Heralist


ぎしり、安っぽいベッドが軋む。
気怠い体をゆっくりと起こすと、ベッドに腰をかけている男の口元から煙が吐かれているのが目に入った。
「ここ、禁煙なんだけど」
「お前の部屋を俺の香りでいっぱいにしておこうかと」
「顔合わせてない間にどんどん嫌いになるわ」
ローテーブルの上に置いてあった携帯灰皿を手渡す。男は苦笑いを浮かべながら、まだ長さのある煙草をその中へねじ込んだ。

自分がゲイなのだと気付いたのはいつだっただろうか。
言葉も態度もキツい自覚がある。それでも構わないと言う男は、ほとんどが体目当て。けれども、恋人なんてただ面倒臭いだけだと思っている安吾にとって、そのような男達は歓迎。むしろこの男のように何かしら買い与え、甘い言葉を囁き、恋人気取りをする男の方が厄介に感じる。
愛なんてクソ。ただの傷の舐め合い。つまらないごっこ遊び。
欲望にお綺麗な名前を付けて回りくどいやりとりをするくらいなら、いっそセフレ関係の方が素直で綺麗なものに思える。愛を囁き合って幸せそうに寄り添うカップルを見つけては、汚いものを見てしまったと顔を歪める。安っぽい言葉に浸るほど落ちぶれていない。あいつらとは違うのだと言い聞かせる自分は、この世の中では最低な人間に分類されるのだろう。

「そうだ、そろそろ誕生日だろ?プレゼントは何がいいかな」
楽しそうに話す声によって、思考に浸っていた意識が現実に引き戻される。男の手は艶やかな安吾の髪を梳く。鬱陶しい。その手を払い除けると、指先にこつりと高そうな腕時計が当たった。
「アクセサリーならなるべく高いのがいい」
「売るつもりだろう」
「おう」
どうしてこんな古いアパートに住んでいるんだと問われれば、節約のためだと答えるだろう。部屋に男を連れ込んだ時、もしかすると薄い壁越しに隣人が自分の声を聞いているかもしれない、という興奮に繋がるからではない。定職につかず、フリーターとしてだらだら働いてはセフレと会う毎日。金をかけるのは体のメンテナンスと食費くらい。その食事代でさえ、会うセフレに払わせる事が多いのだが。
「他には何かないの?」
放っておけば家でも買ってきそうなこの男。いくら付き合いが長いとはいえセフレはセフレだ。それ以上の関係になるつもりなんて無い。
欲しいもの、と口の中で呟いて思考を巡らせる。最近何か欲しいと思ったものはあっただろうか。軋むベッドはエロくて気に入っているから買い換えるつもりはない。他に思い浮かぶのはこの冬、あったら良いのにと思いを馳せた暖房器具。
「あー……こたつ」
「こたつ?」
「おう、こたつ以外いらねぇわ」
冬を乗り越え桜も散ったこの季節。暖房器具を手に入れるのはなかなか難しいだろう。
軽くあしらう感覚で言ったこの言葉。後悔するのはそう遠くはなかった。


