低くて甘い声が私の名前を呼びながら、ゆらゆらと体を揺さぶられる感覚でぼんやりとしたままその声を聴いていた。
ゆっくりと目を開けてカーテンの隙間から覗き込む明かりを見つめる。水色のカーテンの隙間からは今日も茹だるほどに暑くなりそうなそんな感じの光が差し込んでいた。

「なまえ」

カラ松くんが私の名前を呼んで手を握るから、私は視線をカーテンからカラ松くんに移す。カラ松くんは私と目が合うとひどく嬉しそうな顔をしてからもう一度私の名前を呼ぶ。寝起きで掠れた声でカラ松くんの名前を呼ぶと、これまた一層嬉しそうな顔をしてから私の手を引っ張った。

「時間」
「うん」
「体調は悪くないか?」
「大丈夫」

起き上がった私のおでこ、頬にキスを落とすとカラ松くんは鼻歌を歌いながらクローゼットの方へと向かう。嬉しそうにクローゼットの中身を見てあれこれ言っているカラ松くんを見てから私は視線を下に向けた。少し前に塗ってもらったマニキュアが剥げてきている。今日の夜時間があるなら塗りなおしてもらいたいな、とそんなことを考えて爪を触っていると、下着と洋服を持ったカラ松くんが、さっきの機嫌のよさとは一転してとても心配そうな目で私のことを覗き込んだ。

「どうした、何かあったのか」
「何もないよ、ちょっとここ」
「あぁ、今日の夜に塗りなおそう。もう少し薄い色でもなまえに似合って可愛いかもな」
「うん」

カラ松くんは小さく息を吐くと指先にキスを落とした。
私はカラ松くんの手から下着と今日の洋服を取って今着ているものを脱いでいく。淡い青の下着に手をかけるとカラ松くんは、俺がするといったけど、着替えは一人でしたいとそういえば、不服そうに唇を尖らせて「分かった」と不満そうに引き下がった。カラ松くんが選んでくれたサックス色のワンピースに着替えると、差し出された手に引かれて洗面所に向かう。青色のハンドタオルともらって洗顔を済ませて化粧水と乳液を顔に塗りこんだ。それから、テーブルの、向かい合うようにして置かれている椅子の、カラ松くんが座っていない方に座る。
テーブルの上にはすでに朝食が用意されていた。いただきます、と両手を合わせそう言ってからお箸を手に取る。

「夕方には帰ってくるから」
「うん」
「何か困っていることはないか?」
「大丈夫だよ」
「……そうか」

今日はあまり食欲がない、と朝食に口をつけてそう言えば「これは又夜に食べような」とそう言ってから食器を下げた。それからポーチとブラシをもって私の後ろに立つ。

「髪の毛が伸びてきたな、少し切ろうか」
「んー、でももう少し伸ばしたいな」
「そうだな、ロングヘアーもきっと最高に似合うに違いない」

カラ松くんは出かけるまでの間に私の髪の毛をきれいにしてくれてから、お化粧までしてくれる。はじめは全く何もわからなかったけれども器用だったこともあって今は何年もお化粧をしていた私よりも上手だ。
軽くお化粧をしてもらうと、時間はカラ松くんがいつも出掛ける時間に差し掛かっていて、カラ松くんは時計を見ると慌てて出かける準備を始めた。

「何かあったら出て行ってもいいんだからな」
「うん、いってらっしゃい」

いそいそとつま先のとんがった靴を履くと、カラ松くんは不安そうに私を一瞥する。それから、ガチャガチャと厳重に鍵が閉まる音がした。
青色と白色をベースとした最低限のものしかない小さな箱のような場所に私とカラ松くんはふたりだけで生活している。カラ松くんは基本的に日中は何処かに出かけていて日が沈む前に帰ってくる。そんな忙しそうなカラ松くんとは真逆に私は日中、外に出ることはない。カラ松くんが面白そうだと言って買ってきた本や漫画、きっとなまえは好きだと思うと言って借りてきたDVDやテレビを見たりして時間を潰す。この前ニートだったカラ松くんと変わって今は私がニートになっている。
別に禁止されているわけじゃないけれども、カラ松くんがいないところでどこかに出かけることは基本的にしないようにしている。それは建前では好きな時に出て行ってくれていいというカラ松くんが、実のところどう思っているか何となく分かっているというところもあるし、私がカラ松くんなしじゃ何もできなくなってきているところもある。
甲斐甲斐しく世話を焼かれているうちにそれが当たり前になって、前と同じようにはいかなくなった。でも、それを私とカラ松くんは、二人で望んだことで嫌な感情は一切ない。
時間はたくさんあって、やらないといけないことは何一つない。だから、色んなことを考える。大体はカラ松くんのことだけど、最近は、今度は私が置いて行かれるんじゃないかって、カラ松くんが私の前からいなくなってしまったらどうしようとそんなことばかりを思うようになった。
それはきっと私があの日カラ松くんを置いて出て行ってしまったから、それに対する罰に違いない。


いそいそとあのなまえと俺だけの場所に帰れば、なまえは部屋の隅っこで小さくなって泣いていた。買い物したものが入っているマイバッグを置いてなまえに駆け寄る。
なまえ、と名前を呼んでから髪の毛を撫でて抱きしめた。カラ松くんと呼び返すなまえの声は震えていて、俺は両頬を手で包むとそのままこちらを向かせるようにする。せっかく綺麗にしたメイクもどろどろに落ちていて、目も赤く充血していた。
大丈夫だから、と声をかけてから俺はなまえのおでこ、目元、鼻先、頬、唇にキスを落とす。

「カラ松くん、置いていかないで」
「どこにもいかないぞ」
「ごめんなさい」

なまえをこの小さな箱に閉じ込めてから、なまえはいつか俺があの時のなまえのようにどこかに行ってしまうんじゃないかと怯えるようになった。俺にとってなまえは自分と同じほどに大切なもので、そんなことをするわけがない。そう何度も言い聞かせてもなまえはそれを信じようとはしなかった。それはきっとなまえがあの時俺だけを置いてどこかに行ってしまったそれに罪悪感を感じているからだと思う。
なまえ大丈夫だぞ、と落ち着く様に何度もキスを繰り返す。ぺろりと涙を舐めて、よしよしと背中を撫でた。
こんなところまで来てしまえばなまえが俺なしではどうしようもなくなるのも時間の問題のように思える。なまえにはそんなこととても言えないけれども、願ってもなかったことだ。
俺が選んだ衣服を身に着けて、俺の出す食事で栄養を取って、俺がなまえの健康状態を把握管理して、なまえへの愛情も性欲も支配欲も満たすのだ。
きっと俺たちはこのやり方が最も正しいのだと思う。だから、なまえが怯えるそれも最大の幸福に対する最小の犠牲であって致し方ない。
ただ俺はなまえのことを幸せにしたいだけ。