Thanks 10000Hit | ナノ

 
カートゥーン・モンスター


僕の周囲には変人が多い、と辰沼賢吾は語る。

彼の友人がその場にいたら「おめーも十分変だよ」と言うことは明白なのだが、当の本人はいたってまともな人間だと断言しているらしいので放っておく。――問題は、その認識があながち間違っていないということだ。
普段から行動を共にしている面子を見ればわかる。東方仗助、虹村億泰、広瀬康一、たまに山岸由花子。この中で常識人と認められているのは康一くらいのものだろう。むしろこの顔ぶれの中では、賢吾とてまだマシな方だ。

そして、彼の周囲の中でも一際――というか、比べるまでもなく変わった人物がいる。その人の名は岸部露伴。杜王町が誇る人気漫画家である。

普段は仕事で家に篭っていることが多いが、何よりもリアリティを追求する彼は常に刺激を求めている。仕事が片付けば画材を持って外をうろつき、新たな獲物を探すのだ。そしてその探索に付き合わされる回数は、康一が頭ひとつ、いや二つか三つ分は飛びぬけている。気に入られてしまった弊害とも言うべきなのだが、人の良い康一は文句を言いながらも立ち去るような真似はしない。よろしくない連鎖が生まれてしまっていた。

『露伴が出たら康一を呼べ』というのは、既に露伴と交友関係にある人々の暗黙の了解であった。それが一番の解決策だというのを、賢吾も知っていた。知っていたのだが。



「おい何をボサッとしてるんだ、早くやれよ」


手を止めて思考に耽っているところに飛んでくる理不尽な声。……僕なんでこんなところにいるんだろう、という想いを込めて、賢吾は溜め息を吐いた。



悲劇の始まりは、賢吾が下校中に露伴に遭遇したことにある。運悪く大量の課題が出されてしまい、仗助達はうんざりしていた。賢吾とて嬉しくはないが、「まあこんなこともある だろう」程度のものだ。遊びたい盛りの高校生の反応としては仗助達のものの方が多数を占めるだろう。幸いにも課題の期限はまだ先であるため、充分な時間は与えられたと言える。
しかし、賢吾としてはさっさと面倒なものは片付けてしまいたかった。夏休みの宿題も最初の二週間程度で全てを終わらせるタイプの男である。大量の課題が出たことによって下がったテンションを上げに行くのだと鼻息も荒く町へ飛び出していった仗助と億泰、やはり課題は嫌だったらしい康一を呆れた目で見送って一人で帰路についたのだ。

その途中で遭遇したのが、康一を探していたらしい露伴だった。顔を合わせた以上は無視するわけにもいかないと話しかけたが、見事に捕まった。なんでも、「勉強している学生」の姿をスケッチしたいのだという。なんでまた今になって、と思わなくもないが聞くと恐らく、いや確実に面倒なことになるからやめておくことにした。それくらいの予想はできる。

ちょうどいいと言えば、そう言えなくもない。単に勉強する場所が露伴の家になるだけだし、バイト代も出してくれるという。勉強するだけなのにお金までもらうのは、と辞退しようとしたが、そこはプロ根性を盾に譲ってもらえなかった。少し罪悪感を覚えながらも彼の家に招かれる。仕事部屋に入ったことは何度かあったが、まさかここで勉強することになるとは思わなかった。


「じゃあ、適当にやってくれ。ああ、変に気張るなよ……ぼくは自然な姿が見たいんだ」

「はあ」

「ぼくは幸運だった……クソッタレ仗助やアホの億泰は論外としても、康一くんもそこまで勉強が好きってわけじゃあないからな。

賢吾、そういう意味じゃきみが適任だ。是非とも『しっかり』勉強してる姿を見せてくれよ」

「僕も別に勉強が好きってわけじゃあないんですけど……まあ、善処します」


そんなやりとりの後、賢吾は教科書とノートを広げ、露伴に辞書も借りて課題を始めたのだが。


「(近い)」


とにかく近い。下手をすれば耳元で聞こえる鉛筆が滑る音は、小さなものであれば心地良かっただろう。しかし、一挙一足を見逃すまいとしているらしい露伴の視線と組み合わさったそれはもはや暴力的ですらある。この中で集中して勉強しろというのも無理な話だ。一度気になってしまうと中々意識は逸らせなくて、ついに手が止まってしまう。そこを見咎められたというわけだ。


「あの、露伴先生」

「ん?……ああ、もしかして集中が切れたのか。まあ集中力の持続時間は一時間半程度だと言われているし、仕方ない。休憩していいぞ」

「……どうも」


意外にも、露伴はあっさりと身を引いてくれた。彼は手にしていたスケッチ道具を机に置くと、すたすたと部屋を出て行ってしまう。固まった身体をほぐすように大きく伸びをすると、ぽき、と骨が鳴った。小さな欠伸を噛み殺しつつ時計を見ると、露伴の言った通り一時間半程が経過している。放課後すぐにここに来たから、何とも中途半端な時間だ。

平均より少し細めの体躯とはいえ、賢吾とて健全な男子高校生だ。当然食欲も人並みにはあるわけで。昼食を摂ってから四時間以上は経過し、夕食まであと二時間以上ある。自覚すると、一気に空腹感が襲ってきた。ここで腹が鳴ったら恥ずかしいな、と考えていると、露伴が手にトレイを持って戻ってきた。ふわりとした紅茶の香りが鼻孔をくすぐる。


