名前は、何をするにも容量の良い男である、とトラファルガー・ローは思っている。人と仲良くなることも、戦うことも、誰かを笑わせることも、料理を作ることも、絵を書くこと、文章を書くこと、果ては裁縫や計算なんかまで、とにかく何をするにも達人や超人の域は超えないが、平均は絶対に超える。名前という男はつまり、お調子者で器用貧乏なのであるとローは理解していた。
対してトラファルガー・ローという人物は戦闘、医術、交渉、軒並みの学問に秀でているが、人と明確な目的のないコミュニケーションを取ることはあまり得意ではない。料理も自分の好物であるおにぎりがあれば栄養バランスはともかく最低限生きていけると思っているし、裁縫をするくらいなら服を買うしそれが傷んだら捨てる。
つまり得意なことに対しては超人的な能力を発揮するが必要のないことに対してはてんでダメと言っても過言ではない、極端な人間である。必要なことはこなせるためあまりそれが周囲に露呈することはないが、ロー自身はなんとなく自分がそんな人間なのではないかと理解している節もある。
「……名前」
「何ですか?」
「………いや、何でもない」
「え、気になるなあ」
「…何でもない、気にするな」
「言わなきゃ気になってキャプテンに梅干し提供しそうです」
「…………これは誰だ」
「あれ?キャプテンに見えません?」
ある日突然名前が始めたクルー交換日記。彼の手元にはそれがあった。言い出しっぺの名前が一ページ目に日記を書き殴り、それから一日ずつクルーを周り、とうとう巻き込まれた船長の番を終えて、また一番の名前の手元に戻って来た所だ。名前な日記の内容なんて、明らかに阿呆丸出しな物だったのだがその下に書かれていたローの絵が本人そっくりで再び名前の手元に戻って来るまでに何人からもお褒めの言葉を預かっていた。
その名前が描いたローの絵というのは首から上の似顔絵で、不機嫌なときに見るような厳しい表情のものだった。眉間にしわを寄せていて今にも中指を立てるか鬼哭を抜き払いそうである。
ローは出来るだけ名前の前ではそんな表情をしないよう心掛けている筈だったが、今回こうして紙面に書かれるくらいなのでそれほど彼の印象に残っている顔なのだろう。思わず眉を寄せてしまって、またこの似顔絵の表情になっているのではと思い至ってはっと表情を無に戻した。
名前の中の自分は、いつもこんなしかめっ面なのだろうか。どうして、この誰とでも仲良くなれるような男が、こんな自分を好いているのだろう。考えれば考えるほど、無表情にしようとした顔にまた絵の中の表情が戻るのがわかる。それを振り払うように首を横に振ってから何でもないことのように名前に尋ねた。
「…お前の中のおれは、いつもこんな顔なのか」
「え?いや、いつもじゃないですよ?」
だって、と続ける名前は、そのままぐい、と背中を曲げて下から覗きこむように俯いたローの顔を見上げた。驚いて思わずローが身を引くと、確信めいた瞳のままローの頬に指を伸ばしてくる。
「今キャプテン、泣きそうな顔してるじゃないですか」
どうしてですか、おれ何かしました?名前がそう困ったように呟いた。顔を包むように手が添えられて、名前の親指が出てもいない涙を拭うように隈の少し下をなぞる。ローの瞼がふるりと震えて、それから薄茶色の目が空中を泳いだ。
「してねェ」
「してます」
「…見間違いだろ」
「おれがキャプテンの表情を読み違えるなんてありえません」
「大きく出たな花吐き野郎」
「いやその件は果てしなく申し訳ありませんでした」
へにょり、と眉を困ったように笑ったその男は、ローが好きだという。海賊としての名前は未熟とも言えるが人間として、男としては完璧と言っても間違いではない。そんな名前が(欠点といえばすぐにいろいろな病気を拾ってくるというのがあるが)よりによってそんな名前が片想いを拗らせて病気になってまで思った相手が自分だという。それが少しもったいない気もして、決して自分を卑下している訳でもないローもたまに考えてしまう。
