死ネタ 不謹慎

思い出せないのか、思い出さないのか。それは確かに自分の記憶なのに、僕はいまいちそれがよくわかっていない。
最後になまえと会ったのは春先のことだったと思う。ちょっとづつ暖かくなっているのに「寒い」って言いながら、マフラーを巻いていたような気がする。いつもみたいに、僕が猫とじゃれているのを隣で見てから嬉しそうに他愛のない話をしていた。そうして最後、いつものように「じゃあまたね、一松くん」だなんていうから、僕はそれを信じて疑わなかった。今まで幾度となく繰り返されたその会話は、僕の中では当たり前になっていてだから、それが本当に本当に最後だなんて思ってもいなかった。
そして、なまえが死んだということを知ったのは夏に入ろうとしていた、とっても天気のいい日だったと思う。

自殺だったらしい、馬鹿でお人よしだったから人に騙されてこの世に絶望しちゃったのかもね。ご愁傷様、バカみたいな面して誰にもへらへら笑っているからそうなるのかも。
ガタン、ガタンと単調に揺れる平日の昼下がりの電車で僕はそんなことを思った。
時間が時間なのか、僕がいる車両は僕以外誰もいなかった。冬先なのに日差しは少しきつくて、暖房がついていることもあってかちょっぴりあつい。
僕はちょっとだけ元気のなくなった花を、しっとりと汗ばんだ手で握りなおした。それから、ゆっくり目を閉じて目的地に着くまで待つ。

本当の理由はよくわからない。僕は、結局お通夜にもお葬式にも、家に向かうこともなかった。
呪われているのかも、なんて不謹慎なことを思った。
死んだと知らされた後に僕宛に一通の手紙が届いた。僕に手紙なんて中学生のときの呪いの手紙以降で、それはたぶん遺書になるんだと思う。でも、遺書のくせにいつもと何ら変わりないことが書かれていた。それにこの世の恨み辛みを書いていることもない。でも一つ遺書らしいものとしては「また、会いたい」と「一松くんごめんね」と、今までに聞いたことも見たこともないような言葉が書かれていたことである。
これはつい最近知ったことだけど、どうやらそんな文章をなまえは自分の両親にも送っていたらしい。そこに、僕のことを大切な人だと書いていたそうだ。
本当に、死人に口なし。大切だというのなら、どうしてそんなことをしてしまったのだろうか。
僕を構成するものは、僕自身と似たり寄ったりの屑五人、それからそんな屑を産んでしまった哀れな両親に、猫、となまえだった。何もすることなんてなくて、どうしようもない日々と劣等感に悩まされる日々に僕だって死んでしまいたかった。でも、僕はそんなどうしようもない僕を構成するものが存在したからいまだ死ねずにいる。
僕にとって、屑な兄弟も哀れな両親もかわいい猫も馬鹿ななまえも、大切な生きる理由だった。こんな風に言うのはちょっとオーバーな気がするけど、でも死んでしまえば路地裏の猫の世話とか、十四松の素振りの練習とかいろいろ困るだろうなと思っていまだこんなことを続けている。くそみたいな人生を続ける理由が僕にはあるらしい。
でも、なまえは死んでしまった。僕はなまえの生きる理由にはなれなかったのだろう。

アナウンスが、僕の目的とした地名を告げた。うとうとと微睡んでいたけどちょっとだけ伸びをする。それから、電車をおりてポケットから、ちょっとだけ曲がった切符を取り出して自動改札に入れてから僕は墓地を目指した。
ロマンチックななまえの望むような、海の見える十字架のかかったお墓ではない。普通に集団墓地の一角だった。でも、それはとてもきれいなままで、きっとご両親がこまめに来てはいろいろとしているのだろう。

「これ、花」

誰に向かっていったのか、僕は萎れかけた花を置いた。

「……」

上手に言葉が出ない。胸がつっかえて苦しい。何か言いたいことがあったのに、のど元で引っかかって出てこない、苦しい。とっても、苦しい。
墓の骨でも掘り返してやろうとか、そんな怒りとかをぶつけるつもりでここに来たわけじゃなかった。でも、いざここにこうして来てみると本当になまえは死んでしまったんだな、と思わざるを得ない。
僕となまえの関係なんて友達でも恋人でもなくもっともっと脆いものだったのに。

「死んだくせにまた会いたいって?僕に後を追えって言ってるの?」

もう、どれだけ何を言ったところでなまえは何も返してくれないのだ。
もうどこにもいないくせに、何もできないくせに、僕だけおいていったくせに。

「あぁ、来世で会おうってこと?そもそもあんたみたいなやつなんて……」

もう、どれだけ酷い言葉や、皮肉を言ったって何も返してくれない。

「……来世なんてあって無いようなもんだよ」

なまえはずるい。
好き勝手に自分の気持ちだけ書き散らして、こっちのことなんて一切考えてない。僕はずっと、なまえのことを。

「永遠に」

永遠に来世なんて来ない。僕の気持ちの行く末も、なまえももうどこにもないのだ。それが苦しくて、悔しくて、悲しい。それから誰に向けるわけでもない怒りがこみあげてくる。
僕は、僕が持ってきたその花を掴んでから、思いっきり地面に叩き付けて踏みつけた。
もう二度と、ここに来ることもないのだろう。