■ 35



「物は使いよう、ということなんでしょうね」


ふむ、と鼻を鳴らして、目の前の男は大した興味もなさそうに賢吾を見る。実際に大した興味もないのだろう。何せ此処には、この館には出入りする人間が少なくない。その都度執事である彼が応対しているのだから、大した取り柄も特徴もない賢吾の印象などたかが知れていようというものだ。


「まあ構いません。DIO様のご命令に従うように」

「はい」

「貴方、その見た目は日本人ですね?似たような服を着た男が――ああ、そう。一人、いましたね」


男は耳に下がった奇妙な形の――あれはアルファベットだろうか――ピアスを揺らして首を傾げる。今の賢吾の服装といえば、ぶどうヶ丘高校の制服である緑がかった学ランである。
このような恰好をした人間がいると、目の前の男は言った。

この話を信じるなら、自分と同年代の男がDIOに従っているということになる。自分も大概訳のわからない理由で此処にいるのだが、彼はどうなのだろう。正直言ってどうでもいいのだが、思うところがある、というポーズをとって見せる。男は再び鼻を鳴らした。


「……ちょうどいい。その男を紹介しますから、彼と協力しなさい」

「はい」

「たしか貴方の『スタンド』に距離は関係ないんでしたね?では――」



******



トカゲ越しの景色は少し歪んで見えた。その歪んだ景色を認識し処理する筈の脳は随分と仕事を放棄している気もする。あのねっとりとした声に囁かれてからずっと。

『彼』は薄手のショールを羽織っていた。男子高校生としてはなかなか尖ったセンスの持ち主だと思わないでもないが、隣にいない以上賢吾にとってはどうでもいい。知り合いだと思われたくないというだけの話である。

『彼』――前髪が個性的な花京院典明は、DIOの指示通りにクウジョウジョウタロウという男に奇襲をかけた。保険医の体内に『スタンド』を潜ませて操るとはえげつない。ぐるりと白目を剥き、口から泡を噴きながらぎこちない動きでジョウタロウに掴みかかっていいく様をじっと見詰める。歪んだ視界ではうまく判別がつかないが、クウジョウジョウタロウの外見はどこかで見たことがあるかのような錯覚をするほど、賢吾の知る空条承太郎という男に似ていた。

だが自分の知っている空条承太郎はとにかく全身真っ白だし、もっと歳を重ねている。花京院と対峙しているのは高校生のクウジョウジョウタロウだ。恐らく、自分の知る男の親戚なのだろう。ジョースター家に連なる家系なのだから、似たような顔の同じ名前の男がいても不思議ではない。

そんな思考をしている内に、形勢は逆転したようだった。保険医の身体から引きずり出された花京院の『スタンド』はいつの間に吹き飛ばされたのか、ぐらりと視界が揺れる。壁を破壊しながら窓に叩きつけられた花京院は朦朧としている。彼を担ぎ上げ、クウジョウジョウタロウは自宅へ帰るようだった。


――さて、ここからが本番だ。


賢吾は『リザード・テイル』との同調を深める。より鮮明になった視界で音もなく周囲を見回し、気付かれないようにジョウタロウの襟の内側へと移動した。暫くすると大きな日本家屋の中へと入って行く。彼の自宅だろうか、陽気な母親と言葉を交わしてから茶室へ向かった。どうやらそこには彼の祖父ともう一人、彼らの仲間と呼べる人間がいるようだ。なんとも都合がいい。


花京院を寝かせ、家の因縁だの肉の芽だのと話し合っているのを小耳に挟みながらチャンスを窺う。彼らの事情などどうだっていい。花京院が死のうが知ったことか。賢吾にとって大切なのは、ここにいるジョースター家の人間を始末することだ。DIOの障害となる彼らを消すことこそ、あの執事の男に命じられた任務である。


絶対の『安心』をくれるとあの御方は言った。

恐怖に怯えるしか出来なかった自分を救い上げてくれた――それだけが全てだ。


自分が死ぬ可能性にすら怯まず、ジョウタロウが花京院の肉の芽を抜き取った。ああこいつは危険だ。ぞわぞわと背筋を這うのは嫌悪だろうか、何だろうか。こいつらは此処で――殺さ
なくては。