「ほら」

「ありがとうございます……何だか、少し意外です。甘いものお好きなんですか?」

「糖分を摂らないと作業が捗らないからな。好きか嫌いかはともかく、定期的に食べるようにしているというわけさ」

「へえ」


そういうものか、と考えながら紅茶と一緒に出されたクッキーを摘まむ。市松模様のそれはバターとココアの甘味が絶妙に溶け合うようでなんとも美味だ。恐らく露伴のことだから、どこかの有名店のものだろう。漫画に関することなら妥協を知らない男だ。性格や言動はともかく、こういった点で露伴のことは尊敬できる。康一のように懐かれるのは、正直言ってごめんだが。


「そういえば賢吾、きみ視力はいくつだ」

「え?」

「眼鏡をかけているから良くはないんだろう?具体的にはいくつだ」

「ええと……今年の健康診断では、左右0.2ずつでした」

「じゃあけっこう度が入ってるんだな、その眼鏡」

「そうですね。ないと生活に支障が出ます」

「ちょっと貸してくれよ」


止める間もなく、露伴はひょいと賢吾から眼鏡を攫っていってしまった。視界が一気にぼやけ、少しでも物を見ようと目が細まる。眉間にぎゅっと皺が寄った。


「ちょっと先生、返して下さい」

「少しだけだから!……うわ、なんだこれぐらぐらする。きみよくこんなもん顔に乗せて生活できるな」

「むしろ乗せてないと生活できないんですってば。返して下さい」


馴染みの薄い場所で視界が不明瞭という状況は、かなり不安なものがある。目の前にいるのが『あの』岸部露伴ということも一役買っているのは言うまでもない。
なにせ行動がまったく予測できないのだ。次の瞬間、眼鏡を食べようとしてもおかしくない。家にスペアはあるが、今ここで眼鏡を失ったらそもそも帰れないのだ。


「なにせ周りに眼鏡をかけているヤツがいなくてね。一度体験してみたかったんだ」

「そうですか。どうでもいいんで返して下さい」

「そういえば、きみの――この場合は素顔というのか?そういうのも初めて見たな。スケッチしておこう」

「やめてくださいよッ!」

「ハハハハハどこを見てるんだぼくはここだッ!」


ぼやけた視界の中で、なんとかテーブルにぶつからないよう立ち上がって露伴に手を伸ばす。おちょくるように高笑いしながら逃げていく彼を追いかけたいのはやまやまだが、すぐ近くのものしかはっきりと見えていない中で他人の家を走り回るわけにもいかない。どうしようもなくなって途方に暮れていると、気の済んだらしい露伴が「ほら」と言って眼鏡を返してくれた。


「いやあきみには感謝するよ賢吾。いい資料になった」

「ああそうですかよかったですね」

「そう拗ねるなよ。バイト代とおまけでクッキーの残りやるから」

「拗ねてないッ!……ありがたくもらっておきます」


再びクリアになった視界では露伴がにやにやと笑っていた。その手にはいつの間にか小さな紙袋がぶら下がっている。ちらりと中を覗くと、封筒とクッキーの入った袋が見えた。本日のバイト代らしい。


「もういいんですか?」

「逆に聞くが、そんなに警戒心剥き出しで勉強に集中できるのか?」

「……わかりました帰ります」


なんというか、どっと疲れた。
テーブルの上に広がったままの勉強道具を片付けて、帰り支度を整える。露伴に見送られて外に出ると、もう日が落ちて暗くなっていた。


「気を付けて帰れよ」

「……驚いた。過保護ですね」

「きみに何かあったら真っ先にぼくに迷惑がかかるじゃあないか。面倒だろ」

「……あんたそういう人ですよね」

「今更気付いたのか」


胸を張る露伴に溜め息を吐きつつ、別れを告げて家路を急ぐ。慣れない道を行く足は、どこか浮ついた感じがする。


今は大人しくしている腹の虫も、もうすぐに復活してしまうだろう。静まりかえった住宅街で鳴かれては恥ずかしいにもほどがある。露伴の家から賢吾の家までは、決して近いとは言
えないのだ。
左手に持った紙袋を揺らして、賢吾は明瞭な世界を見つめる。薄いレンズ一枚でよくもまあここまで世界が変わるものだ、と改めて感心する。


――世界は、いとも簡単にその像を変えるのだ。今まで何とも思っていなかった様々なものでさえ、誰かと共有すれば素晴らしい財宝と化す。たとえば、今紙袋の中で揺られているクッキーだとか。


「……明日、分けてやるか」


ぽつりと呟く。手放しで喜ぶ間抜け面と、対照的に苦虫を噛み潰した顔。苦笑しながらも素直に喜ぶ明るい声。容易に想像できる、自分にとっての秘密の財宝。

その中には勿論、あの偏屈な漫画家も含まれている訳で。

恥ずかしい思考を頭を振って追い払い、歩くことに集中する。――たまには、こういうこともありかもしれない。そう思ったことも、全部秘密にして。




------



ささみさん様 『とかげのしっぽの番外で露伴と絡ませて欲しい』というリクエストで書かせていただきました!


そういえば露伴先生を書くのは初めてなんですがめっちゃ難しいですねこの人……!
気に入った人にはとても親切だと思うのですが、主人公はどうだろう……
先生の中では康一くん>>>越えられない壁>>>主人公>>>>>>億泰>>>>>>>>>>>>仗助 みたいな感じだといいな、なんて。

新鮮な気持ちで書かせていただきました、ありがとうございました!




prev|next

back

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -