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薔薇の装丁

賢吾は図書館が好きだ。

一番よく利用するのは学校の図書室だが、休日になると気分転換も兼ねてそこに行くことが多い。広い空間に満ちる本のインクの匂いや、微かに聞こえるページをめくる音。利用者は決して多くはないが、それも含めて賢吾は気に入っていた。

杜王町立図書館――通称『茨の館』。粉雪がちらつく冬のある日、彼らは出会った。



学校の帰り、賢吾は真っ直ぐ帰宅することなく『茨の館』にやって来ていた。週に一度は訪れて本を借りるという習慣のためだった。元々は家に篭りがちな自分を何とかしようというちょっとした義務感から始まった行動だったが、今ではれっきとした楽しみになりつつある。

カウンターでそれまで借りていた数冊の本を返却し、閲覧スペースへ移動する。いつも行動を共にしている仗助・億泰・康一の三人は恐らくそのまま遊びに行ったのだろう。彼らと町に出るのも悪くはないが、たまにはこういう一人の時間が欲しくなる。深く追及せずにいてくれるというのは、随分ありがたいことだった。

立ち並ぶ書架の間を行き来して適当な本を何冊か見繕う。借りて帰るものとは別に、一冊だけ読んでいくのがいつものパターンだった。試験前には勉強をしていくこともある。ちょっとした穴場だと考えていたのだが――最近、気付いた。自分と同じ制服を着ている人間がいると。

思い返してみれば、時折視界に入ってくる黒っぽい人物がいたかもしれない。これまで周囲の人間に関心がなさすぎたのか、さっぱり気が付かなかった。閲覧スペースでぱらぱらと本を捲っているその人物は、確かにぶとうヶ丘高校の制服を身に纏っていた。一体いつ頃から自分とあの人は同じ空間にいたのだろうと考えていると、視線がぶつかった。彼が顔を上げたのだ。


「……きみ、さっきから俺を見ていたな。何か用か?」

「あ、すみません……その、まさか同じ高校の人がいるとは思わなくて」

「俺の記憶している限り、俺ときみが初めてここですれ違ったのは二年前だ。――まあ、気付かないのも無理はない。ここの主役は無数の本であって、決して人間ではないからだ」


目の前に立った彼は、随分と静かな印象を賢吾に与えた。普段一緒に過ごしている奴らが騒がしすぎるのかもしれないが、それにしても――なんというか、年齢にそぐわない落ち着きのようなものが彼にはあった。


「俺は蓮見琢馬という。ぶどうヶ丘高校の二年生だ」

よろしく、と手を差し出されることはなかったし、賢吾もしなかった。何となく、予感がしたのかもしれない。『決して相容れることはないだろう』という、確固たるものが。

それが二人の出会いだった。


蓮見琢馬が凄まじい記憶力を持っていると知ったのは、初めて出会った日のちょうど一ヶ月後だった。『茨の館』に訪れた賢吾を、どこからともなく現れた蓮見は無言で迎えた。気配もなく急に肩を叩くのはやめてほしいと思ったが、そう気軽にものを言えるほど気安い仲ではない。お互いに踏み込まないというのが暗黙の了解になっていた。


「きみは週に一度、必ずここに訪れる。俺の見た限り、借りていく本の種類に統一性はない。ミステリーを選んだと思えば童話も読むし、喜劇を選ぶこともあれば唐突にヒトデ図鑑を捲っていたこともあるだろう」

「……よくご存知で」

「目に入ったものは決して忘れない。そういう体質なんだ」

「へえ」


観察されていたわけではなく、ただ純粋に『そう』なのだろう。疑うのも面倒だ。世の中には、色んな人間がいるのだ。それを賢吾は身を以て知っている。
ただ、羨ましくはあった。見たもの全てを記憶する、というのは苦痛ですらあるだろう。けれど、それでも――忘れたくないものがあるのだ。


「あなたは――蓮見先輩は、その能力で得をしたことってあります?」

「……そうだな、暗記ものの試験では必ず満点だ」

「忘れたくないものって、ありますよね」

「そうだな」

「その点においてだけ、僕はあなたが羨ましい」


ほとんど誰もいない書架の間で、背中合わせのまま、そんな会話が続いた。微かなページの捲れる音、インクの匂い。耳と鼻孔を柔らかく擽るそれらの絶妙なバランスがいとも容易く崩れてしまうものだと、二人とも分かっていた。


「記憶の中にだけでもいてほしい、っていうのは、我が儘ですよね」


蓮見は振り返る。賢吾の指は一冊の本の背表紙をなぞっていた。タイトルのない茶色い皮表紙の本だ。時折呻き声を発するという噂の大元であることを蓮見は知っていたが黙っていた。


