話しかける訳にも行かないし、なにより万が一そんなことを口走ったとしてもあらゆる武器でたこ殴りにしにくるだろう。幼女に敵わないと思ってはいないが末恐ろしいことだ。

『わかった』

「じゃあお願いね!いい?病気の人っていうのは弱ってるんだから、一人でいるのは寂しいのよ?」

腰に手を当ててぷりぷりと怒るベビー5にもう一度『わかった』と書いた紙を付き出して追い払う。何を馬鹿なことを。病気の人、なんてあのドフラミンゴに当てはまる訳がないのだ。ドンキホーテ・ドフラミンゴは、最高幹部に言わせれば「王」で、おれから言わせれば「化け物」で「悪魔」なのだから。そっと懐を押さえて、そこにあるピストルの存在を確認した。

ドンキホーテ・ドフラミンゴ。ドンキホーテファミリーの頭たる人物でおれの兄。そして、敵だ。今体調を崩して弱っているというなら、これ以上の好機はない。このファミリーで最も戦闘力の高いドフラミンゴを討てば、絶対のカリスマ性で成り立っていたこのファミリーを根本から崩すことが出来るはずだ。表情を引き締めて自分の胸に手を当てた。

「……凪」

ドアを開けると、壁際の大きなベッドに長身の男がその体を横たえていた。普通の人間の倍近くある身の丈に相応しいベッドだ。胸辺りまで掛けられた布団から出た左手は力無く下ろされ、右手は目元を隠すように掌を上にして顔に乗せられている。風邪と聞いていたが、いつもの溌剌とした姿とのギャップでそれよりも重症に見える。眠っているのだろうか、少しだけ呼吸が早いが反応はない。ドアを閉めて、音がしないのをいいことにそのまま部屋の中に入った。今はおれの影響で出る音は全て消えている。

ドフラミンゴの寝るベッドサイドで、そっと足を止めた。この男をこのまま撃ち殺せば、全てが終わる。おれの任務も、このドンキホーテファミリーの蹂躙も、そうして、兄の人生も。そう考えると、どうしても手が震える。

あの日父親を殺した兄。ボロボロと泣きながら父親の首に拾い物の錆びた鋸を突き立てていた兄。血の海の中で、嗚咽しながらそんな酷い事をしていた兄。考えれば考えるほど普通の子供のした事とは思えない。天竜人でも覇王色の覇気を持っていたとしても、それ以前に人間という種族の子供は、そんなことをするだろうか。だから、この兄は人ではないのだろう。悪のカリスマと呼ばれるに相応しい、生まれながらの悪魔か何かだったのだろう。

それでも、小さく無力だった自分を抱き締め守ったのも、この男だった。家で待っていろと毎日出かけて行って、傷だらけで帰ってきて生ごみ同然の食料を持って帰って来てくれたのも、この兄だ。ひどい怪我をして帰ってくる時は決まって焼きたてのパンを持って帰ってきた。盗みも働いていたらしい。自分はほとんど食べずにそういう時は「腹が減っていない」と、今になっては見え見えの嘘でおれにパンを押し付けてきたものだ。

「おれは腹が減ってないから、ロシーが食べてくれ」

「…おれ、パンはきらいだもん」

「ロシー、次はいつこんなまともな飯が食えるか分からないんだ、我儘を言わないでくれ…」

見え透いた嘘に、見え透いた嘘を返して、結局はそうやって兄弟肩身の狭い生活をした。兄が守ってくれるから、おれはそうやって、たまに迫害を受けて暴行されるほかは殆ど不自由がなかったように思える。そんな風に弟を守っていたようなこの兄、ドフラミンゴも、今となっては、もう。

(…あにうえ)

兄上。どんな人間でも、かつて自分を守り、愛し、優しくしてくれた、たった一人の家族なのだ。だから、家族の暴走は家族であるおれが止めなくては。

もう、これ以上この人に罪を重ねて欲しくない。

懐に手を差し込んで、冷たい感触を確かめて握る。正義の名の下に幾度も引き金を引いた銃だ。ファミリーの幹部としても、何度か。それを力無く横たわる兄のちょうど左胸に、外さないように近付けた。

「…う、……」

その瞬間、呻くような声が下から聞こえて思わずびくり、と銃を引く。こいつ、起きていたのか。しかし目元は隠れているのでまだ何とかなると思い撃鉄にかける。本当なら軽い音がするはずだが能力で消してあるので、ドフラミンゴには悟られないだろう。

「……たす、て……」

喘ぐ様な声が、意味を持った言葉になっていく。寝言なのだろうか、それとも意識が重いことから出る譫言なのだろうか。そこが分からないが、ともかく早く撃ってしまうに限る。この言葉を聞けば、きっと、引鉄にかかった指が。

「…おと、うと…だけ、は…」

動かなく、なってしまうから。

ぎり、と唇を噛んで、思わず銃を床に投げ捨ててベッドの下に蹴り込む。能力を解除して、ドフラミンゴを見下ろした。きっと今おれはひどい顔をしているだろう。あんな目に遭えば、守ってくれる人間がいなくて、それなのに自分より幼い弟がいれば、襲って来る人間がいれば、当然なのだ。憎むに決まっている、殺したいと思うに決まっている、また、家族を求めるに決まっている。

おれはこの人から離れてはいけなかった、最初から。滲んだ視界を誤魔化すように兄上のだらりとした手をとる。ぴくり、と手が動いて、顔の上の腕が少しだけずらされる。目を、覚ましたようだ。

「……ろ、し…?」

(…あに、うえ)

声が出せないと嘘をついた唇で、そう呼ぶ。ぼう、とした目で見上げてきた兄は、ゆるりと唇で弧を描いてあの頃と変わらない笑みを浮かべた。









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