■ 38



「……辰沼、賢吾、です……」


久々に発した意思のある声は、掠れてひどいものだった。先程まで叫んで暴れていた名残か喉の奥が乾いて痛い。しかし状況がほとんど理解できていない以上、悠長なことも言っていられない。
気分としては自分の犯行を完全に暴かれ、今まさに逮捕されんとしているサスペンスドラマの犯人に近いのだろうか――思考が横道に逸れるとは余裕があるのか、ないのか。とにかく、疲れていた。


「辰沼賢吾、か。ひとつ言っておきたいのだが、我々は君に危害を加えるつもりはない。ただ君の話が聞きたいだけなのだ……それをわかってほしい」


いかにも真摯といった様子で目の前の褐色の男性――モハメド・アヴドゥルは言った。賢吾が曖昧に頷くと、一先ず納得はしたのか背を向けてテーブルに向かう。それを目で追っていると、部屋のドアに背を預ける人物がいることに気が付いた。髭を蓄えた逞しい初老の男性である。

歳を重ねてはいるが立派な体躯の持ち主であり、目にはしっかりとした光が灯っている。気圧されるように首を竦めると、その様子を見た老人は眉をぴくりと動かし、大袈裟ともいえる仕草で肩を竦めた。


「やれやれ怖がらせちまったかな?こぉ〜んなにキュートなわしを見て怖がるなんて失礼なヤツじゃのぉ!」

「は……?」

「ジョースターさん、余計に怯えてますよ」

「なにィッ!」


微かな音をたてて手際よくお茶を淹れていたらしいアヴドゥルが呆れたように言うと、ジョースターと呼ばれた老人は目を見開いた。

このコントじみたやり取りになんの意味があるのだろうと考えて、恐らく自分をリラックスさせるためなのだろうと思い至る。気遣われているのだろうか。非常に居心地が悪くて、自然と目線が下がる。


「これを飲むといい。インスタントだが、暖かいものを飲むと落ち着くぞ」


アブドゥルが差し出してきたカップを恐る恐る受け取ると、中は深い色の紅茶で満たされていた。「ミルクと砂糖は?」と聞かれたが、出来るだけ動きたくなくて首を横に振る。

彼はひとつ頷くと、ジョースター老人にも同じものを手渡し、テーブルにつくよう促した。そう言いつつ、自分は賢吾の前――すなわち床に座り込むのだから、普段から人を気遣うことに慣れていることが察せられる。


「さて、ゆっくりでいいから話してほしい。出来れば全ての事情を聞きたいところだが、君が話せるところだけでも構わない。ただ、嘘は吐かないでもらおう」


部屋の中に緊張した空気が満ちる。真剣な眼差しを向けられて、後ろめたさに背筋が震える。少しでも多くの情報を求めているだろうに、こうして賢吾への配慮も忘れないのだからそれはいっそう強くなった。

唇を湿らせて、強張った舌を動かす。


「……すみません、あまり、はっきりしたことは――覚えて、なくて」

「肉の芽……ああ、DIOによる洗脳を受けていたのだから、多少の記憶の混濁はあるだろう。覚えていることだけで構わない」


想定内の言い訳だったのだろう、アヴドゥルもジョースター老人も動揺など欠片も見せない。――これで逃げ場はなくなった。つまり、思い出さなくてはならない。ここまでくるのに、何があったかを。


「最初は――ええと――そう、暗くて、広いところにいて……どうしようって、動けなくて、そうしたらDIO様が助けてくれて」

「ま、待つんじゃ。そもそも君は何故DIOのところに?」

「……わからないです。その前までは、家に――家に、いて」


――家にいた。母が、『誰か』と共に帰ってきた。それをこっそりと覗き見て。


「母が、母さんが、笑ってて、『あいつ』に手を伸ばして、そしたら――きっ、消え、」




思い出す。


******






二人は、リビングでコーヒーを飲んでいるようだった。ピンク色の母が愛用しているマグカップと、客人用の白いティーカップ。ふわりと鼻孔をくすぐる香りに何故かほっとした。

視線の先で、彼女は穏やかに微笑んでいる。あのような安心感に満ちた表情は、久し振りに――本当に久し振りに見た。父がこの家に帰って来なくなってから、初めてかもしれない。

