いっそ愛せ




小さな頃は仲良かったのに。
一定の年齢まで個性を持たなかった松野家の六つ子は、中学生から高校生のその間にアイデンティティを確立して、個性豊かな駄目ニートになった。六つ子だから、上も下もあったもんじゃないけどやはり、人間だからか。長男、次男と順番があるらしい。
私はそのうちの四番目、松野一松という男が少し苦手だ。

中学生くらいまでは、やんちゃを繰り返していた松野ブラザーズの中では最も穏健というか、まともで真面目な男の子だったのに、ある日を境に、根暗な陰湿な人に変わってしまった。
それまでは、私のことをなまえちゃんと呼んでくれてたまに一緒にお昼を食べたり、忘れ物を貸し借りしたり、下校時間がかぶれば一緒に帰ったりと、それなりにいい感じで関係を築いていたと思ったのに。
なのに。その根暗デビューを果たしてからいやはや、私に対する言動も百八十度変わってしまった。
会うたびに浴びせられる下ネタの数々や、ものを借りパクされたり、消しゴムのクズを投げられたり。それならまだ許せたのだが一番許すことができなかったのが、私が初めて彼氏ができたときに「なまえは他の男と付き合ってる」だなんて、とんだデマカセをばら撒いてきたことだ。
それは見事、学年中に広まりせっかく付き合ってくれた彼氏も、そんな噂のたつような女とは付き合えないと言って別れを告げられてしまったのだ。
さすがにこれは腹が立ったので、本人に文句を言いに行けば彼は謝るばかりかしれっとした表情で「ビッチなんだから、仕方がないじゃん」と猫と戯れながらそう言ったのだった。今まで感じたことのない怒りを覚えた私は、近くにあった彼の鞄をひと蹴りしてその場を後にしたわけだが、どうにもこの件以降彼には、苦手意識を持つようになった。しかも、私があからさまに避けているのに、わざとこちらにうざがらみしてくる。
本当に何を考えているのかよめないし、意味が分からない男なのだ。

すぐさま縁を切って、なかったことにしてしまおうとも考えたわけであるが私と松野家は幼馴染という関係で成り立っている。六つ子の一人と何かしらの形で関係を持っていれば、セットで松野一松と関係を持つこととなってしまう。
彼の陰湿さは相変わらずで、最近は松野家にお邪魔するたびにニタァと気持ち悪い表情でこちらを舐めるようにして見たのち、どこかへと消えてしまうのだ。

今日もさっきまで松野家にお邪魔させてもらっていたのだが、相変わらずの対応で一松くんと出会った。
なんだか気分が凄く悪い……。とりあえず飲んで帰るかと、私の足はとあるおでん屋へとむかう。



好きだから上手に好きと言ってあげられない。
僕の長年抱えている悩みの一つだ。僕の幼馴染になまえという女の子がいるのだが、僕は彼女の事がずっと前から好きだ。小さなころからこの気持ちは変わっていない、今だって好き。
小さなころは、自分の気持ちに嘘をつくことなく彼女に好きということができたのだが、中学生、高校生ほどになってから自分の気持ちが上手に彼女に伝えられなくなった。気恥ずかしいというのも勿論なのだが、彼女がどうにも僕を好いてくれていないようなそんな感じがしたのだ。
別に、なまえになにかされたわけじゃない。彼女はいつだって僕に優しかったし、ぼくのことを気にかけてくれていた。
でも、ほら、僕ってひねくれ者だからどうにもそれが本当かどうか心配でついつい彼女を試すようなことをしてしまったのだ。初めは少し罪悪感を感じたが、そのうち、彼女が僕に向ける嫌悪というか蔑みというか、そういう感情が僕に向けられるようになってから、僕は彼女に対する謎の高揚感に負けて、こうも幼稚なことを繰り返した。

笑顔なんて誰だって嘘であれど作ることができるけど、蔑みとか嫌悪とかそういう感情は作ることができないから。僕がこうやって彼女に意地悪をして彼女が僕をそのような目で見ている間は、確かになまえの中に僕が存在するんだと、考えたんだと思う。
それに気づけたのはつい最近なのだが。


