ワールズエンド・アクアリウム




ガタンガタン、規則正しく車内が揺れる。
向こう側に見える景色は真っ暗で、光の反射で私達の姿しか見えない。車内にいるのは私とカラ松二人だけだった。
隣ではサングラスをかけていない彼が同じ場所を見ている、窓越しに目があうと優しく絡められた指先が力を持った。

「月が綺麗だね」
「……そうだな」
「後悔してるの?」

そう聞けば、彼は困ったように口を詰まらせた。
きっと、言いはしないだろうけど後悔はしていると思う。優しい彼は、一人で死ぬ勇気も持ち合わせていなければ誰かを巻沿いにするほどの傲慢さも持ち合わせていない。
大丈夫だよ、と声をかければそうだなと返ってくる言葉が涙ぐんだ様子だったから、少し笑って彼の肩に頭を寄せた。

「泣かないで」
「……ごめん、なまえ、ごめんっ……」
「大丈夫だよ、怖くないからね」

不思議と、これからすることに恐怖は覚えなかった。
別に何が不満なわけじゃない。私は充分に幸せだ、優しい両親に面白い友人、仕事はちょっぴり大変だけど、同僚とも上手くいってるし上司を悪い人じゃない。彼氏は言動が痛いけど、優しいし私のことを大切にしてくれる。今は充分に楽しい。
ただ、彼が一回でいいから一緒に死んでほしいと泣きながらに頼んできたのだ。断るわけにはいかなかったので、私は承諾する。
言ってきた本人が泣きながら怖がっているもんだから仕方がない。大丈夫だからね、そう言って震える唇にキスを落とす。それは涙の味がした。

「なまえ……っ、なまえ」
「最後まで一緒にいるからね」

彼に何があったかは知らない。
もしかしたら、この世に絶望しているのかもしれないし、はたまた何かやばいことから逃げるために死ぬことを選んだのかもしれない。どっちでもいいような気がするけど、酷く泣いている彼を見るとどうにもそういう理由でないような気がしてしまう。

「水分、飛んでいくよ」
「……いい、これからイヤってほど水浸しになるんだし」
「そうだね」

向こう側に見てる景色は、徐々にあかりをなくしていき、そして何も見えなくなる。
繋いでいない方の手が頬に伸びる。心地がいいそれに、頬を擦りつけた。
死ぬにはもったいないほどの満月だ。


「ここ、割と名所なんだね」
「……そうだな」
「怖いならやめてもいいよ」「…いい、する」

わなわなと震える彼が崖っぷちから下を覗き込んだ。
綺麗な満月が、ゆらゆらと揺れる海面に映しだされる。夜の海はこんなに穏やかなのか、感心していればゆるりと後ろから抱きしめられた。

「……俺は、どっちかっていうとなまえがいなくなるのが怖い」
「うん」
「なまえと離れたくない」

指先はひんやりと冷たいままで、困ったようなことを言いだす彼に笑いがこみ上げてきた。
死ぬってことは、そういうことじゃないのか。そういってしまおうかと思ったけど、そんなことをしてしまえばまた泣いちゃうだろうからやめておく。今日が、全部最後なんだ。
鞄からハンドタオルを取り出した。それを彼の手首と自分のに巻き付けて、縛り付ける。

「これで最後まで一緒だよ」
「……なまえっ〜〜」
「あんまり泣くと、男前台無し」

いつもはきりりとしている眉毛が今はハの字の形になっている。
笑ってね、そう言って彼の口角を指で押し上げた。すれば、少しびっくりしたような表情をしてからいつものように満足そうに笑う。
悲しいことなんて何もないのに涙がでそうになってくる。どうにも、彼にはそれを見せたくない。ごしごし、と袖口で涙をぬぐった。

靴を脱いで崖先に立てば、ふわっと風が吹いた。彼の綺麗な髪が靡くのが見える。ぎゅ、と抱きしめられた手は大分汗ばんでいるのに、全く離そうとする気配がない。
彼は重たそうな石をポケットに詰めた。私もするよ、と一言声をかければいい。と短く、いつもよりも真剣に言われたので、返す言葉なく彼の言うことに従う。

「俺はなまえと会えて幸せだぞ」
「私もカラ松と会えて幸せだよ」

微笑んだ彼の表情を見るそれが、ぐにゃりと歪んでふわふわとした感覚がする。
あぁ、落ちているんだ。たった数メートルだってのに異様に長く感じるんだな。抱きしめられる鼓動を感じながら、ばちゃり。と落っこちる。

ぶくぶくぶくぶく、吐いた息は泡になって水面へと浮かんでいく。
海の中からみた月はとても、綺麗だった。そう言えば、夜はプランクトンが光ってとても綺麗にみえるってのをいつしかの雑誌でみたことがあるなぁ、なんて苦しくなる息のなか考える。

「なまえ」

呼ばれていないのに、呼ばれたような気がした。それから、ゆるりと何かが剥がれ落ちる感覚がする。
私を力強く抱きしめていた彼は、離れないようにとつないだそれを解いていく。どうしてそんなことを、するの!慌てて止めようとするもその前にほどけてしまう。
つないだ手も、やんわりと解かれ、それから私は向こう側へと押し上げられる。必死に離れまいと手を伸ばしても彼は手を取ってくれなかった。
どうしてなの、と聞こえることもないのに訊ねる。
歪む視界で、なまえはやっぱり駄目だ。なんて口が動いているように見えた。
彼は、真っ暗な底へと落ちていった。飲み込んだ海の味は彼の涙の味と同じのように思えた。







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