5話ネタ


初恋は呪いだなんていうセリフをいつしかの何かで見たような気がするが、現実は案外そうでもないらしい。図太さやしつこさ、粘着質な何かは時に大きくメリットを与えるのだと今この場に置いてつくづく思う。
温めたコーヒーを入れたマグカップを少し背の低いテーブルに置いて、相手に進めればその人は少し困ったようにそれを見た。何か不満だっただろうか、不思議に思い見ていると小さな声で砂糖とミルクが欲しいと答える。そうだ、この人はそういう人だったんだ。
ごめんなさい、と謝ってそれらをとりに再びキッチンへと戻る。
時刻はもう、それはそれは遅い。


中学生の頃から、演劇部のカラ松先輩が好きだった。
何があったのかよくわからないが、屈折した自己愛を持ち意味深な行動、発言が多い彼ではあったが、その分他人にも優しい本当に素敵な人だ。
一度、主役を勝ち取ったことがあるが、そのとき、相手の台本にとりの糞を挟んで主役を奪っただなんて噂が出回ったが、そんなことどうでもよかったりする。
上手に演じてくれればそれでいいのだ。見かけによらず、性格が悪いんだなーくらいにしか思わなかった。
そのころから熱烈に好きで好きで好きで、一卵性の六つ子の彼をどうにかして見分けようと色々と努力を重ねたし、積極的に話しかけるようにもしていた。
高校も先輩がいるところを受験した。それほどまでに先輩が好きだった。他人の意見もなりふり構わず、先輩を慕い続けていれば、先輩は自然と私の事を頼ってくれるようになった。

今日だって、こんなにも夜遅くに身体中包帯まみれで涙ながらに私の家に訪ねてきた。

「どうしたんですか、先輩」
「……俺、梨に負けて」
「何かの比喩ですか?」

ぐず、と鼻をすする音がする。
ぽんぽん、と背中を撫でてあげればぽつりぽつり、と出来事を話し始めた。
そうか、梨に負けたというのは比喩でもなんでもなく本当の話なのか。なるほど、と一人頷く。
大変でしたね、と言えば声を我慢することなく泣き始めた。
何がそんなにも先輩を悲しませるのか。私には一瞬分からなかった。ただ、先輩がとても優しいヒトなのは知っている、じゃあきっとあれか。兄弟の云々なのだろう。

「俺、いらない…のかな、って」
「うん」
「皆のこと…すごく、好きなのにぃいいいい!」
「…うん」
「皆、どんどん…個性的になって、俺だけ何もなくて……」
「……そうですね、先輩は何もありませんね」

そう言えば、先輩は涙目になりながらこちらを見つめる。
これでいいんだ、これを望んでいたのだ。先輩の気持ちをいつも占めるのは兄弟だった。いつまでも、それでいい訳がない。

「……なまえ?」
「先輩は、名前の通り空っぽです。頭も空っぽ、財布も空っぽです」
「え……」
「でも、私は空っぽな先輩だからずっとずっと好きでした」
「あ、の…なまえ?」
「初めから、何かが詰まっているようでは先輩のなかに私が入りこむ隙間なんて無いでしょう。空っぽくらいがいいんです」

困惑している先輩を抱きしめた。
ふわ、とかおるは昔から何も変わらない匂いで。もう少しで、変わりそうな何かにとてつもなく興奮を覚える。
先輩の中にある兄弟が憎たらしくて仕方がなかった。どんだけ酷いことをしても、先輩は泣き言ひとつ言わないし、酷く兄弟のことを愛していた。そんなところに付け入るところなんて無く、いつも私の気持ちは手持ち無沙汰だったのだ。それが今日大きく変わろうとしている、もしかしたら何年も貯めてた気持ちを受け取ってもらえるかもしれない。

「暫く、距離を置けばいいんじゃないんですか」
「距離?」
「はい、距離。私の家好きに使ってもらって結構ですから、気持ちの整理がつくまでここにいてはいかがですか」
「……なまえは迷惑じゃないのか」
「私も一人で寂しいです」

うーーん、と返事を渋る先輩を軽く抱きしめた。
もう少し時間が経てば、そうしようかな。なんて言いだすことだろう。先輩は優しいから。