ごろごろ、と喉を鳴らしながら僕に纏わりつく猫に一握り程煮干しを与えてやる。
辺りは真っ暗で、風は身を切るように寒い。はー、と息を吐けばそれは白く曇っていく。
なんだか温かいものが恋しいなぁ。猫をひと撫でしてから、僕はそこを立ち上がった。
足は自然と、とあるおでん屋へと向いていた。


外は寒いのに、身体は充分に温まっていた。ふわふわとした思考回路で、もう一本ビールを頼めば、駄目だとお咎めがくる。まだまだいけるのに、と返せば「あのニートの誰かを呼んでやるから、もう家に帰れ」と言われてしまった。
私はまだまだ飲めるっていってるのに。勢いよく机に突っ伏せば、ダン、と音がなって額に痛みが走った。

「一松くんは、いいから……」
「あ?なんで?」
「いや、なんというか……」
「意味分かんねぇな」
「私のこと嫌い、なのかもしれないし。私も…少し苦手……かも」

何を考えているのかさっぱり分からない。私のこと嫌いなら、関わらないようにしてくれればいいのに。
顔を上げるのが億劫で、ごそごそと手探りでグラスを探していれば、ぺち、と音がなって手首を掴まれた。
何事だと、重たい頭を上げれば紫色の袖が見える。
そう紫色。
赤でも、青でも、緑でも、黄、桃でもなくて、紫。
げっ、と思わず顔が歪むのがわかった。すこし飲み過ぎたかもしれない、早く帰って眠ろう。

「えっと、お勘定…おいくらですか?」
「なまえ」
「えっと、これくらい」
「なまえ」

なまえってば!、大きな声を出されてビクリと肩が跳ねた。
掴まれた手首はぎりぎりと力を入れられていて、すごく痛い。「何」となるべく平常心を装って返事を返せば、無理矢理一松くんの方を向かされた。
長い間、彼の顔なんて見たことなかったから。どきり、と心臓が跳ねる。
「……僕は、なまえのこと好き、だよ」
「…………え?」
「いっぱい意地悪したけど……それは、なまえに僕を見てもらいたくて」

語尾のほうはもごもごとくぐもっていて、よく聞こえなかったがでも、主要部分は充分に聞き取れた。
私のことが、スキ?隙、漉き、空き、鍬、すき?
今この状態で、いろんなスキを考えてみたが当てはまるのは好意を示す好きしかなかった。
わたしのことを、一松くんが好いていたのか?正常に働かない脳みそで一生懸命に考えるが、どうにも納得がいかない。

「だって、一松くん……私のこと、」
「……付き合って欲しいとか、考えてない。僕みたいなゴミは大人しくカースト底辺で這いつくばってるのがお似合いだってこともわかってる」
「そ、そんなこと」
「いいよ、気をつかわなくて、僕はひねくれ者だから上手に好きっていえないし、絶対なまえは僕のことなんて好きだとおもってないというか寧ろ、嫌いだと思うし」
「一松くん」
「……あー、なんかごめんね。食事中にゴミが話しかけてきちゃって。そろそろ帰るわ。えっと、一松くんは嫌なんだっけ?クソ松あたりでも呼ぼうか?彼奴なら、きっと」
「一松くん!」

私も同じように大きな声を出せば、あれだけぺらぺらと話続けていた一松くんのおしゃべりがぴたりと止んだ。日頃半開きの目は大きく見開かれて、目があうとぱちぱちと二回瞬きされる。
手首を掴んでいたそれの力は抜けていて、振りほどかなくても離される。

「今の話、本当なら仲直り…しよう」
「…は?」
「さっき言ったこと本当なんだったら、一松くんの気持ち…嬉しいから」

一松くんは、相変わらずぱちぱちと瞬きをする。
ね、と言って右手を差し出せばおろおろとした後やんわりと手を握られる。

「今度、そういうことしたら本当に嫌いになるから」
「……うん」
「私は、そうやって意地悪されるよりもさっきみたいに好きって素直に言ってくれる方が嬉しい」
「…ごめん」
「私こそ、今まであからさまに避けてごめんね」

一松くんは、ぶんぶんと大きく首を横に振ってからもう一度手を握りなおした。


≪ ≫