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食育のススメ


「あー腹減ったなァ〜」


時刻はまだ午前、窓の外では僅かに夜中の冷気を引きずった風が木々の葉を揺らしている。空は抜けるほどの青さをもって人々の目を灼こうとしているが、纏わりつくような薄い霧がそれを阻止していた。

賢吾の前の席に座っていた億泰はそれまで身体ごと後ろを振り返って雑談に興じていたが、昼休みまで待ってらんねー、とぼやいて億泰は机の脇のフックに引っかけられていたコンビニの袋からパンを取り出してがさがさと食べ始めた。はみ出たクリームが口どころか鼻の頭にまでついているがいちいち注意してやる気も起きない。何せ目の前でクリームパンに齧りついているのは潰れたパグのような顔をした同い年の男だ。

とりあえずポケットティッシュを差し出してやって、溜め息をひとつ。食欲旺盛なのは成長期ゆえ仕方ないとして、早弁は風紀的に如何なものか。委員長たる自分の前で食い散らかすとはいい度胸だと思わなくもないのだが、校則に「早弁を禁ずる」という言葉はない。せめて隠せと言いたいが、虹村億泰という男にそういう小言は通用しないのである。


「億泰、食い散らかすな。それともっと静かに食べろ」

「ン〜?」

「……それにお前、甘いものばっかりで胸焼けしないのか。見てるこっちが辛いんだが」


あっという間に一個目のパンを食べ終えた億泰は、既にアップルパイの袋を開封していた。そして机の上に置かれた飲み物はペットボトルのミルクティーである。市販のそれの歯にくる甘さを思い出して顔を顰めれば、口の周りにパン屑をくっつけた彼が首を傾げた。


「オメー腹減らねーの?」

「減らないわけじゃあないが、行儀が悪いだろ。甘いものばかりで平気なのか」

「好きだからなァ〜、あんま気になんねーぜ」


そういうものだろうか、と少し考えてみる。自分も甘いものは嫌いではないが、極端な例として「チョコレートを食べながらジュースを飲む」という想像をしてみる。――すぐに眉間の皺が倍増した。胃からむかむかしたものがせり上がってくる。

好物であればいくら食べても、一緒に食べても平気というのは極論として。そういえば自分には公言するほどの好物が思いつかないことに気付いた。はて、と首を傾げている内に休み時間終了のチャイムが鳴る。当然のように賢吾が差し出したティッシュを一枚掻っ攫い口元を乱暴に拭うと、「サンキュー!」と笑って億泰は再び前を向いた。同時に教師が入ってきたので、意識を切り替えて真っ先に立ち上がる。


「起立、礼」


次は古文の時間だ。



******



いつもならば屋上で仗助や康一も交えて昼食となるのだが、今日は二人がそれぞれ用事があるというので億泰と二人である。結局億泰は早弁しただけでは物足りないと騒いで購買まで走って行ったので、「ついでに僕の分も買ってこい」と五百円玉を渡しておいた。その間に自分の分の飲み物を自販機で買っておくことにした。いつもなら迷わずお茶を買うのだが、ふと朝のことを思い出して自販機の前で考え込む。


「……今回だけ、」


硬貨を入れて、光るボタンに手を伸ばす。安価なパックジュースは、ごとんと音をたてて落ちてきた。何となく気恥ずかしくなって周囲を気にしつつ取り出し口に手を伸ばし、素早く回収して足早にその場を後にする。

辿り着いた屋上は日差しに照らされて暖かく、コンクリートに直接座っても寒さを感じることはなかった。昼休みの購買は混みあうため、億泰が来るのにはまだ時間がかかるだろう。今のうち、とパックにストローを突き刺して、口に運ぶ。賢吾の手の中にあるパックは鮮やかなピンク色で、ポップな字体でこう書かれていた――「いちごみるく」。

唇でストローを挟むようにして吸うと、口の中に一気に甘さが広がった。人工的なイチゴらしきものの甘味料と、大量投入されているであろう砂糖と、主成分たる牛乳の味だ。単品として飲むならまあ悪くないかもしれないが、食事時には如何なものだろうか。

若干辟易しながらも飲み下していると、軋んだ音をたてて屋上のドアが開いた。「待たせたなァ〜!」と両手にパンを抱えた億泰が駆け寄ってくる。ほい、と手渡されたのはメロンパンと焼きそばパンとお釣りだ。後者は人気があってレアな一品の筈である。見上げると、億泰は得意げな顔で笑った。


