我が堕落芸術論




恋人には優しくするように、と彼女が出来たことを兄弟達に告げたときに初めにいわれた言葉はそれだった。皆、誰一人として、例外なくそう言った。
俺は「そうだな」、なんて返してその話を終わらせたわけであるが、それは表向きの話であり腹の中では違うことを考えていたりする。
そもそも、恋人に優しくしないといけない理由なんて見つからない、優しくして相手に尽くしていれば、そうしていれば、俺のなまえに対する愛情は確実に彼女に届くのだろうか。
俺はその考え方は少し違うと思う。
俺の愛を確実に彼女に受け取ってもらって、叉、なまえの愛情も俺に届けてほしいのだ。それさえどうにかなっていれば、愛情表現の形なんてどうだっていい。だから、俺は優しくされなくても、全く構わないし、また、逆も然りと思っている。
なのに、マイブラザーと来れば口をそろえて「もっと優しくするべきだ!」なんて。これは、俺となまえだけの関係なのだから、よそが口を突っ込んでくるような話じゃない。二人だけの話なのだから、二人さえ同意していればなんだっていいんだ。

「お前はさぁ、またなまえちゃんにひどいことしたでしょ?」
「……なにもしてないぞ」
「泣いてるんじゃないの?優しくしろって言ってるだろ」

そんなことばっかりしてると捨てられちゃうよ〜、とおそ松はそういってちゃぶ台に置かれた灰皿にある誰が吸ったか分からない吸殻をひとつ、摘まんだ。
俺は気づいていたけれども、それを無視しておそ松との話を続ける。ちらり、と今の襖の方を見てから再び鏡に視線を戻した。

「俺が?なまえに捨てられるのか?」
「うん」

ふっ、と鼻で嗤うとおそ松の表情は曇ってしまった。それから暫く、俺も、おそ松も喋ることなく、沈黙を続けていれば、おそ松は溜息を大きくついてから立ち上がる。そして、ごそごそとタンスを漁って幾分かのお金を持ちだしてから、部屋を出ていった。
きっとパチンコでもしにいくんのだろう。あと、そのお金はチョロ松がアイドルの云々でこっそりお小遣いをやりくりして貯めていたものだったような気がするんだけれども、そんなことを考えていれば、ガラガラと玄関の引き戸の音が聞こえたのだった。

「……で、おそ松に説得してもらうと思ったわけか。なまえ、入ってきたらどうだ?」

襖の端のほうが少しだけ陰りになっているのが見えた。
言ったのだけれども、彼女は黙ったままで俺の言うことを聞かなかった。もう一度、名前を呼んで隣に座るように言えば、暫くしてなまえは気まずそうな表情をしてから、控えめに今の襖を開けて、俺の隣に座った。俺は彼女の太腿に手鏡を持っていない方の手を乗せる。

「……聞き訳がわるいな」

ちっ、と舌打ちをすれば、彼女の表情は強張ったものになってからうつむいてしまった。
俺は鏡を置いてから、彼女の方を向く。空いた方の手でなまえの顎を掴んで無理矢理、こちらをむかせた。

「あのなぁ、何度言えばわかるんだ」
「……私だって、同じ気持ちだよ」
「そうか」

本当に少しだけでいいから優しくしてほしいの、蚊の鳴くような声でそう言った。
異論は認めないと、何度も教え込んだはずなのに彼女は全くもって学習をすることなく何度も俺に盾突く。

「好きなんだったら…」
「優しくしないと、俺がなまえを愛しているとわかってもらえないのか」

太腿に置いた手を、少しだけ内側の方に這わせて撫でまわせば、それがどういう意味が分かったのかなまえは、ひっ、と短く悲鳴をあげた。嫌だよ、と言ってその手を押し退けようとするから、俺は顎を掴んでいた手を一度離して、彼女の両手を拘束しておく。

「おかしい、よ…初めはあんなに優しかったのに……私なにかした?それなら、すぐに直すし、謝るから……だから、おねがい…ひどいことしないで」
「……」

ごめんなさい、小さくそう言ってぽろぽろと涙を流すなまえのことがたまらなく愛おしく感じて、ぺろり、と舌で涙を拭い取ってあげる。
優しくないことなんて重々に承知している。それでなまえが悲しんでいることもわかっている。おそ松に相談してどうにかしようとしていることも、俺の考えが一般から少し離れていることも、なまえの気持ちが今は愛とかそんな綺麗な感情だけじゃなくて、恐怖なんかの汚れた感情が複雑に入り混じていることも、全部全部分かっている。
でも、こうやって俺の為に泣いてくれるなまえは、俺は優しくしているだけじゃ見せてくれないだろう。笑ってくれる顔も嫌いじゃないけれども、もっともっとなまえの汚い感情が見たいのだ。そして、それを俺だけに見せてほしい。俺だけのなまえでいてほしい。だから、俺はこれからもなまえに優しくするつもりは微塵もない。
でも、大丈夫。愛なら、なまえが思っている以上に、それこそ、ストレートに表してしまえば彼女が壊れてしまいそうなくらいに、あるんだから。


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