マフィア 白≠黒

背中も胸元も大きく開いた真っ青なイブニングドレスは、やっぱり少しだけ恥ずかしかった。迎えに来てくれる時間が前に約束していた時間よりも一時間位早くなってしまったけれども、久しぶりに外に出られるのがうれしくてそんな急な時間の変更があっても困らないほどに早めにおしゃれをして待っていた。
カラ松くんは、私を見ると嬉しそうに微笑んでから手の甲にキスをした。それから「やっぱりなまえは青がよく似あっているな」という。今日はどこに連れて行ってくれるのか、何をしてくれるのかよくわからないけれどもいつも着ている真っ黒なスーツはがらりと色が変わって白っぽくなっている。キスした手を引いてからカラ松くんは待たせてある黒い車にエスコートしてくれた。
リムジンに乗るとカラ松くんは、優しく私の肩を抱いてからすりすりと背中やデコルテをなぞる。くすぐったくて体をよじると、何を思ったか一瞬だけ動きがぴくりと止まってから触るのをやめた。けれども、それから掴んだ手はじっとり汗ばんでも離してくれなかった。
カラ松くんが連れてきてくれたのは、一等高そうな高級レストランだった。一般人の私には見たこともないようなメニューがずらりと並んでいる。値段も書いていないからきっとあのまま普通でいたのならば一生口にすることもないものばかりに違いない。カラ松くんは、ウェイターさんを呼んでからつらつらとメニュー表も見ることなく注文をした。「なまえはどうする?」と聞かれたけれども、困って応えあぐねているとやんわりと笑ってから「同じものを」と言った。
お酒だって飲まないわけじゃないけれども、目の前で注がれていく赤ワインはきっととんでもない値段がするのだろう。かちん、とグラスがぶつかる音がして乾杯をした。「きっとなまえも気に入ってくれる」とそういってカラ松くんがワインを勧めてくるから断ることもできずに、それを口にする。
あんまりお酒は得意じゃない、というか超がつく下戸だったりする。ちょっとだけ体が熱くなりながら目の前に運ばれてくる見たことも聞いたこともないような食事を口にしていった。
久々に外に出たことに加えて、慣れないところでの食事とそれからアルコールがまわった体ではすべてがたどたどしい動きになってしまう。心なしか少し力が入りにくくなった手でワイングラスを持った時タイミング悪くウェイトレスさんの持った御盆に手がぶつかってグラスが手から滑り落ちてしまった。
ぱしゃり、と音がして左の太ももが冷たくなる感じがした。ウェイターさんは謝りながらあわあわと慌てながら私に拭きものをくれる。せっかく選んでくれたドレスを汚してしまうと怒ってしまうかな、と思ってちらりとカラ松くんの方を見ると突然がたりと、立ち上がった。

「なまえ、いこう」

そういって私の手を取って、レストランを後にしてしまった。出る際に「勘定はいつも通り頼む」とそれだけ言った。きっと、ここに来るのなんてどうってことないのだろう。

「ドレス、汚してしまってごめんなさい」
「気にしなくていい。それよりも見せたいものがあるんだ」

カラ松くんが手にかけていたコートを私の肩にかけてから、もう一度私の手を引いた。

カラ松くんに着いていくままにしていれば、連れてこられたのはレストランの入っていた高い高いビルの屋上だった。風が吹いて髪の毛を揺らす。

「綺麗だろう」
「……」
「ずっと、なまえに見せたいと思っていて」

張り付けたような笑みだと思った。
何も返事をしない私をみてカラ松くんは不思議そうに私の顔を覗き込む。その時、握られていた手が少しだけ緩んだのがわかった私は、思いっきり手を振り払う。それから振り返ることもしないで、さっき彼に連れてこられた屋上の出入り口を目指して走り始める。今日のためにカラ松くんが選んでくれたかかとの高いパンプスは走るのに邪魔だったから、脱ぎ捨てる。肩にかけてあるコートも殴り捨ててたけれども、裾の長いドレスが脚にまとわりついて上手に走れない。私は綺麗にした身なりがぼろぼろになるのも気にせずに走ってから、出入り口のドアノブに手をかけた。

「なまえ、どうしたんだ?」
「カラ松くんは?カラ松くんはどこなの?」
「カラ松は俺さぁ〜〜!」

がちゃがちゃ、とドアノブを捻っても引いても扉はびくともしなかった。
そうもしているうちに、あの人が嬉しそうに私の名前を呼んで近づいてくるから怖くなって動けなかった。ぺたん、とその場に座り込む私をみるとその人は嬉しそうに笑ってから「なまえはかわいいなぁ」なんて呟きながら私の目の前でしゃがみこむ。

「最後の最後までわからないと思っていたが」
「カラ松くんは?」
「さぁな。そんなことより、ほらせっかく綺麗にしたのに台無しじゃないか、はだしで逃げ回って、足を怪我したらどうするんだ?」
「や、やだ…触らないで」
「コートも脱いで、風邪をひいてしまうぞ」

どうしておかしいことに気づけなかったのだろう。私の知っているカラ松くんは、私のことをこんな風には扱わないはずだ、それに気づけていたのならもっと早くに逃げることが出来たのに。
その人は膝立ちになってから私を抱きしめようと両手を広げた。触らないで、と言って手を払いのけようとしたけれども全く力が入らない。それを見るとクスクスと笑ってから優しく優しく、私のことを抱きしめる。

「ちょっと遅い気もするが、効き目は抜群のようだな」
「はなして」
「やっぱりなまえはかわいいなぁ」

抱きしめると、大きく開いた背中を指先でなぞる。気持ち悪い感触がして思わず涙が出てしまった。

「カラ松くん、カラ松くん…!」
「そんなに呼ばなくても俺はここにいるぞ」

逃げようと体をよじって抵抗すれば、案外あっさりと離れてくれた。私は、全く力の入らない体でどうにか距離をとろうとするけれども、結局その人は私が逃げられもしないのに逃げることを楽しんでいるかのように今度は後ろからゆっくりと優しく抱きしめて、鎖骨のラインをなぞった。

「勝手に惚れられて、拉致されていつまでも薄暗い部屋の中一人あの男の帰りを待っていたんだろう。なまえの気持ちなんて関係なくセックスだってさせられるし、あの男はあまりにも乱暴だ。でも、俺は違う。ちゃあんとなまえのことを優しく、愛してあげられるぞ」
「そんなこと、ないのに」
「あの男にひどい扱いをされて何が正しいのかわからなくなったんだな。なまえが今思っている感情も、それは愛じゃない」
「助けて、カラ松くん……」
「あぁ、ちゃんと俺があの男から救ってあげるからなぁ」
「ちがう……離して」
「だから、少しだけ大人しくしていてくれ」

すりすりと皮の手袋がはめられた手が優しく頬をなぞってから口元を覆った。その時嗅いだ匂いはとても甘くて、どろりと意識が薄れていく。
そいつが言っていることは勘違いだと私はそう言いたかったけれども、薄れていく意識では言葉を発することさえも億劫に思えた。
最後に覚えている抱きしめられた感触はそれは私が好きだったカラ松くんのものとあまりにも似ているのだった。