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藁の冠



気が付いたらイタリアにいた。


嘘だろ東方、とでも口にすればよかったのだろうか。だが実際、人間は理解の及ばない出来事に遭遇すると言葉も出ないのだということをたった今身を以て知ったところである。

周りを見渡せばまったく見たことのない景色が広がっていて、耳に飛び込んでくるのは馴染みのない言葉の波だ。空気の温度、湿度、匂いさえも違う。ここはどこなんだ、どうして自分はここにいるんだ、という思考で頭が一杯になり、無意識のうちに踵がざらりと砂を擦る。どうやら大通りに面した細い路地にいるようで、数歩踏み出せば明るく雑多な場所に出られるだろう。――そうしなかったのは、ひとえに恐ろしかったからだ。

『スタンド』という能力を持つ以上、一般人に比べて不可思議な出来事に巻き込まれる可能性は遥かに高い。実際にそれで命の危険を感じたことは何度もあるし、その都度なんとか乗り越えてきた。だがそれは、仲間の助力があってこそのものだった。
東方仗助や虹村億泰、広瀬康一に岸部露伴。空条承太郎がいれば大体何とかなるという安心感さえあった。ところが今、いくら見回しても誰もいない。たった一人、見知らぬ場所にいる。『不安』という言葉で片付けるには、あまりに孤独だった。

視線の先の人々は陽気に笑い、それぞれ言葉を交わしながらナマエの前を通り過ぎていく。それが途方もなく遠いものに思えて、恐ろしくて。逃げるように――否、逃げた。日向に背を向けて、深い日陰の奥へ。せめて、耳を擽る理解できない言葉が届かないところまで。



******


落ち着け、落ち着けと呪文のように呟く。徐々に冷静さを取り戻す頭で、現状を把握するために必死で情報を掻き集めた。

此処はどこか。イタリアのどこかだ。先程雑踏の中で、いくらか知っている単語が聞こえてきていた。グラーツィエという言葉をトニオの口から聞いたことがある。彼の出身はイタリアと聞いているから、これは間違いない。

次に、なぜ此処にいるか。確か自分は学校から帰る途中だったはずであり、思い返してみても直前の記憶は見慣れた町の通学路である。原因は不明だが、『スタンド』による襲撃の可能性が高い。

最低限これだけを踏まえた上で、これからどうするか。SPW財団と連絡さえとれれば日本に帰れるだろうとは思うが、イタリアに支部はなかったように思う。承太郎の番号は万一に備えて覚えてあるので国際電話さえかけられれば、きっとどうにかなるだろう。どこかで電話を貸してもらえないだろうか、片言の英語でもなんとかなるだろうかという不安はあるが、行動しないことには始まらない。かたかたと震えている身体を無理やり動かして立ち上がったところで、こつ、と後頭部に硬い感触。


「Muoviti e sei un uomo morto.」

「え、」


囁くようにかけられた声に振り向こうとして、耳元で大きな音が聞こえた。視界が電気のスイッチを切ったように真っ暗になって、意識が途切れる。



――ああ殺されたのか。


青いトカゲは物陰に潜んで犯人を見詰める。金髪の、色気のある男だった。さて何故自分は殺されたのだろうかと首を傾げるも理由はさっぱりわからない。ただ、『タダ者ではない』空気を感じる。イタリアといえばギャングやマフィアが台頭する国だと聞いたことがある――つまり、そういうことなのだろうか。

しかしいきなり殺しにくるとは物騒な男だ。奴が立ち去ったら『リザード・テイル』を発動して大通りに戻り、親切な人を探すとしよう。

そう思ってじっと息を殺す。男は気障ったらしい仕草で銃をしまうと、長い脚を動かして背を向けた。足音もなくその姿が闇に消えたところで能力を発動し、頭に穴を開けたトカゲと入れ替わるようにしてナマエは立ち上げる。急ごうと走り出そうとして――耳元を掠った熱に、足を止めた。


「E 'bene coraggio di fare il morto?」

「……!」


去ったフリをして潜んでいたらしい男が嫌味なほど絵になる笑みを浮かべ、銃を構えてこちらを見ていた。男は痛みを感じるほどの力でナマエを掴むと、そのまま裏路地の奥に向かって歩き出す。抵抗しようと身じろぎしたが、銃をちらつかされては黙るほかなかった。無駄に殺されるのは、ごめんだ。


******


まさか本当にギャングの人間だとは思わなかった。

あれから古びた一軒家に連れ込まれ戦々恐々としていたところ、強面の男たちに囲まれてイタリア語で耳が痛くなるほど色々と聞かれた。半泣きになりながらイタリア語がわからないんだと英語で叫ぶと、ナマエを連れてきた金髪の男が溜め息を吐き、面倒臭そうな顔で対応してくれた。

曰く、彼らはギャングであること。お察しの通り後ろ暗い仕事を任されていること。仕事の現場を見られたと思い発砲したが何故か生き返ったこと。お前には『スタンド使い』である疑惑がかけられていること。こちらの顔を知られたからにはタダで帰すわけにはいかないこと。

思わず理不尽だと零せば、「運が悪かったな」と笑われる。彼らは大きな仕事を控えているらしく空気が張りつめていた。どうにか逃げられないかと考えるナマエをじっと見つめていたリーダーらしき男が小さく鼻を鳴らしイタリア語で何かを呟く。それからはまた理解できない言葉の応酬で――気付けば、埃の積もった部屋に閉じ込められていた。

穴の開いたベッド、引き出しの足りないチェスト、一枚の鏡がその部屋の全てだった。仕方なくベッドに腰掛けて、正面にかけられた鏡を見る。疲れ切った顔の自分と、髪の長い男が映っていた。


