短編 | ナノ


 木漏れ日の照らすベンチで眠る少女の絵。微かな油の癖のある匂い。綺麗だな、とぼんやり思った。この絵を描いた人物に会いたい、とも。


「図書館の絵ー?」
「うん。誰が描いたか知ってる?」

 あの絵を見てから2週間。先日、ついに絵は片付けられてしまった。こうなれば、私一人では見つけられないと諦め、人に相談することにしたのだが、第一声の表情で答えは分かってしまった。竹谷ったら使えない。

「タイトルと一緒に書いてあったんじゃねえの?」
「それが無かったから困ってるのよ」

 どうもタイトルと名前の記載されたものは剥がれてしまったらしく、直されずに展示は終了した。それさえ有ればまだなんとかなったかもしれないのに。

「美術部に行ったら良いんじゃないのか?」
「知り合いもいないのに行けるわけないじゃない……」

 部活にもサークルにも入っていない私が気軽に部室棟に出入りは出来ない。規則はないが、どうしても及び腰になってしまう。

「しゃあねえなあ、俺が着いてってやるよ。美術部に知り合いもいるしな」

 にかっと笑う竹谷に、初めて感謝した。使えないなんて思ってごめんなさい。

 竹谷に相談した昼。約束は放課後なので、まだ時間はある。私は中庭のベンチに座っていた。向かいには目指す部室棟が建っている。昼からは1限飛ばして講義があるので、友人と昼食をとってから講義が始まるまで大分と時間がある私はこの場所で時間を潰すのが習慣になっていた。読書をしたり、時に昼寝をしたりとだらだらしている。
 あの絵を眺めていて気が付いたのだが、あの絵に描かれたのはこのベンチのようなのだ。自分が同じ場所を共有していると考えるとなんとも感慨深いものがある。この場所に来ると、この木漏れ日の暖かさも感じ取れるあの絵に入り込んだような気がして、余計にあの絵を描いた人物を思うのだ。


「ほんとにありがとう竹谷!」
「良いって。まあ、活動日じゃないから、鉢屋しかいねえけど」
「鉢屋くん?」
「そ。俺の友達。すっげー絵上手いんだぜ」

 竹谷の友達を知っているわけではないが、この大雑把な奴の友達が絵を描くのは余り信じられないと言うのが正直な感想だ。聞くと、何度も賞を取るほどの腕前らしい。
 話の最中にプルルルルと、携帯が鳴った。私ではない、竹谷だ。目で出たら? と促すとわりぃ、と言いつつ通話ボタンを押した。

「もしもし? 今は部室棟……はあっ!? まじかよ……ああ、直ぐ行く」

 その受け答えで大体想像がついた。

「わりぃ河内!」
「良いって、また脱走したんでしょ?」

 竹谷は農学部で、様々な動物を飼育している。だが、度々それが逃げ出して大変なことになるというのは聞いていた。

「河内のことは言ってあるから! 階段上がって左の突き当たりな! じゃ!」

 今しがた上ってきた階段を駆け下りながら叫ぶ声に「おー」と返事をしてから、急に足取りが重くなる。それでも、折角竹谷が話を付けてくれたのだから、自分も頑張らねばならない。気合いを入れて、階段を上った。

 階段を上って、左の突き当たり。半分程扉の空いたあれがそうだろう。扉にはポップな書体で美術部と書かれた紙が貼ってある。静かな廊下に足音が響くのは小心者の私には堪えられずそろそろと忍び足になっている。
 そろりと覗く。鼻につく油の匂い。壁にあの絵が立て掛けてあった。数日振りに見る絵にほうと感嘆の息が漏れる。その絵に近付く人がいた。あれが鉢屋くんだろうか。彼はじっとその絵を見詰める空気に割り込む隙を完全に逃した。
 鉢屋くんが絵に触れる。微睡む少女の頬を優しく、慈しむように撫でる。それはまるで恋人に触れるような手付きで見ているこちらがどきっとした。それにしても、絵に触れるなんて、描いた者しか許されない行為だ。鉢屋くんにそういった常識が無いと言うことも考えられるが、そうではないだろう。つまり、私が会いたかったのは。

「えっ」
「誰だ!?」

 思わず漏らした声に振り向いた鉢屋くんは心底驚いたという表情を浮かべていて、その焦りが私にもうつる。

「竹谷から連絡いってると思うんですけど、河内です! 安心してください何も見てないですから!」
「……見たな?」
「はい」

 私が見たのは、あの少女にそっと口付ける彼。その光景こそが一枚の絵であるように完成されたもので息を飲んだ。

「いいから、突っ立ってないで入れよ」
「お邪魔します」

 すごすごと部室に足を踏み入れる。廊下よりも強く感じられる油の匂いがまるで別の世界のようだ。

「俺に会いに来たんだろ?」

 やっぱり、鉢屋くんだった。気を取り直したのか飄々と問うてくる彼は、本当にあの絵を口付けたのだろうか。しかし、この目でしかと見たのだ。あの絵を描いたのも鉢屋くん。あの絵に口付けたのも、鉢屋くん。

「うん。すごく惹かれる絵だったから、どんな人が描いたんだろう、って思って」
「で、引いただろ」

 それは先程の光景を指してのことか。

「ひ、引いてない」

 引くはずがない。私はまた、ただ純粋に綺麗だと感じただけだ。

「鉢屋くんが、その絵を、その女の子を大切に思ってるのが伝わってきたから、全然、おかしくなかった」

 必死な私の言葉に、ぽかん、と口を開けてから、鉢屋くんは笑い出した。肩を震わせている。何かおかしなことを言っただろうか。

「河内、これ誰が分かるか?」

 鉢屋くんは少女を指差した。分からない。油絵の独特な風合いで少女の顔は今一特徴付け辛くなっているのだ。どこか現実とは別の平行線を辿っているような絵の少女にモデルがいるとは思っていなかったのが本音でもある。

「これ、河内だよ」
「私?」
「そう。中庭のベンチは部室からよく見えるんだ」

 週に1回、そのベンチで居眠りをする私を鉢屋くんは見ていたのだと言う。羞恥心でいっぱいになる。これほど恥ずかしいことがあろうか。寝顔という人が唯一取り繕えないものを見られていたのでだ。しかも、それを描かれて――

「え」

 鉢屋くんを見る。その顔は真っ赤だ。私もそれに釣られる。

「あ、あー。ちょっと、あっちを向いてくれないか。その、今は、まずい」


あの絵画の口付け


【キスさせたい五年】鉢屋のターン!
美術部っておいしいです私が。油絵のイメージ。口調が変わるのは仕様です。初対面<知り合い<友人
執筆:20120122


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