寂しがる
※「fxxk you bitch!!!!」の少し前、事後匂わせ
「魔法使いになりたい」
ボクサーパンツってこんなにぴったりしてたっけ、なんてぼんやりと思った午後。遮光カーテンはぼんやりと互いの顔が分かる程度にまで部屋の中に影を作る。まだどこか情事の熱が籠る部屋に、思わず半袖のシャツの胸倉を掴んで前後に揺らしてぱたぱたと風を取り込んだ。おれの背中側、まだ何も着ていない状態でシーツに身を預けているローが少し身じろいだ気配がする。
「…童貞だったのか?」
「そういう魔法使いじゃねぇわ」
く、と喉の奥で苦笑する。生憎とそんな貞淑さは持ち合わせていないので。ハジメテなんていう眩しいものはいつかのどこか、誰だったかもすぐに思い出せないひとにあげた。あげた、のか押し付けたのか、相手の受け取り方にもよるだろうけど。
寧ろ今日が初めてだったらよかったのかもしれない。男とは得てして相手の「初めて」の相手になりたがるものだ。おれの初めての体験をこの男に譲り渡しでもしておけば、いくらかは分かりやすく執着や愛着を持ってくれたのだろうか。
「魔法、使えるようになりたい」
「魔法なんて」
おれの阿呆な発言に、ローの硬質な声が被さる。思わず目を丸くし、上半身だけ振り返ってその顔を見遣れば、仰向けと横向きの中間のような格好でこちらを見ている彼の目も丸くなっていた。自分の思ったより強い口調になってしまったのだろう。なんとなくそのままお互い言葉もなく見つめ合えば、気まずそうに視線を逸らしたローが、観念したように口を開いた。
「魔法なんて、ねぇよ」
吐き捨てるようなその言葉は、ギリギリおれに届いて、その後失速して床に転げ落ちたように思える。中身のない、空虚な言葉だった。
「そうかな」
「催眠術やマインドコントロール、マジックなんかをそう呼ぶなら話は別だが」
「んー…そういうんじゃないんだけどさ」
かっこ自嘲、が付きそうなおれの声色。涙が乾いたあとに睫毛が目の下に張り付いたローの目を見る。その睫毛がこんなにも長いことだって、ごつく骨っぽく見える身体が意外と部分的に華奢なことだって、クールで真面目そうなのに意外とその頭は馬鹿なことを考えることもあるんだって、その声はいつも低いのに、おれがいとしげに触れると堪え切れないように上ずることだって知っている。知っているのに、なぁ。
「魔法使ってさ、欲しいもの手に入れたいの、おれ」
希望に満ちた言葉のはずなのに、全くそう聞こえないのは、やっぱり魔法なんてないことが分かっているからだ。そうだよなあ。だって、今頃魔法なんてものがあったら、魔法なんてものが使えたら。
「何が欲しいんだ」
そう、そうやってなんの心当たりもないような顔をしている、ロー。お前の心もずっと捕まえておけるんだろうに。何が欲しいんだ、なんて真面目くさった顔で聞くこの男は、おれが一番欲しがっているものが自分だなんて想像もつかないのだろう。
「あ〜…和牛一年分…?」
動いて腹が減ったから、適当に食いたいものを上げる。まぁ確かにおれの財布事情では手の届かないものだし、魔法が使えるならぜひ心置きなく食べてみたいものだ。ローは一瞬何か言いたげに押し黙って、それから心底呆れたような表情で溜め息をついた。
「…魔法使えるんだから食いたい時に少しずつ出せばいいだろ」
「そっか」
そうだ。適当なことを言うとこんな風にくだらない答えが返ってくる。それが、堪らなく幸せで、堪らなく切ない。
これは、この男は、おれのものではない。こんなに近くにいて、誰も見たことのない姿を暴いて声を聞いて。間違いなくおれが一番良く知っているはずなのに、おれのものではないのだ。そんな事実が喉の奥に詰まって、く、と引き攣った嘲笑い声が出た。
「ロー」
「何だ?」
その首についた赤い印が、おれの名前になればいいのに。そうしてずっと消えなければいいのに。その案外細い足首に、おれの部屋から出られなくなる枷でも付けられればいいのに。その喉がおれの名前以外呼べなくなってしまえればいいのに。その蜂蜜色のような目が、おれ以外を映さなくなってしまえばいいのに。
そんな、馬鹿みたいな、魔法でも使わない限りあり得ない願望を、独占欲を、口になんて出来ない。だってローは、きっとこんな風に窮屈に縛り付けられるのは嫌いだろうから。檻に閉じ込めて鎖に繋いで、そんなことをしたらいつの間にかするりと抜けてどこかへ行ってしまうのだろう。それはこの男がいつどこに消えてしまうか分からない、という不安に晒され続けるよりも耐え難い事だ。
「ロー」
全てを言葉にする代わりに、もう一度名前を呼ぶ。なぁ、魔法じゃなくてもいいよ。気まぐれでもいい。何でも良いから傍にいてくれ。おれの考えていることなんて微塵も伝わっていないらしいローは、だからなんだ、と甘く掠れた声で笑った。