ああ、ようやく頼ることのできる人を見つけたのかという安堵は親心ならぬ子心だろうか。気を張り続けて、立派な母親であろうと奮闘し続けた彼女の少女のように無邪気な笑顔は輝いて見えた。あんなに幸せそうに話している彼女の邪魔はしたくない。火傷を負った胸は確かに痛むが、耐えられないほどではない。しばらく部屋でじっとしていようか。

こっそりと音をたてないように立ち上がり、身を屈めてリビングの扉の前を通り過ぎようと足を踏み出す。ちょうどその時、母と会話していた男も静かに立ち上がるのが視界に入った。
やばい、と動きを止め、扉のガラス部分から室内の様子を窺う。男はテーブルを迂回して母の傍に立つと、まるでエスコートでもするように彼女に手を差し出した。

母は、本当に。心の底から嬉しそうな顔で、男に左手を伸ばす。「白魚のよう」という表現がよく似合う、うつくしい手だ。その薬指には、シンプルだが高価だとわかる指輪が嵌められている。


男の横顔が見えた。前髪で目元は隠れてしまっているが、口元はよく見える――笑っていた。


二人の手が触れた瞬間、男の陰から『何か』が姿を見せる。ヒトのようでいて、ヒトでないもの。――『スタンド』。

理解して、考える前に身体が動いていた。母は、『スタンド使い』ではない。見えていない相手に何をするか、だなんてことはわかりきっていた。


「母さ――」


手を伸ばした先で、母は煙のように消えた。男の手には、あのうつくしい手が、そのまま握られている。







******



「――おい、しっかりしろ!」


がくりと身体を揺さぶられて、意識が現在へ戻ってくる。ああそうだ、ここは家ではない。母はおらず、あの男もいない。


「君が……自宅で、その、『スタンド使い』に母君を襲われたというのはわかった。

……辛かったろうに、思い出させてすまない」


気付けばアヴドゥルだけでなく、ジョースター老人までも悲痛な表情を浮かべている。なぜそんな顔をするのかという疑問が浮かんだが、それ以上は詳しく思い出さなくてもいいから、という言葉はありがたかった。


「それで――その『スタンド使い』がDIOの手先だったということなのか?それで君も……?」

「さあ」

「さあって、わからんのか?もしや攫われたとかじゃああるまいなッ!」

「……わかりません。逃げて、逃げて、もう駄目だって思って……手を伸ばしたのは、覚えてます。

気付いたら、そこにいました」

「ふむ……」


唸るように声を漏らし、二人は黙り込んでしまった。ここまで曖昧な証言で何が掴めるというのだろう。つい先程まで彼らの命を狙っていた自分に親切にしてくれたというのに、恩を仇で返しているようで罪悪感が募る。かといって、自分が何か出来るとも言えない。


「……とりあえず、君は休むべきじゃろう。すまんが、監視の意味も兼ねてこの部屋で寝てもらうことになるが……アヴドゥルも構わんか?」

「ええ、構いません」

「は……?」


とんとん拍子で進んでいく、『自分を保護するため』の会話に動揺を隠せない。疑いの全てが晴れたわけではないだろうに、どうしてこうなっているのか。


「あ、あの、どういう」

「言っただろう、我々は君を害するつもりはない。弱っていたところをDIOにつけ込まれただけだろうし、君も我々に敵意はないだろう?」

「そりゃ、まあ……」

「見たところわしの孫と同年代だろうしのォ〜……それにわしらの仲間には君と似た境遇の者もおる。少し落ち着いたら話をしてみるといいじゃろうな」


快活に笑う二人に、俯くことしかできなかった。

――許されている。彼らの命を奪おうとしたのに、こんなにもあっさりと許されて、受け入れられて。家族でも友人でもない他人なのに。


「……なんで……」


憐れまれているのだろうか。母を害された、肉の芽で洗脳された。彼らからしてみればそれだけで十分なのだろう。他人を労わり、慈しむことのできる人々だから。


――違うのに。憐れまれたいわけじゃあないのに。そんなことをされる資格なんて持っていないのに。


きつく唇を噛む。優しさが苦しい。手の中のカップに揺らめく紅茶の水面には、醜く歪んだ己の顔が映っていた。


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