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ゆきどけ
この状況はなんだろう、と今の自分の状況を振り返ってみて、気が遠くなりかけた。主観的に見てこれだけアウトなのだから、客観的に見たらもうアウトどころの騒ぎではないだろう。他人に見つかっていないだけまだマシなのかもしれないが、見つかったらまずい。社会的に死ぬ。早く何とかしなければ……!
そう考え、ぐっと腕に力を込める。しかし目の前の壁はびくともしなかった。
「……おい、暴れるな」
間近で緑の瞳に覗き込まれた瞬間、賢吾の背筋を何かが駆け抜けた。
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事の発端は、年末になって承太郎が杜王町にやってくるという仗助の一報だった。元々多忙である承太郎が短期間とはいえ杜王町に滞在するのは久し振りのことで、その話を聞いた人々は一様に喜んだ。何せ空条承太郎といえば『最強のスタンド使い』である。『スタンド使い』の多い杜王町関係者の中ではまさにヒーローのように扱われているのだから、彼らの反応は当然と言えた。
中でも一番喜んでいたのは彼の叔父である仗助で、承太郎への憧れが誰よりも強い彼は、関係者一同にこう切り出したのである。
「忘年会やろうぜ!」――と。
今を逃したら、次に会うのは確実に年を越してから暫く経ってからだ。少し早いとはいえ時期もちょうどいいし、歓迎会というのも何か仰々しい。しかし折角来てくれたからには楽しんでもらいたい。
そんな気遣いから生まれた案は、周囲から好意的に受け入れられた。何だかんだで楽しいことが好きなのは皆変わらない。
こうして関係者を集めて始まった忘年会は、虹村邸で開催された。単に大人数で騒げる場所がそこだけだったというだけの話である。皆で手分けして食材や飲み物を持ち込んで、手軽に作れる鍋を用意して――宴会、開始。
宴の空気というのは、人の気持ちを軽くする。普段は寡黙で羽目を外さない承太郎も、珍しく……というか、仗助達の前では初めて酔っていたようだった。
負けず嫌いの露伴の影響もあっただろうし、美味い酒とつまみを提供してくれるトニオの影響もあっただろう。無邪気に騒ぐ高校生達の浮かれた雰囲気もまた然り。口の端を持ち上げて笑う姿を露伴がスケッチしているのも許す程度には、彼も楽しんでいた。
そして、夜も更けて。そろそろ高校生組は帰るべきだという時間になり、それに乗じて何人かが帰ることとなった。賢吾もその一人だ。
露伴や仗助は宴会を続行するらしいが、康一や由花子、承太郎とトニオは次の日も仕事があるという。主役がいなくなってしまうのも本末転倒だが、そこは本人が「楽しかったぜ」と言ってくれたので良しとするらしい。
由花子は康一が送って行くこととなり、トニオは自宅の方向が違うからと言って虹村邸の前で別れた。残った賢吾と承太郎といえば、途中まで道が一緒ということもあり並んで歩き始める。やはり酔っているのか、承太郎の歩みはゆっくりとしている。騒ぎの余韻でどこかふわふわした歩みの賢吾が、容易く追いつけるほどに。
「……寒いですね」
「ああ」
先程まで暖かい部屋にいたせいか、頬に当たる風がやたらと冷たく感じる。忘年会に参加するというのは初めてだったが――楽しかった。
今まで家でしか過ごさなかった時間を親しい人達と過ごすというのが、あんなに楽しいものだとは思わなかった。柄にもなく騒いだ気がする。少し恥ずかしいが、まあ宴会だし気にする人はいないだろう。
マフラーに顔を埋めて顔が赤くなるのを誤魔化していると「そういえば」と承太郎が口を開く。見上げると、笑うのを堪えているような顔がこちらを見下ろしていた。
「仗助と億泰の奴がこっそり酒を混ぜていたんだが……意外と平気そうだな」
「へっ!?」
心当たりが全くない。目の前に置かれていたコップから目を離している隙などいくらでもあったから、いつ入れられたのかもわからないし飲んだ覚えもない。しかし、結果的に飲んだという事実は変わらない訳で。
「馬鹿なッ……僕が、僕が、未成年にして飲酒だなんて……!」
「そう大袈裟に考えるな。宴会ならノーカンだ」
「有り得ない……あいつら覚えてろ……」
このふわふわした感覚はアルコールのせいだったのか、と友人二人の得意げな顔を想像して思わず舌打ちが漏れる。思わず頭を抱えていると、くつくつと噛み殺したような笑いが聞こえてきてますます腹が立った。
「……気付いてたんなら止めてくださいよ」
「高校生なんてそんなモンだぜ」
「だからって、」
