学パロ

休みが終わる頃には、天気は雨に変わっていた。皆「傘、持ってきてない」やら「部活がなくなった」やら、やんやとやかましかったが、放課後になればそそくさと教室を出ていって、もう既にここには僕以外は誰もいなくなっていた。視線を鞄のなかにむけると、教科書、筆箱、水筒、お弁当箱とそこには紫色の折り畳み傘が入っている。大きくため息をついてから僕はそれを取り出した。
朝、松代が僕に持たせてくれたのだ。持ち手には大きく、一松とかかれているそれを僕は積極的に使いたくない。この歳になって、こんなにでかでかと名前を書かれるのは嫌だ。けれども、雨はかなり強く降っていて、走って帰ったとしても、ずぶ濡れになるだろう。風邪を引けば、学校を休むことになるし、そうなってしまうと授業に遅れをとってしまう。そしてなによりも、僕の平凡でしょうもない生活の中での唯一の楽しみ、路地裏の猫に餌をやりにいくことが出来なくなってしまう。考えに考えた結果、僕は傘をさして帰ることにした。


湿っぽくて薄暗い廊下と階段を抜けて、下駄箱へと向かった。ふわり、と吹いた風は思ったよりも湿気ていて、思わず顔をしかめる。
心なしか湿っぽい上履きを脱いで、ぼろぼろになったスニーカーをはく。その時にふと、昨日、河川敷近くに捨てられていた猫を思い出した。川が溢れかえるほど雨は降らないと思うけど、でも、少しだけ心配だ。見たところ子猫っぽかったし、心配だから帰りにそこによって、今日だけうちにもって帰ろう。そんなことを考えながら折り畳み傘片手にぼろぼろの指定鞄をもって校舎をでると、そこには見知った後ろ姿があった。
それがなんなのか、わかってしまうとどきりと僕の心臓が跳ねる。困ったような表情で、彼女はそこにたっていた。
きっと、彼女もクラスの人と同じように傘を忘れたんだ。僕の兄弟も、寝坊でそれどころじゃなかったり、濡れる自分に酔いしれたいがために敢えて傘を持たなかったり、でもこんなに晴れているからと松代の言っていることを無視したり、そもそも傘をもたなかったり等さまざまな理由で、結局僕意外は誰も持っていかなかった。
ちらり、と僕は右手にもっているそれを見つめる。でも、僕がなまえちゃんと話したことなんて、彼女がノートを回収するときの、「松野くん、ノートだした?」しかない。ぼっちで根暗なほうの松野と女子の間で呼ばれて気持ち悪がられている僕に、にこにこと愛想よく話しかけてきてくれた彼女に対して、僕はどうしようもないこの気持ちを覚えるには十分な出来事だったと思う。
自覚はある、僕に友達なんてそんな大層なものいないし、いつもひとりで、話す相手なんて猫か兄弟くらいだ。体育だって、いつも僕だけ余ってしまう。女子となんて、話したことない僕は緊張して何も話せないし(女子に限ったことじゃないけど)、ひどく捲し立てられると脱糞をしてしまいたくなる。でも、好きになってしまったことは仕方がなかったし、それ以降僕頭の中はなまえちゃんのことでいっぱいだった。どんな友達とつるんでいるのか、とか、どんなものが好きなのか、成績はどれくらいとか、いままでの彼氏の有無等々。色んな手段を使ってわかるものはなんでも調べた。
そんな僕に、とうとうチャンスが来たのかも知れない。まわりには誰もいない、だから、誰かに冷やかされたりすることもないし、僕が彼女に話しかけたという事実は二人だけしか知り得ないことになる。絶好のチャンスだ。僕は、ぎゅっと折り畳み傘を握りしめた。それから、ずんずんと彼女の方へ進んでいく。

「あっ、あの…なまえちゃん……!」

僕が名前を呼ぶと、彼女は僕のほうを振り返った。どきどきどき、とさらに大きく心臓がはねる。
僕は、ぱくぱくと口を動かしてから挙動不審に傘と彼女を交互に見つめる。どう言葉をかけていいのかわからなかった。僕みたいなやつがいきなり傘を貸すだなんて、彼女から呪いに近い何かかもしれない。そう考えるとさらに、なんと言えばいいかわからなくて、でも、名前を呼んだ以上なかったことには出来ない。だから、僕は傘を彼女の胸元にむりやり押し付ける。

「…………」
「えっと?」
「…………」
「ま、松野くん?」
「…………」
「…」

困ったように僕を見つめるそれが、さらに僕の考えることをめちゃくちゃにしていくのだ。
何かを話そうと必死に言葉を考えたが、なかなかいい言葉が見つからないので、僕は、なまえちゃんの手をむりやりつかんで、それを握らせてから、走って逃げることにした。
細い手首を握って、無理に傘を押し付ける。えっ、とぱちぱちとまばたきをして不思議そうな顔をする彼女をみてから、僕は、あわてて走った。ぱしゃぱしゃ、と水溜まりのそれが、靴に跳ねて裾を濡らしていく。ボロボロなスニーカーは、穴が空いているのか爪先からじんわりと冷たくなっていくのだ。
無理に傘を押し付けたけれども、嫌ではなかったかな。でも、まぁ、僕みたいなごみくずの傘なんてごみも同然か。
いらないなら捨ててくれればいいから、と一声かけておけばよかったな。なんてことを考えつつも、これでなまえちゃんと話ができるきっかけになればいいと僕らしくない甘いことを考えていると、途端にぐらりと司会が歪んだ。
ゆっくりと地面が近くなっていくのをかんじてから一度視界が真っ暗になる。それから、じわじわと全身が痛みだした。
目の前には、お弁当箱、教科書、水筒、それから餌をやろうと持ってきたにぼしが散らばっている。何が起きているんだ?と考えていると、後ろからぱしゃぱしゃと、誰かが走ってくる音が聞こえた。

「松野くん」
「…………ひっ」

逆にカッコ悪い、いっそ殺してほしいと思った。
彼女は、しゃがんで僕に傘を差し出すと、散らばったものを拾って鞄のなかにいれてくれた。それから、ポケットからハンカチを取り出して、僕の頬に当てる。

「松野くんの傘なのに、松野くんが濡れて帰るのはおかしいよ」
「……」
「こんなに濡れてると風邪引いちゃうし……」
「あ、ぁ、え、い、いや、べつに……」
「だから、一緒に帰ろう」

ね、と言って彼女は僕の手を引いて立ち上がった。
彼女の手は、柔らかくてやっぱり女の子なんだなと改めて思った。濡れないようにしないとね、と彼女は僕に笑いかけてから、少しだけ距離を縮める。こんなに近いところに女の子が来たことなんてあっただろうか、本当にどうすればいいかわからない。
思ったよりも小さななまえちゃんからは、甘い匂いがする。それから、カッターシャツからは薄く下着が透けていた。
なまえちゃんの今日の下着の色は黒色らしい。大人しい性格のくせして下着は大胆なんだなと思った。ちなみに、僕はなまえちゃんの下着のサイズを知っている。おそ松兄さんが以前僕に教えてくれたのだった。それを思いだすと、じくじくとこけた場所が熱を持ってじくじくと痛みだすのだった。