松野一松くんとは目があったら何されるか分からないし、最悪殺されてしまうよ。と言うのを教えてもらったのが、ここ赤塚高等学校に転校してきて一週間ほど経った頃だった。
初めはなじめるかどうか不安に思いながらの転校生生活だったが、クラスの女の子達は優しく、雰囲気もよく、すぐに輪に溶け込むことができた。
そんな時に聞いた噂が、松野一松くんのことである。
なんたって、ここの学校には一卵性の六つ子がいるらしく、その中の上から四番目の男の子だそうだ。アンニュイな雰囲気に、着崩した制服、それから闇のオーラがすごいらしい彼は、学年では特に有名らしく、彼の気に障ることはしてはいけない。が学年のルールらしい。
噂じゃあ、年上の女の人を孕ませたとか、背中に大きな龍が掘られているとか、人を三人殺したことがあるとか。
高校生とは思えないほどに、ブラックな過去持ちの噂をされている彼を私は見たことがなかったし、第一会うこともないだろうと思っていた。そもそも同じクラスの松野くんでさえも接点が皆無なのに、そんな闇に生きていそうな松野くんとは一生縁なんてないだろう。

放課後の女子会、お喋り会もほどほどにして私は教室を後にする。最近は日が暮れるのが早いし、何よりも寒い。お喋りするのは楽しいんだけど、あまり華を咲かせると帰りが遅くなってしまう。暗い夜道に、寒い風に吹かれながら帰るのは嫌だ。
校舎の裏手側にある駐輪所で、のろのろと自分の自転車を探していく。部活をやっている子が多いせいか、駐輪所にはまだまだ沢山の自転車があり、そんな混雑している状況から自分の自転車を見つけるのは難しかった。

どこにとめたっけなぁ、ひとつひとつステッカーを確認していくと端っこの、隅で陰りになっているところから、にゃーにゃーという音が聞こえた。
にゃー、にゃー…?、不思議に思ってそちらに視線を向けると、段ボールの中に毛布にくるまれた猫がいることに気づく。
この猫、朝にいたっけ。しゃがんでそちらに手を伸ばせば、猫は威嚇することなく、寧ろ人懐っこく私の手に擦り寄ってきた。

「か、可愛い……!ね、お腹空いてない?なにか、あげようか」

今日は沢山お菓子持ってるんだよ、そう言ってごそごそとポケットの中を漁る。それらしい手触りのものをいくつか選んで取り出せば、そこにはガム、チョコレート、それから飴玉。

「……さすがにチョコレート以外無理だよね」

にゃぁ、にゃぁと鳴いてこちらに擦り寄ってくる姿が愛らしくてたまらない。少し悴んだ手で袋を破ろうとすれば、形容しがたい鈍い音がなって私の足元にミネラルウォーターが転がった。

「おい」
「…はい」
「お前今、ソレあげようとしてたの?」
「う、うん」

見上げればそこには、大きなマスクを付けて、ぼさぼさな髪の毛に、紫色のパーカーを着た男の子が立っていた。靴はどろどろで、踵は踏みつぶされていて、声も人よりは少し引くいと思うし、何よりも怖い。
その人は、私の横にしゃがみ込むと乱暴に、手からそれをとった。

「猫にあげたら死ぬから。お前、動物虐待か何かしようと思ってここに来たの?」
「そ、そんなんじゃない。ただ、可愛かったし、人懐っこいから…何かあげようと思って」
「あっそ」

視線をこちらに向けることなく返事が返される。ひっかき傷だらけのその人の手は、優しく猫を撫でていて、叉、猫も気持ちよさそうだった。
もしかして、この猫が人懐っこいのはこの人がずっと世話してるからかな。そんなことを思いながら優しそうな表情で猫とじゃれている姿を見ていた。

「何?」
「えっ、あ……別に」
「……僕のこと、ゴミだと思ってたんでしょ。猫しか友達のいないクズって。そうです、あたりです」
「いや、そんなこと…」
「まぁ、僕ここでは随分有名なクズだからね。六つ子ってのに、僕だけとんでもない噂出てるし。僕はクズだから、しょうがないとは思うけど」

六つ子で、紫いろのパーカー。ふと、教えてもらった噂を思いだした。
確かに言われてみれば、人を殺していそうな雰囲気が出てないわけでもない。背中に龍が掘ってあるのかは知らないけど、さっき六つ子だっていたし紫色のパーカーを着ていた。

「松野一松……くん、ですか?」
「……だったら何」

短く返されて、松野一松くんは私をちらりと見た。それから、やけにぼろぼろになった鞄からにぼしを取り出して、その猫に与える。
ど、どうしよう。思ったよりも全然普通の人だった。寧ろ、クラスにいる松野くんの方が口を開けば下ネタしか言わなかったし、体育でたまに一緒になるもう一人の松野くんは自分のことにしか興味なさげで他人に迷惑を沢山かけていた。
どう考えたって、この松野一松くんの方がノーマルに近い気がするし、他人に害がないと思う。

「いや、松野一松くんって意外と普通なんだね」
「………は?」
「いや、他の松野くんはキャラが濃いいから……だから松野一松くんって…すごく」

がちゃん。と大きな音がなっていくつか自転車が倒れてドミノしていく。

今の状況がさっぱり分からなかった。何故、褒めたのになぜ、私は胸倉を掴まれているのか。これが松野一松という男なのか。
私を睨みつけるその目つきは、さっき猫を撫でていたときとは考えられないほどに鋭いし、……あ、でもなんかすごく、石鹸みたいないい匂いする。
とりあえず胸倉を掴んでいる、松野くんの手に自分の手を重ね合わせた。それは、悴んだ私のとは違ってとても温かい。

「まっ、松野一松くん!普通でいいと思うよ!!……普通じゃ、だめなの?」
「うっせ、喋んなクソアマ!」
「ほめてるんだけど!」
「……うっせ、今度普通って言ったら、お前の乳揉むからな!!!」

そう言って荒々しく、離される。よろり、とよろめいて尻餅をついた私を見て松野一松くんは、ぎょっとした表情をしたが私が起き上がったのを見れば表情はすぐさまに元の睨みに戻った。
彼を誉めたつもりなのに、何が気に食わなかったのか。どうして乳揉まれる宣言までされなきゃいけないのか。混乱する私をみて、松野一松くんは、小さく私の名前を呼んだ。

「……えっ、」
「みょうじなまえ。覚えた」
「あっ、ちょ……松野一松くん!」
「松野一松って呼ぶな!!!」

そう言った彼は、段ボールごと持って走り去っていってしまった。
なお、私の足元には彼が落したであろう、ミネラルウォーターが転がっている。これを届けるかどうか考えたが、面倒くさいのでやめておくことにした。
私は叉、自分のチャリを探す作業に戻る。