愛がかたちを変えた日




どうしても、形として残るものがほしかった。
愛してもらえてないとは思っていなかったけども、だからといって、俺はなまえから愛してもらっているという自信は全くなかった。それどころか、そんな不安は彼女と過ごす時間が増えるほどに大きくなっていくばかりで、そんな杞憂ともとれるようなものが俺の中を大きく占めるようになっていた。それは、彼女が俺の知らないところで男の影と思わせるようなものをほのめかすようになってからも、さらに俺を支配していった。
いけないこと、倫理から大きくそれた行動であるということ、それが犯罪であることは重々に承知していたけれども、もっともおかしいことに、それを犯してしまうほどに、俺はなまえのことが好きだった。
だから、同棲を始めて同じ屋根の下で生活を続けるようになって、同じベッドで眠ることが当然になったその日から、いけないこととわかっていても眠る彼女にそういうこと、をするようになった。眠る前に淹れてあげる飲み物にこっそり睡眠導入剤を混ぜ込んで、なまえの眠りが深くなるようにしておく。それから三十分から一時間ほどすれば彼女はふわふわとした感覚に襲われて眠りにつく。それをもう少しだけ時間をおいて、名前をよんだり、ほほを軽くぺちぺちと叩いて、反応がないことを確認してから、キスをおとしたり、胸を弄ったりしてから、挿入をして中に出す。「孕め、孕め」と何度も思いながら、寝込んだままの彼女を幾度となく襲ったのだった。
欲求不満だからという理由よりは、一刻も早く孕ませて俺のもとに置いておくことが目的だった。それに、ふつうにセックスするときは、ゴムをすることが約束だし、そういうことにしっかりしている彼女の目を盗んで穴をあけたりやら、うっかり生で出しちゃった!みたいな冗談は、不器用な俺には明らかに向いていなかった。
そこまでして、なまえが欲しかったわけではあるが、今はもう俺のもとにはいない。そんな俺に対する罰なのか、彼女は俺が眠っている間に、行き先を告げることなく消えてしまった。


いつものようにお昼前に起きてから、朝食とも昼食とも呼べない食事をとって、顔を洗い、髪型をいつものようにキメて、表情もキメて、一張羅に着替える。最近マミーからもらったお小遣いをほとんど叩いて買ったイケてる香水をあらゆる部分にシュッシュと振りかけて、お気に入りの革靴をはいてから、カラ松ガールズを仕留めに外に出る。いつもの橋で待つのも悪くはないかなと思っているけど、今日はバスに乗って少し遠くに行って、遠征地でのカラ松ガールズをお迎えにあがる。というのも、それは表の口実であって、本当はなまえを探すためだ。でも、そう素直に言ってしまうと、どうしようもなく自分が情けなく思えて恰好がつかないから、そういうことにしてある。
野口が二枚しか入っていない、少し寂しい財布をズボンのポケットに入れる。香水を買ったり、彼女を探すために使った運賃なんかでお金はあまり残っていない。

今日も今日とて、ガールズ達の熱い視線を浴びながら俺を最寄りのバス停でバスを待つ。数分ほど待てば、バスが来た。
もちろん、彼女の行き先がわからない以上て行き先なんて一切決めていない。だから、どのバスでもいい。ということで、俺は迷うことなくそれに乗り込んだ。お昼過ぎなのに、思ったよりの人はたくさんで、優先座席はおろか、立っている人もたくさんで、それは朝の通勤ラッシュのようだった。俺は野口を小銭に両替してから、少し奥のほうへと進んで吊革に手首を通す。それから胸ポケットに入れてあったサングラスをつけた。隣にいる女の人が俺のことをやたら見つめてくるけれども、それは、つまり俺に見惚れているということでいいのだろう?
そうして、ぎゅうぎゅうなバスに乗ることしばらくすれば、目の前の優先座席が空いた。ラッキー、なんとついているんだ!
俺はそそくさとその場所に座ってから、勢いよく脚を組んだ。変わらず、ガールズは俺に釘付けだ。

「……あの人」
「…きも」

各停留所に着けば、降りる人もいるわけで、俺が乗った時よりも人は少なくなってはくるけど、変わらず車内はぎゅうぎゅうだった。それからして、一人の女性と思われる人がバスに乗り込む。人ごみということとサングラスをかけているからその人の顔がよく見えなかったけど、大きなお腹であるわけで、おそらく妊婦だ。
妊婦、子供、けが人、老人には優先座席を優先的に使わせるように窓に張り付けられたステッカーに書いてあるのが見えた。でも、きっと誰かが、彼女に席を替わるだろう。だから何も俺が、そう思った俺は向こう側のガラスに映る自分を見つめる。
でも、いくらたっても彼女に席を替わる人は現れないわけで、俺じゃなくてもと思っていた俺もさすがに別の感情が芽生えてきた。