「人間って、声から忘れていくんだそうです。言われてみれば確かに、声が思い出せない。顔も、滲んだみたいにぼやけている。死ぬって、こういうことなんでしょうね。

この世に生きている誰の記憶の中からも、滲んで、溶けて、形もなくなる」

「そういう意味で死を解釈するのならば、俺がいる限りこの町に存在した人間は生き続けることになるな」


中身のない会話だ。結論は出ないし、得られるものもない。ただ、蓮見の言葉に対する賢吾の反応は――予想の、逆を行った。


「……それは、困りますね」


前髪が陰になって、表情は見えない。ただ、その声は嗤っているように思えた。訝しむ蓮見を振り返り、賢吾はにこりと笑ってみせる。


「なんて、冗談です。先輩が覚えている限り『その人は生き続ける』。素敵なことじゃあないですか」

「――……ああ、まったくだ」


何だったのだろう。自分の記憶している限り、彼はここまで中身のない会話をする人間ではない。そうであれば、今のやり取りには何かしらの意味があるはずなのだが――分からない。頭を動かしているうちに、賢吾は眺めていた本の中から無造作に一冊抜き出すと、「そろそろ失礼しますね」と頭を下げた。


「もうすぐ冬休みですから、試験前の勉強をしなくちゃいけないんです」

「一応、優等生なんだったか」

「ええ、一応。暗記は苦手なので、時間をかけないと」

「お粗末な皮肉だ」

「これは失礼」


く、と唇をゆがめて賢吾は去って行った。蓮見はそれを見送って、ひとり奥へと向かう。新しい本が読みたい気分だった。
窓の外を見る。暮れかけた薄暗い風景の中、細かな雪の粒がふわふわと舞っていた。指の先に触れたら消えてしまいそうな、小さなものだ。

自分にはわからないが、人にとっての記憶というのもこの雪と同じようなものなのかもしれない。触れているうちに消えてしまう。だから大切にしまっておくけれど、暖めておけばおくほど溶けていってしまう。――儘ならないものだ。

雰囲気に引きずられて、実のない思考をしてしまった。蓮見琢馬にはやらなければならないことが沢山あるというのに。気を取り直して、彼は自分の思考へと没頭するべく本を開いた。



*****



「誤魔化すのは大変だったんですよ?」


傘を傾けて、賢吾は呟く。周囲には誰もいない。耳に入るのは僅かに残った葉が雪を落とす音で、肌を刺すのは冷え切った空気だ。


「何となく、予感はしてたんです。あなたは『そっち』側――あいつらと反対側の人だって。あいつらがあなたを探していると知って、僕はある程度の結末を予想してた。

そして『こう』なった。僕は嬉しい」


ふと視線を上げる。雪がちらつく灰色の空に、一筋の煙が立ち上っていた。


「『あいつ』がどんな形であれ生きているなんて、僕は許せない。だから本当に申し訳ないけれど、こういう結果になったのは喜ばしい。

――せめてものお詫びに、僕はあなたを忘れないようにします。まあ、その役割を担ってるのは別の人だから、片手間程度にですけど。言ったでしょう?暗記は苦手なんです」


空を見上げたまま目を閉じた。――蓮見琢馬とは、短い付き合いでしかなかった。たいした感傷はない。

けれど、あの図書館で誰かと、ひっそりと談笑することはもうないのだと。そう思うと、少しだけ――……。


「……じゃあ、そろそろ。次は夏あたりに来ますね、蓮見先輩」



さく、と雪を踏みしめて、賢吾は踵を返す。それを見送るのは冷え切った墓石と、供えられた鮮やかな花。そして、一冊の本。

茨模様の美しい、喜劇を記した絵本だった。





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咸師さまリクエスト 四部小説『THE BOOK』の主人公蓮見琢馬と夢主の絡み で書かせていただきました!

蓮見のキャラクターを掴みきれなくて非常にもどかしい思いをしましたが、とにかくTHE BOOKの空気を出したい一心で踏ん張りました……!蓮見さんかっこいい。

ちょこっと本編とリンクしてますので、本編のほうも読んでいただけたらもう少ししっくりくるかなあと思います!(ダイレクトマーケティング)
……まあまだ本編そこまで進んでないんですけど(小声) がんばります(小声)

このリクエストを切欠にTHE BOOKを読めたので本当に良かったです、面白かった…!夢中で読み進めました。咸師さま、ありがとうございましたー!





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