「やめれば」
「うん」
「幸せになれないよ」
「…ごめんね」
「誰のメリットにもならないって」
「そうだね」

繰り返すはその会話。不毛でしかなく、ただただ時間は食いつぶされていくばかり。
彼奴のように手をあげてやめろよと脅せば彼女は優しいからきっとやめてれるんだろうな。そうは分かってはいたけどすることはできなかった。
彼女は困ったように、今にも泣きそうな表情をして右頬をさする。その動作を行っている腕は白い包帯で巻かれているし、右頬も紫色に腫れあがっている。

「馬鹿なの、なまえは」
「……たぶん、そう」
「だろうね」
「うん」

目を合わせてくれない。話を聞いてくれない。
好きな女の子が僕と同じ顔にぼこぼこにされているってのに、僕は何も出来なかった。
彼奴は日頃は優しいから、なまえもそれをわかっているから、だからこうやってずるずると関係を続けるのだろう。僕が何言ったって二人だけの世界に入り込むことは出来ないようだ。

今日は右頬と右腕。前回は、左腕。前々回は脚だった。
定期的に振るわれている暴力になまえは嫌な顔ひとつしない。それどころか、私が悪いから、あの人は何も悪くない。だなんてアイツをかばいだす始末。
暴力を振るわれるよりも、こうやって僕やアイツ以外との男と会って会話をしている時の方が怖いらしい。理由は、彼を悲しませてしまうから。だなんて言っていたような気がする。
本当によくできたデートDVの例だと思う。ほおっておいても僕には何も損はない。むしろ、彼奴がなまえに依存してくれるおかげで彼奴が家に帰ってくる頻度は少なくなるし、そうすれば晩御飯の量も増えるし布団はゆっくり使えるし。なにより、うるさくないし。
そう自分には言い聞かせているのに、実際していることは全くの違うことで。いらいらした気持ちを抑えることにも我慢ができない。

「お前さぁ、いい加減気づけよ。あんな男、どこがいいの?お前に暴力振るってるだけの男、別にいなくったて……!」
「あんまり悪く言わないで!!!」

彼女の大きな声を聴いたのははじめてだった。
優しい声色なのに、今日は怒気を孕んでいる。彼女の方をみると、明らかに僕を睨んでいた。
どうして、なんで?

「私のことを悪くいうのは当然だと思うよ。私が屑だから…だから、いつも怒らせちゃうの。あの人は何も悪くないんだよ…凄く優しいの」
「なまえ、だから」
「何も知らないのに、そんなこと言わないで」

どきり、いやな意味で心臓が跳ねた。
どうして僕の言っていることを理解してくれないのか。ぼくは、なまえのことを思って……。そんな言葉も喉もとに引っかかって出てこない。
いつものようなひねくれた言葉すら出てこなくて、ただ怒る彼女をあんぐりと見つめる他なかった。

「……大きな声出してごめんなさい」
「………い、いや」
「なまえ」

名前を呼ばれると、なまえの表情はあっという間に真っ青になる。
いつからアイツはここにいたのか。いつの間にか襖からひょっこり顔を出すアイツを僕は睨んだ。それでもアイツはなんの表情を見せることなく彼女に視線を飛ばす。彼女の唇は小さく震えていた。

「なかなか来なかったから、家にお邪魔させてもらったの」
「……」
「……ごめんね、帰ろっか」

じゃあね。の一言ももらえず、なまえは立ち上がりアイツの元へと向かう。
彼女の細い腰を緩く抱きしめる彼奴の手は、壊れ物を扱うかのようなしぐさで、僕はその手でなまえを殴るとは到底に思うことができなかった。
でも、彼女はこのあと再び傷を増やすことになるのだろう。残念なことに僕には彼女とアイツの世界に入ることは出来ない。

助けて、って言ってくれればいいのに。