「…おれは、口が悪ぃだろ」
そのローの囁くような小さな声に名前は目を丸くした。何を言い出すんだ、と言うような顔の後に、はっと正気を取り戻して表情を引き締めた。
「遠慮がなくて親しみやすいです」
「ずっと仏頂面だ」
「いいんです、それでもキャプテンは綺麗です」
「お前より強いし」
ローが何を言わんとしているのか、名前は段々と予想がついてきたような気がした。その明晰な頭脳で彼は、たまに余計な事まで考えを巡らせてしまうのだ。それは戦闘などでは抜け目なく働くが、惚れた腫れたの場では、特に名前が相手の場合は考え過ぎなことが多い。
「それはおれがもっと頑張ります」
「好き嫌いが多い」
「栄養バランスが最低限取れてれば文句は言いません」
「…寝ても隈が取れねえし」
「チャームポイントです、とっても魅力的ですよ」
普段は自信家なローの珍しい自己否定を一つ一つ覆すように丁寧に答える。しかし、その優しい声色もローにとってはゆるゆると追い詰められているようにも感じて、段々と声が小さくなって言葉を発するのが躊躇われるような気がしてくる。
「……お前より身長もある」
「その分体重はおれの方があるしまだ成長期です」
「………おれは、男だ」
「キャプテン」
キャプテン、言い聞かせるようにもう一度繰り返した。ゆるりとローの気怠げな目線が上がり名前の真剣な顔を映す。真剣すぎて睨みつけるような名前の目が痛い。名前は左手でまたローの目の下の隈を撫でてから、開いた右手で力なく降ろされたローの左手をとった。その感触を確かめるように指と指が絡められる。
「キャプテン、おれはね、あんたが極悪非道の海賊でもおれよりスペックの高い医者でも好き嫌いまみれの不健康体でも七武海になるために海賊の心臓を百個海軍に差し出すような気違いでも長剣振り回す年上の男でも」
「おれはそこまで言ってねえぞ」
「それでも、そんなキャプテンが好きです、キャプテンに焦がれて死の淵まで突っ込むほど」
「…………」
「そのままのあんたが好きです、何も変わらないで良いし変わろうなんて考えたくていいですよ、変わったら変わったでそこもまた好きになるだけの話です」
そこまで捲し立てるように言われて、ローが完全に閉口する。名前に捕まっていない右手でキャスケット帽の鍔を下げて、それから少し触れられている手を避けるように顔を逸らした。
「…どうしてそこまで」
「おれのことが好きなんだ、ですか?」
ローがそうだ、という間もなく名前はその問に答えてみせる。
「わかりません、それでも、他にどんな選択肢があろうと、おれにはあんたしかいません、ローさん」
「……!!!?」
突然名前を呼ばれて、ローは絶句する。思わずばっ、と音がするほど勢い良く頭を上げると、ふやけたような笑みをした名前と視線がかち合った。
「だからおれも、キャプテンにお前しかいねェ、って言ってもらえるような男になりますね」
「…精々努力するんだな」
「あいてっ」
ぺちん、と、一瞬のうちに能力で手に取った冊子でその笑みを遮断する。酷いじゃないすか!とわざとらしく嘆く名前を更に交換日記で潰せば非難の声が上がった。退けるわけには行かない。今この壁を崩すわけにはいかない。
「…おれにももう、お前しかいねェよ」
「え、なんですか?なんか言いました?」
「今度聴力も診てやるよ」
「そんなに悪くないです」
この男に赤面など絶対に見せてやるものか、ローはそう決意してまた名前の顔に交換日記を押し付けた。
ちなみに数日後、件の交換日記に花が咲くような笑みのローの似顔絵を描いた名前のページが本人の逆鱗に触れ、クルー交換日記は終了を迎えることとなる。折角可愛くかけたのに!と嘆き悲しむ名前と照れて怒り狂うローに、他クルー達はそっと「リア充幸せになれ」と心の中で唱えるのであった。
ルーイ様、リクエストありがとうございました!
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