「そこのガール!いや、レディ。よかったら、ここ」
「ありがとうございま……あ」
「え、あ。なまえ」

交差点の赤信号に差し掛かっているときに、俺は立ちあがって彼女に席を譲るように言えば、俺の口からはいつしかのガールフレンドの名前が漏れた。
こんなところで出会うだなんて、運命も悪戯好きなのかもしれない。

その大きなお腹の子の親は、今の彼氏だろうか。俺と別れて半年ほどだから、別れた後すぐに誰かと付き合ったことになる。そう考えるとちょっぴり胸糞が悪い。
なまえは少し気まずそうな表情をした後に、「ありがとうございます」と言って座席に座った。かくいう俺は、今更場所を移動することなんてできなくて彼女の前の吊革につかまった。

「……」
「……」
「なぁ」
「ん?」
「それ……」
「……なに?」

つっかえて言葉が出ない。俺にとって不都合な答えが返ってくるのが怖くて、そう考えると、何も言えないのだ。手放してしまうには、惜しかったといなくなった今に思ったことだった。後悔しても遅いのなんて痛いほどにわかっている。

「……カラ松は元気にしてるの?」
「え、あぁ。まぁ」
「そっか」

次の停留所に止まるアナウンスが聞こえると彼女は、立ちあがった。冷たく、私はここで降りるから。とそれだけ告げて、降りようとする。
とっさに「俺もここなんだ!」そう言って彼女のあとをついていくことにする。一瞬、大きく顔がゆがめられた気がするけど、でも気にしない。
バスを降りると、生ぬるい風が吹いて、彼女の綺麗な髪が揺れる。

「その、それ」
「なに?」
「今の、人……とは、うまくいってるのか?」
「……今の人?」
「その子の父親……というか」
「……それ、本気で言ってるの?」

先を歩いていたなまえがくるりとこちらに振り向いてから俺の手首を掴んだ。

「俺はいつだって本気だ」
「……私には、いつだってカラ松しかいなかったよ」
「俺にもなまえしかいなかったけど……お前が、ほかの男と…」
「私そんな人いなかった」
「?」
「仕事関係の人だって言ったのに」
「……」
「そういうカラ松だって、レンタル彼女に貢いだり、クリスマスに借金作ってきたり、よくわからない女の子…花の妖精さん?連れ込んで、結婚までしてたじゃん」
「いや、あれは……」
「私ばっかり、好きみたいだった」

ぽたりぽたり、と手の甲が濡れていく感覚がした。残念ながら、俺たちを取り巻く雰囲気とは真反対なほどに空は晴れている。ゆるく触れられていた手が、ぎゅっと強く握られた。

おかしいな、俺はなまえが俺とは別のほかの男ができたと思ったから、別れた(不本意)というのに、これじゃあ思い違いが拗れて、別れる必要もなかったのに別れてしまったみたいじゃないか。そりゃあちょっとした空気にのまれて、レンタル彼女に貢いだり、クリスマスに調子乗って変な店に連れていかれたり、予想外のことで結婚(不本意)をしたりと、なまえには辛い思いをさせてしまったけれども、俺がなまえを愛していたということに変わりはなかったし、俺の中での一番はいつだってなまえだった。だから、あそこまでして彼女を放さないようにしたというのに。
そんなことをしなくても、なまえにとって俺は大切な人だったのだろうか?

「じゃあ、その子供は?」
「…カラ松の子供だよ」

だって私が付き合ったのも、全部全部カラ松だけだったもん。そう言って、ゆるりと手が離される。
あぁ、あの時のおかげか3パーセントの確率があったのかはわからないけど、その子供が俺となまえの子供であるのなら何だっていい。これでいい、これでやっと。

離された彼女の手首を掴んでからこちら側に抱き寄せる。ぎゅっと、もう離れないように強く抱きしめた。

「……順番が違うと思うんだが、結婚しよう」
「でも、カラ松には」
「俺にも、なまえしかいない。全部責任持って、幸せにする。……だから、結婚してくれ」

もう二度と悲しい思いはさせない!、そう言って一層強く抱きしめれば、彼女が小さく「香水の匂いがきつい」と漏らして、優しく抱きしめ返してくれた。


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