ぱちりと目を開く。小さなベッドと最低限の家具が置かれたこの場所は、日本にあるどこかの廃屋の一室である。

賢吾の『スタンド』に距離制限はないに等しいが、やはり近くにいた方が同調した時の精度は高い。花京院が帰国するのに合わせて賢吾も帰国し、宛がわれた部屋でひたすら待った。そして都合のいいことに、今まさに自分の『スタンド』は、彼の首筋に潜んでいるのだ。


「――……こわくない、こわくない」


ぽつりと呟き、ベッドサイドに手を伸ばす。掴んだのは小さな果物ナイフだ。
『これ』を実践するのは初めてではない。あの薄暗い館にいた時、練習も兼ねて何度か試した。効果があることは実証済で、正気であったなら何の躊躇もなしに出来ることではないだろう。けれど、今の自分は――辰沼賢吾という人間は、DIOという支配者に従うだけの人形も同然だ。


『もう恐れることはなにもない』とあの御方が言った。だから、そうなのだ。怖くない。怖いものなど何もない。


「ッ、」


掴んだそれの冷たい刃を、首筋に宛てて、









******



「ぐっ……!?」

「どうしたんじゃ承太郎!」


体力を消耗した花京院を休ませてやろうと話している途中、何の前触れもなく承太郎の首筋から勢いよく血が噴き出した。咄嗟に『スタープラチナ』を用いて傷を抑えるも、勢いが衰えるだけで止まらない。駆け寄ったジョセフが波紋を流し、傷を塞ぐ頃には部屋の一角が赤く染まってしまった。


「なッ……何が起きたというんだッ!どこにも敵の姿など見えないぞッ!」

「……いいや、足元を見なアヴドゥル。どうやらおれたちは……マヌケにもずっと敵と一緒にいたみたいだぜ」


息を呑み、承太郎に言われるがままアヴドゥルは足元に視線を向ける。畳の上に、一匹の青いトカゲが腹を出してひっくり返っている。
警戒しつつしゃがんで見てみると、首筋がぱっくりと切れていた。ギザギザに尖った爪や螺子のような目は、どこかガラクタじみていて薄気味が悪い。

そして、彼らはこういったものに心当たりがあった。


「馬鹿な……『スタンド』ッ!こんな小さなトカゲが承太郎の首を切り裂いたというのかッ!」

「――いや、違う」


不審な動きがあれば、承太郎の『スタープラチナ』がすぐに反応した筈だ。銃弾さえ容易く掴んでみせる観察眼の持ち主をそうそう出し抜けるはずがない。
困惑し、警戒を強める三人を横目に、寝かされていた花京院が起き上がる。ぐらつく頭を押さえながら「記憶が曖昧で申し訳ないが」と切り出した。


「確か……ひとり、いた筈だ。わたしと共に、JOJO……おまえを殺そうとしている者が」

「なに……?」

「そいつの能力がどんなものかは聞かされていないが……外見は、覚えている。濁った眼をして、眼鏡をかけた……小柄な学生だ」


もう一人、近くにDIOの死角が潜んでいる。その事実に沈黙する一同を嘲笑うかのように、ひっくり返っていたトカゲがゆらめくように消えていく。咄嗟に捕まえようとした『スタープラチナ』の指は空を切った。


「……ナメた真似しやがるぜ」


吐き捨てられた言葉が、重苦しく部屋に落ちて行った。










電球のスイッチを押したかのように視界が切り替わる。どくどくと激しく音をたてる心臓が煩わしく、背を流れる汗は気持ちが悪い。ああ、失敗してしまった。もう一度、もう一度やらなければ。

震える膝を無理やり立たせて、壁伝いに歩き出す。壁から滴る液体がぬるついて仕方ない。ああすべてが煩わしい。あの御方以外、全部消えてなくなってしまえばいいのに。



「――……こわくない、こわくない……」



呪いのようにそれだけを呟く。もっと彼らの近くへ行こう。もっと慎重に機会を窺って、もっと大胆に手を動かそう。大丈夫だ、きっと出来る。


ゆらゆらと身体を揺らしながら、その場から人の気配が消えた。後に残ったのはべったりと壁や家具を濡らす、真っ赤な血だけだった。


[ prev / next ]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -