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僕の気持ちは景気変動如く、上昇と降下を繰り返している。今は丁度底辺というか最小値というか、とりあえず滅茶苦茶鬱な気分なのだ。
でも、そういう日に限って天気は頗るいいし、何らかのハプニングが起きてしまうによって死ぬことを先延ばしにしてしまう。だから僕は心置きなく鬱な気分に浸り、息をするも同然にマイナスな言葉を吐き散らして兄弟に八つ当たりすることで、どうにか上昇に向かわせる。生きるには、少しハイで馬鹿なくらいが丁度いいというのを自分と同じような顔をしているアイツらを見ているとつくづく思わされる。
居間の隅で三角座りをして、なんとなく天井を見つめた。特に何も考えたくはないのに頭にはなまえのことが浮かんでいる。

「え、なまえちゃん来るの?」
「あぁ、呼んだ」
「なんで今言うの?!僕、約束取りつけちゃったよ」
「あまり最近来てなかったけど、忙しかったのかな?」
「連絡が取れなくて、さっきやっととれた」

は、何それ。
兄弟の会話を聞いていれば、なまえの話になった。今日来るのはいいとして、連絡が取れなかったって何。
頭に浮かぶは、ぽろぽろと涙を流すあの表情と、マスク越しに触れた柔い唇だった。
俺のせいなのかな、と思った。きっと、僕のせいだろうとも思った。ちくってしまえばよかったのに、クソ松なら俺に手は出さないけどきっと窘めはするだろう。
でも、偽善的な優しさが特徴のなまえのことだから僕を傷つけたくないみたいなノリで黙っているのかもしれない。

「駅まで迎えに行ってくる」
「あー、僕も行く」
「約束は?」
「キャンセルしたよ」
「おー、気を付けてな。後、酒もよろしく」

家を出ていく時のクソ松の表情はどことなく曇っているようにも見えた。


夕方、日が傾いて少し冷え込むこの時間帯は帰宅ラッシュもあってか妙に人が多い。
無料通話アプリで、彼女と連絡をとろうとするも人が多すぎて今一どこにいるのか分かっていないらしかった。トド松と二人で探していれば、暫くして奥の方でぽつんとたたずむなまえを見つける。この時間帯なら仕事から直接来ただろうに、今日は服装から判断すると休みのようだった。

「なまえ」
「ん、あぁ。お迎えありがとう」
「なまえちゃん!」
「トド松くんも来てくれたんだ!」

ありがとう、と言って笑うなまえの表情はほんの少しやつれているようにも見える。
じゃあ行こうか、そう言っていつものように声をかけて手を繋げばトド松が不思議そうに俺達を見た。

「ずっと思ってたんだけどさ、二人って付き合ってるの?」
「俺となまえが?」
「うん」
「そういうのじゃないと思うよ、ね」
「ん、あぁ」

そう返せばトド松はふぅーんと意味ありげな返事をした後に何も返さなかった。それ以上深く聞いてくることはなかったけど、何か勘ぐっているようなそんな風にも見える。
繋いだ彼女の指は冷たい。寒い中待っていたのだろうか、申し訳ない。温めてあげようと指で擦って摩擦を起こせば、少しくすぐったいと言われた。トド松にも、なんだか厭らしいと言われて俺は渋々それをやめて自分のパーカーのポケットに彼女の手を突っ込んだ。

「ねぇ、やっぱり付き合ってないって嘘でしょ」
「?付き合ってないぞ、な」
「うん、お友達」
「うーそーだーーー!!!!……ってあれ、一松兄さんじゃない?」

帰り道の途中、一通りの少ない小道から出てくる一松を見かける。
猫に餌でもやりにいっていたのかもしれない。声をかけるけど、距離が遠いからなのかこちらを振り向くことはなかった。

「一松兄さん、どこ行ってたの?」
「いつものところ」
「へぇ」

あれ、トド松のいうことは聞こえるのか。少し疑問に思ったけど偶然聞こえなかったのだろう。マイナスになるようなことは考えないようにした。
一松がちらり、とこちらを見ればなまえの手を握る強さが強くなった気がする。

「……どうかしたのか?」
「ううん、少し寒いと思っただけ」
「そうか、じゃあ早く行こう」

家はすぐそこだから。
何度も来ているからわかってはいると思うがそういって、早歩きで帰路に着く。いつもなら何かしらの話をするなまえなのに、今日は何も話さなかった。

おかしいのはわかる、でも空っぽの頭じゃあ何がおかしいのかまではわからない。彼女に何があったのか、いま何を思っているのかは俺じゃあ考え付かなかった。
それなりに長く付き合ってきたつもりなのに、こういうのに気づけないんだなと思うと少しむなしくも感じる。
しばらく道路に沿って道を歩けば、横には赤塚不動産が見えて家に着く。
引き戸を引いて玄関に入れば、ゆるりと彼女の手が俺のパーカーから抜かれる。そして、それまでこちらを見向きもしなかった一松が彼女を見た。

「どうしたの、一松くん?」
「……っ」

つかまれた彼女の手を一松は俺がしたことと同じようなことをすれば、なまえの肩はびくりとはねる。それを見た一松は何やら微妙な表情をして、彼女の腕を引っ張り二階へと連れて行ってしまった。

「ねぇ、あれなに」
「……わからん」
「一松兄さん、いま絶賛闇松だからねー」

一松が何を思っているのか、なまえが何を思っているのか。どちらも俺にはわからない。



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