――承太郎を見上げながら歩いていたせいだろうか。何かに躓いて、バランスが崩れた。いつもなら踏み留まることが出来ただろうが、少量とはいえ初めてアルコールを摂取した身では体勢を立て直すことも出来ず。
倒れる、と思った瞬間、目の前には壁が出現していた。
「……えっ」
「――やれやれだぜ」
ごく近いところから、低い声が聞こえる。恐る恐る視線を上げると、想像以上に近いところに端正な顔があった。かつてない程に近い。ただでさえ人との接触に慣れていないというのに、間近にいるのはあの空条承太郎である。心臓に悪いにも程があった。
どうやら転びかけたところを承太郎が抱えてくれたらしい。背中にひんやりとしたものが触れているから、恐らく承太郎が壁に手をつく形で支えてくれているのだろう。腰に腕が回っているのもそのせいだ。というか、それ以外を考えたくない。
「あ、あの、空条さん、」
「衰えたもんだぜ……酒が入っていたとはいえ、これくらいのことに反応できねーとはな」
「ちょ、ちか、近いッ……」
「怪我はないか」
「あ、はい」
そうか、と安心したような声音にほっと一息吐いた。そういえば、助けてもらったのに礼もしていない。とりあえず一旦離れて礼を言おう。この体勢はなんというか色々まずい。
賢吾は「大丈夫ですから」と言って、目の前の壁――もとい承太郎の胸を押しのけようと腕に力を込める。分かってはいたが、恵まれ過ぎた体格の男だ。思い切り力を入れないと無理かと悟って踏ん張ろうと、ふと顔を上げて――
「……おい、暴れるな」
至近距離に、緑の瞳があった。
ハーフだということは知っていた。実際に掘りの深い顔立ちをしているし、日本人離れした長身もそれを裏付けている。だが何より印象的なのはその瞳で、一度間近で見てみたいなあ、という願望はあった。……叶うとは、思っていなかったが。
ぞくりと背筋を駆け抜けた感覚は、一体何だったのだろう。寒気ではないし、不快感もない。ならば、これは。
「――え、」
「すまんが……飲みすぎたらしい。力が入らねえ」
「だ、大丈夫、なんですか」
「少し待てば問題ない……窮屈だろうが、我慢してくれ」
そう呟くと、承太郎は賢吾の背後の壁に頭を預けたようだった。耳に彼の吐息が触れて跳ねそうになる肩を根性で押さえつけ、はあ、と上の空の返事をして黙り込む。どうしろというのか。なんとなく視線を落として、じっと地面と自分の爪先を見詰める。……混乱していた。
転びかけたのと驚いた余韻で未だに心臓は煩い。耳元でどくどくと鳴っているかのような錯覚さえしてしまいそうだった。それ以外の要因は考えたくなかったし、考えたら終わりだという妙な確信もあった。特に――今の状況が不快ではない、という点については。
「(寒く、ないからだ。――そうに決まってる)」
ふっと吐いた息が、白く濁って闇の中に消えていく。それを見詰め続けることしか、賢吾には出来なかった。
――どれほど待っただろうか。ゆっくりと承太郎が体勢を立て直し、離れていく。
「悪かった。もう大丈夫だ」
「いえ――あの、助けてくださってありがとうございました」
「いや」
そのまま何事もなかったかのように歩き始める承太郎を追って、賢吾も歩き出す。ただし、一歩さがって。
気の迷いにもほどがある。これが酒の力かと密かに慄いていると、ふと承太郎が立ち止まった。
「賢吾」
「はい」
「もっとこっちに来い。……転んでも助けてやれないぞ」
にやりと笑う姿の、なんと絵になることか。羞恥と、また別の『何か』に熱くなる顔を誤魔化すことは、もう出来そうにない。ならばせめて、とばかりに顔を顰め、足音も荒く隣に並んだ。そうして承太郎を見上げ、同じようににやりと笑ってみせる。
「そうですね。酔っ払いの介護をしてあげるのは、年下の役目らしいですから」
「……なかなか言いやがる」
どちらともなく笑いながら、静かな夜道を歩く。大人数で騒ぐのも楽しいけれど――こうしてただ並んで歩くのも、悪くはない。そう思える、冬の一コマだった。
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『主人公君と承太郎さんの軽くBL臭するお話』というリクエストで書かせていただきました、ありがとうございました!
か、軽くって……軽くって、こんな感じで大丈夫でしょうか……!?加減がわからなかったので気分を害されましたら本当に申し訳ないです……。
なんというかドキドキしますねこういう話って……!承太郎さんあんたそんな惚れてまうやろ!みたいな気持ちでした。
楽しかったです、ありがとうございましたー!
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