企画


「おい、名前」

「ん?どうかしま…っ!?」

名前を呼ばれて振り返ったおれはついコーヒーを入れようと持っていたお気に入りのマグカップを持った手を緩めた。ゴッ、と鈍い音がしておれの足の甲に落下する。思わず声にならない声をあげてしゃがみ込んで、それでも目の前の人物から目を離さずにいれば、その人は…いや、その子はこちらをゴミを見るような目で見ていた。氷のような視線だ。確かになんか聞いたことのない声だとは思った。思ったけどなんかほらこんな事態だとは思わなかった。船長の言葉を借りるとしたら「完全に想定外」だ。

「…な、なな…!!」

「名前、お前は分かってくれるよな」

「ぼ、ボクはもしかして船長の 隠し「Room、タクト」ぎゃふん!」

船長の隠し子かな、と問いかけようとすると床を転がったマグカップが宙を舞う鈍器と化して頭部を殴打した。これはオペオペの実の能力だ。患部を抑えて悶絶すると、おれが直立してちょうど腰あたりの身長の隈の酷い子供…船長がふん、と鼻を鳴らした。

「船長…ですよね」

「おれに隠し子はいねぇ、第一おれにはお前だけだ」

「やだこの子イケメン…トゥンク」

「きもい」

バッサリと褒め言葉が一刀両断される。酷い!と喚けば船長は呆れたようにもふもふの帽子を被った頭に呆れたように手を伸ばす。その仕草こそいつも通りだが、何分見た目がどう見ても二桁にも届いていないので大人びた動きに多少の違和感を感じる。そうしておれは第一にと船長に重大なことを尋ねた。

「で、どうして縮んでるんです?」

「新薬の開発中に薬が爆発した、明日には戻る」

「あれ?うちの船長ってマッドサイエンティストだったっけ?」

「外科医だバラすぞ」

「わー最先端医療の礎に自ら名乗りを上げたんですねさすが我らが船長医者の鑑!」

うふふ、なんて一秒もかけずに手の平を返すとまた心底見下した目で見上げられた。とてもややこしい事態だ。でもまぁ、本人が明日には戻ると言っているのだから心配することもないだろう。おれはとりあえず床に転がるマグカップを拾い上げてざっと水洗いして、それから背後の戸棚から船長のマグカップを取り出した。

「飲みます?あ、コーヒーですけど」

「いる」

「じゃあ座っててください」

「あぁ」

船長はそう返事をするなりとてとてと頼りなく歩いてキッチンから一番近い椅子に近寄ったので、その様子を何気なく見守る。たまに夏島や暑い気候の時に着ている船長の黒いポロシャツが今はマキシ丈のワンピースのようだ。恐らく一番軽い素材の衣服がそれだったのだろう。椅子に辿り着いたキャプテンは一瞬その前で立ち止まった。なぜだろう、と首を傾げて間もなく思い至る。

あ、子供の座れる高さじゃない。

「……」

「……」

本来ならここで手を貸すべきだ。もし万が一椅子がひっくり返ったりして船長の身に何かあったらまずいし、椅子に座る程度で無駄な体力を使う必要もない。ただ、少し悪戯心が湧いたというか、なんと言うか。

(小さい船長が椅子よじ登るところ見てみてぇ…)

ちょっとうずうずしたこの好奇心には勝てなかったわけだ。じ、とその背を見つめると、視線に気がついたのか船長がゆっくりと振り向いた。その表情は下唇を突き出してどこかムッとしているように見える。子供が拗ねているようにしか見えずおれは思わず笑ってしまった。

「…おい、名前」

「ふふ、なんですか」

「……ん」

微笑ましいなぁ、なんてニッコニコ笑って小さな船長を見ていたおれは、船長がこちらに両手を差し出してきた意味が、一瞬理解出来なかった。

「…?」

「…わからねぇのか?」

「……コーヒーさっさとしろってことですか…?」

今作ってますからもう少し待ってくださいね。そう笑ってからマグカップとコンロの方に向き直る。しかし背後からの何か言いたげな視線は止まない。どうしたのだろう。コーヒーの催促ではなく他に何か言いたい事があるのだろうか。振り返れば両手をこちらに差し出したまま少し俯いていた船長が勢いよく顔を上げた。それからおれと視線がかち合うと、言葉に詰まってからその柔らかそうな頬がじわりと赤く染まった。

「…名前」

「どうしたんですか?」

「…名前…っ、はやくしろ…」

「!!!?でぇっ!!!?」

一瞬邪念に囚われたおれに対して、マグカップが本日二回目の足の甲へのセルフ制裁を下した。いやそんな顔を赤らめてはやくなんて言わないでくださいよってか落ち着け今の船長は子供だから。推定一桁若しくは二桁超前半だから…!ウオォ…なんて呻きながらマグカップを拾って立ち上がってカウンターに置いてから、船長に一歩歩み寄った。いつの間にか頬を赤らめていたはずの船長の顔は塩を掛けられてもがき苦しむナメクジを見るような目になっていた。悲しい。

「は…はい、ちょっと待っててくださいね…!」

そっと、久しく子供になんて触れていないから力加減が分からず高級なツボでも持ち上げるかのようにそっと船長を抱き上げる。海賊やってたら子供から「ママー、みんなお揃いのお洋服きてるー!」「シッ!見ちゃいけません!」的な視線は頂いても実際に戯れる機会なんてない。冷や汗すら掻きながらゆっくり一歩踏み出せば、つまらなさそうな顔をした船長がおれの肩をどん、と押した。

「うわぁぁぁあ!?ちょっと何するんですか船長ぉぉお!!」

危ないじゃないですか落ちたらどうするんですか全身骨折ですよ今あんた子供なんですよ!バランスを崩しておれの腕の中から転がり落ちかけた船長を咄嗟に抱きしめて喚けば、おれの肩に顔を埋める格好になった船長がくく、と笑った。少なくとも子供の笑い方ではない。不審に思って顔が見える位置まで船長を引き剥がせば小さな手で口元を隠して笑っていた。

「焦り過ぎだ、くくっ、おれはお前の宝物か何がか?」

愉快そうに言った船長に溜め息を吐く。おれの抱き上げ方が頼りなかったからってそんなに笑うことはないだろう。初めて赤ん坊を抱き上げる父親だって「ちょっとパパ抱き方がなってないわよ!」と母親に怒られるなんてことはよくある話、らしいし。まったく酷い人だな、なんて思って口を開いた。

「何言ってるんですか、船長はもともとおれの宝物でしょう?」

それどころかハートのクルーは皆船長のことを宝物よりも大事に思っているのだ。こんな所で船長を落っことして怪我なんてさせたらどやされるだけじゃ済まないだろう。それにおれ個人としても大事な恋人様に怪我を追わせるなんて不本意だ。

ぽかん、と口を開けて目を丸くした船長は、どことなく歳相応…見た目年齢相応に見えて、申し訳ないが少し笑ってしまった。じわり、と柔らかそうな頬が赤く染まる。いつもは格好良いみんなの船長だけど、今日はかわいいなぁ、なんて独り言のように呟くと、船長はおれに頭突きをするように顔を埋めた。

「船長、椅子、座らないんですか?」

「……いい」

「コーヒーは」

「いる」

「さいですか」

気付いたらおれの腹に足まで絡めてぎゅうぎゅう抱きついてくる小さな船長は、親に甘える子供みたいだ。腹に引っ付く船長にしては高い体温。しょうがないなぁ、なんてまんざらでもなく苦笑して、おれはどうにか片手でコーヒーを入れるべくカウンターの方に振り返った。

あぁ、でも船長…今は子供だからココアの方がいいのかな。






リュウ様、リクエストありがとうございました!






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