誕生日当日。バイトを終えて帰宅すると、玄関にネコがいた。
すぐに思い浮かぶのはあの男。そういえば前回、買い出しに行かせた時に合い鍵を貸したままだった気もする。ソレを使って侵入したのだろうか。目隠しと手錠をつけたまま、ぺたりと座りこちらを見上げているそのネコの耳はピクピクと動いていた。
「こたつじゃねぇし」
こたつ以外いらないと言ったのに、これのどこがこたつだと言うのだ。確かにこれを抱いて眠れば暖かくはなるだろうけれど、生き物を何の相談もなしに置いて行くのは非常識すぎる。
そんな事を考えていると、声に反応したのかネコが口を開いた。
「ご主人?俺のご主人?」
細く、長い尻尾がピンと立っているのが見えた。きっと目隠しが無かったら、その目はキラキラと輝いているのだろう。けれども容易にソレをする事はできない。ネコは初めてその目で見た人間を主人と認識し、生涯愛し続ける習性があるという。まずはこれを置いて行ったであろうあの男に確認をしなければ。
「はぁ……ちょっと待ってろ」
「ちょっと?ちょっとってどれくらい?ご主人、俺はやくご主人の顔見たい!」
部屋へと入る俺の足音を追って付いて歩くネコ。視界も両手も塞がれているというのに随分と臆せず歩くな、と思ったのも束の間。
「ふぎゃッ!」
部屋の中央にあるローテーブルに足をぶつけて盛大に転んだ。膝と顎が痛そうである。
「……お前、バカだろ」
「ひっ、ぐぅ……痛い、いだぁぁああいっ!うあ゙ぁぁっうぁぁああんっ!」
「ちょっ、うるせぇ!」
「ごしゅじっ、ごしゅじんがぁぁあっ、おれっ、だって、おれ、おいてくんだもん!ご主人が俺のご主人じゃないの!?うぁぁああ゙あ゙っやだぁぁああっ!」
「あー、もう本当うるせぇな!あいつに確認したらちゃんとソレとってやるからまず落ち着け!大人しくしてろ!」
「ほんとっ!?」
勢いで言った言葉にネコの耳と尻尾がピンッと伸びた。ネコにとって主人の決定は、まさに一生に一度の大切な出来事なのだから喜ぶのも当然だろう。疑おうともしないその素直な反応に、ほんの少し罪悪感を感じながら携帯を取り出す。まだ仕事中かもしれないが、そんな事知ったこっちゃない。暫く呼び出し音が続いた後、気取った声音が携帯から聞こえてきた。
『プレゼント、受け取ってくれた?』
「受け取るも何もお前が黙って置いて行ったんだろ……どうすんだよこれ」
ちらり、さっきよりもだいぶ大人しくなったネコに目をやる。やはり落ち着かないのかユラユラと体を揺らし、耳もせわしなく動いている。先ほど泣き喚いていたのも考えると、元々子供っぽい性格なのかもしれない。
『ネコ、興味あっただろ?可愛がってあげてよ』
男の言うとおり、確かに興味はあった。ネコの知識があるのも最近調べたからである。けれども、ネコは決して安くはない値段、しかも生き物なのだ。犬や猫の世話もした事がない安吾にとって、たとえ愛玩動物であったとしても人型の生き物を気軽に迎えようとはどうしても思えなかった。
「……飲み食いするこたつなんて片付けらんねぇし、捨てられねぇし」
それなのに、自分の口から出た言葉にほんの少し驚く。まるでこのネコを引き取る事は認めているようだ。きっと、ここで断ればこいつは商品としてまた施設へ戻るのだろう。目隠しを取っていないのだからまだ返品できるはずだ。それなのにこの幼い子供のようなネコを突き放す気になれないのは、無邪気な期待を裏切ってしまったらまた大声で泣いてしまうのが容易に想像できるからだろうか。
『俺にも責任がある。お金に困ったら言ってくれよ……って、子供を育てる夫婦みたいだろ?』
「毎月養育費出せよ」
電話口で男が笑うのを聞き流す。『結婚しようか』なんて言い出したのを聞いて通話を切った。不安定な収入だけれど、いざという時はあいつがいる。他人を頼るのは本当に最終手段だが、命を預かる身としてそれくらいの保険は必要だろう。そして、不本意ながら今、その条件を満たしてしまった。

「ご主人、まだぁ?」
早く目隠しと手錠を取って欲しいのだろう。ネコの催促に思わずため息が出た。まずはこいつに礼儀と遠慮を教える事から始めようか。
静かに近付いて頭を撫でると、目が隠れているのに見て分かるほど、ネコの表情が綻んだ。騒がしいだけかとも思ったが、手に擦り寄る姿は愛らしいかもしれない。流石、愛玩動物といったところか。
腕を回して目隠しを取る。キラキラとしたエメラルドの目が安吾を見つめた。
「悪いけど贅沢させてやれるほどうちは余裕ねぇからな、我儘言うなよ」
「うん!」
「あー、えっと……俺、三浦安吾ね」
「あんご!」
「そんでお前はー……」



こたつが欲しかったのに


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