「――うわッ!?」

「……ああ、やっぱり『スタンド使い』なのか」


ずるり、とホラー映画のように鏡から男が這い出てくる。イルーゾォと名乗った彼は、大きく溜め息を吐いてナマエをじろじろと眺める。居心地悪く感じていると、彼は壁に寄りかかるように立ちながら「残念だけど」と口を開いた。


「お前には役に立ってもらおうってことで、こっちの意見は纏まった。プロシュート……あの金髪から聞いたけど、死んだはずなのに生き返るんだって?
『スタンド』の詳細は追々喋ってもらうけど、とりあえず抵抗しないほうが身のためだぞ」

「……口外しないんで解放、っていうのは」

「有り得ると思うか?」


小さく笑う男は、やはりギャングの暗部を担う存在なのだろう。ナマエひとり殺すことも、殺さないように口を割らせることも顔色ひとつ変えずにやってのけるだろうということはすぐにわかった。――目標を、脱走から生還に切り替える。『リザード・テイル』の回数制限さえ誤魔化してしまえば死んだと見せかけて逃げることもきっとできる筈だ。それを信じることしか、出来なかった。




数日の間、そこで過ごした。イルーゾォはこのチームの中でも話のわかる相手で、時間があるのか監視なのかナマエの話し相手を務めることが多かった。食事を持ってくるパイナップルのような頭の男や剃り込みの入った男、奇妙な服とアイパッチの男も話しかけてはきたが、イタリア語のわからないナマエは困惑することしかできなかった。

交わした言葉は少なかったが、色々な話をしたように思う。主にナマエが乞われるままに学校の話をして、時折イルーゾォがイタリアの雑学を語ってくれた。その目に憐憫と羨望が混じっていたような気がするのは、ナマエの感傷だったのかもしれない。

けれど、この数日間で彼のことを憎からず感じていたのも事実だった。億泰の失敗談で笑うこともあれば、納豆の話で眉を顰めたりもした。


「こんな仕事してるけど、なんだかんだ言ってあいつらといるのも悪くないんだよなあ」


――そう呟いた彼の横顔に親近感を抱いたと言ったら、鼻で笑われるだろうけれど。


引き摺り出された数日ぶりの外で、囮になれと告げられた。視界の端で目を逸らすイルーゾォが見えた。お人好しだなあと心の中で呟いて、彼らが背を向けた隙にトカゲを走らせた。こっそりと、ばれないように。それぞれの服にくっついたのを確認して、されるがままに車道に突き飛ばされる。運転席で目を見開いたのは、あどけない顔をした少年のようだった。黒髪に映えるオレンジ色のバンダナがやたらと目につく。

轢かれる、と思いきつく目を瞑った。けれど想像していた痛みはなく、轟音と共にナマエのすぐ近くに何かが突っ込んできた。振り返ればナマエを突き飛ばした剃りこみの男――ホルマジオの姿はなく、運転席から飛び出してきた少年が何事か怒鳴り散らしているのを茫然と見上げることしか出来ない。腕を引かれて歩道に戻され、つっかえながらグラーツィエ、と告げると少年はからりと笑って車の方へと戻っていく。嫌な予感がして細い道に入り込んだところで――ホルマジオと少年が争い始めた。




身体に無数の穴が開いた。ぐずぐずと腐り落ちた。バラバラに砕かれるような痛みを感じた。わけもわからず苦しんだ。何かに噛まれて呼吸が止まった。喉を後ろから貫かれた。再び、身体に穴を開けられた。



彼らは死ぬ運命だったのだろう。トカゲの目を通じて見た彼らの敵は、あまりにも澄んだ目をしていて。中でもジョルノと呼ばれていた少年には、仗助や承太郎と近いものを感じた。

文字通り身を削って彼らの身代わりになったのは、鏡の男が他人に思えなかったからだ。彼は覚悟を決めた顔をしていた。状況から察するに、彼らの挑んだ賭けは勝率の低いものだとわかっていたのだろう。命を賭けるだけの望みがきっとあった。
もし自分が同じ状況に立たされたとして、助かる要素があったとしたら確実にそれに縋る。自分だけでなく仲間と共に生き残る道だ。今この場でそれを持っていたのはナマエであり、独りよがりのエゴでろうとも、それが何らかの形でも救いになればいいと。そう、思ったから。


(ああ、これで全員)


数日間続いた地獄のような痛みにも、これで終わる。深く息を吐いて、目を閉じて。




気付いたら、自宅にいた。


「……は?」


思わず、声をあげる。まさか夢だったのだろうか。だが記憶に残る痛みも気怠さも本物で、茫然と天井を見上げるしかできない。見慣れた自室の天井に毒気を抜かれた気分だった。

何だったんだと考察する間もなく、電話が鳴る。傍らに投げ出されていた携帯電話を見ると、見慣れない番号が表示されていた。疑問を覚えるも、考えるのも面倒臭い。通話ボタンを押して耳に当て、「もしもし、」と告げると――


『ああ、やっと繋がった』


初めて聞く、柔らかな声だった。背後に聞こえるのは、騒がしいイタリア語だ。そのどれもが、聞き覚えのあるもので。その全てが、聞き覚えのない明るいもので。


――間違っていなかったのだと、報われたのだと。目頭が熱くなるのを、止められなかった。




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『長編主人公が5部にトリップして、暗殺チームを救う話 イルーゾォと仲良くなってほしい』 というリクエストで書かせていただきました、ありがとうございましたー!

暗殺チームの生存はとても重いテーマだなあと四苦八苦しつつ、なんとか出来たかなあと思っております。
どうやって暗殺チームと行動するかを考え始めるといくら時間があっても足りない……!うおー!難しい!難産でした!

どうにかこうにか精一杯書かせていただきました、ありがとうございました!!




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