「ラッキーだろォー?ラスイチだったんだぜェ〜!」

「……そうか。僕が食べていいのか、これ」

「オレは甘いヤツのが好きだしよォ……ってあれ、賢吾珍しーモン飲んでんな」


どさりと隣に腰を下ろした億泰が賢吾の手元を覗き込んでくる。両手で隠すようにしながら「わ、悪いか」と呟けば、「いやべつに」、と姿勢を正してパンにかぶりついた。


「たまには、普段飲まないようなものを飲もうと思ったんだよ……僕はその、あまり種類を知らないし」

「いーんじゃねーのォ〜?冒険も大事だぜェ〜……失敗するといてーけど」

「それに、その。好物というのをはっきりさせておいた方がいいだろうと思って。

……気紛れだけどな」


そう、本当にただの気紛れだ。別に自分の好物がはっきりしていなくても出されたものを食べればいいだけの話だし、そもそも「食べる」という行為そのものに大した興味はない。トニオの料理は美味しいと思うが、それも頻繁に食べる機会があるわけではないのだ。たまのご馳走を美味しいと感じるのは人として当然というものだろう。

口の中が甘ったるい。塩気が欲しくて焼きそばパンを開封して齧ると、隣の億泰がもごもごと何か喋っている。口いっぱいにものを頬張っているから聞き取れない。行儀が悪いぞ、と言うと素早く咀嚼して一気に飲みこんだ。ハムスターか、と呆れていると、彼は満足げに息を吐き、不思議そうな顔をした。


「オメーさあ、自分の好きな食いモンとか自覚してねーの?」

「……何だよ。その言い方だとお前は知ってるみたいじゃあないか」

「知ってるっつーかよォ……オメーめっちゃわかりやすいじゃん」


ぎし、と賢吾の動きが止まる。硬直する賢吾をよそに、アンパンの袋を開けながら億泰はなんてことのない様子で言葉を重ねた。


「コーヒーは牛乳多めじゃねーと飲めないし、辛いのはあんま好きじゃあねーだろ?

それからサンドイッチよりは焼きそばパンみてーなおかずパンのが食うペース早いから、そっちのが好きってことじゃん」


メロンパンはクリーム入ってないやつの方がぱくぱく食うし、唐揚げと卵焼きが弁当に入ってたら卵焼きくれることの方が多い。


指折り数えられる自分の嗜好に、首筋がかっと熱くなる。それはじわじわと上昇して、頭が沸騰しそうだとさえ思った。


「なっ、なん、なんでお前っ、そんな詳しいんだよッ!?」

「オメーが気にしなさすぎなんだろォ〜?なんつーかよォ、おめーが飯食ってんのってなんか面白くてついつい見ちまうんだよなァ」

「僕は見世物じゃあないッ!」


力の篭った手の内で、いちごみるくの字がぐにゃりと歪む。羞恥でどうにかなってしまいそうだった。誤魔化すように口を大きく開けてパンにかぶりつく。億泰は楽しそうに笑いながらアンパンを咀嚼して、ついでに買ってきていたらしいパックジュースにストローを突き刺した。


「まあいいじゃあねーか、色々冒険しちまえよ。好きなモンわかったら教えろよなァ〜」


ぢゅうう、と音をたてて吸い上げられているのは「バナナオレ」である。また甘そうなものを、とげんなりするが、もう何か言う気にもなれなかった。



空は青く、レンズ越しに見上げた賢吾の目を灼く。肌を撫でる風は柔らかく、どこか甘い匂いを運んできている気がした。


――そういえば、億泰に買い物を頼んで「不味い」と思うものにあたったことはなかった。


そんな事実に気付いて、また顔が熱くなる。こういうことに自然に気付いて、気を配り合うのが友人というものなのだろうか。顔を上げることが出来なかった。隣にいる億泰が、何か深い考えがあって言ったわけではないとわかっているのに妙に照れ臭い。


「……今度は」

「ン?」

「……今度は、僕が何か買ってきてやる。お前の好きなものぐらい、僕にだってわかるんだからな」



億泰がひどく嬉しそうに笑う。五月のある日の昼下がりのことだった。




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マッツ様リクエスト 『億泰と主人公ほのぼの』 で書かせていただきました!ありがとうございましたー!


常に何か食べてる系男子・億泰。男子高校生がいっぱい食べてるのって可愛いですよね。そして億泰は可愛い。つまり天使です。

お昼休みの光景とか妄想するの超楽しいです。そんなわけで、とても楽しく書かせていただきました!マッツ様ありがとうございました!!





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