■ 34



記憶とは魂だ、というのが岸部露伴の持論である。


今までその人間が歩んだ人生、その記憶の一つひとつが人間を作り上げる要素であり、記憶無くして人間は完成しない。そういう意味で、人間の根源たる魂と記憶はイコールで結ばれるのだ。

よって『ヘブンズ・ドアー』で本化させた記憶を千切れば、体重の減少という形で本体に影響が出る。目に見えない魂が欠けたのだから、目に見えない部分で欠損が現れるのは当然とも言えた。

しかし、逆に言えば魂に触れるというのは生半可なことではない。人並み外れた好奇心を持つ、それに対する覚悟を持つ岸部露伴だからこそ『ヘブンズ・ドアー』というスタンドを持つことが出来、本という形で人の魂に触れることができるのだ。

そして、たとえ本にされた本人がその記憶を忘れていたとしても、魂に刻み込まれた情報は消えることはない。記憶は消えた訳ではなく、単に『思い出せない』という状態に陥っただけなのだから。


――だからこそ、この状況はあり得ない。起こった筈の出来事が、その記憶が全く残っていない。何事もなかったかのように、記憶が記されたページは真っ白なままだ。まるで、『何事もなかった』かのように。


本と化した辰沼賢吾の記憶を覗き込みながら、岸部露伴は考える。何かがおかしい。記憶の欠損は、魂の欠損だ。……待て、この少年は『今、どういう状態』だったか?



「……そうか、『死んだ』のか!」


勢いよく顔を上げ、思わずと言った様子で叫ぶ露伴に承太郎は訝しげな顔をする。彼は興奮した様子で部屋をうろつき、自らの考えを口に出しながら整理しているようだった。


「『死』をどう定義するか?ぼくは魂の消失だと考える――……そして魂とは記憶だ。記憶がない、『忘れた』のではなく『失われている』……。

死んだ人間を本にしたとしたら、徐々に白紙になっていく筈だ。だがこいつは『生きて』いる――……白紙の進行が止まったのか?いや、それはない……『生きて』いるのだから、覚えていなくてはおかしい……」


ぶつぶつと呟かれる内容を、承太郎も耳に入れて考察していく。

生きているのであれば、記憶が残っている筈だ。賢吾の『リザード・テイル』の能力を鑑みるにその可能性は高い。何せ『致死量のダメージすら肩代わりする』からこその身代わりなのだ。『死』の衝撃すら能力でなかったことにして、ダメージを受ける前の状態を復元する。そうであれば記憶が失われるわけがない。


「一時的に『死亡』という状態が続いたからか……?発見時、彼の腹部には包丁が刺さっていたそうだが……待て、『それだけ』か?何故一度だけだと断定できる……?」

「……まさか」

「そう、そうですよッ!ぼくたちは全員、彼が殺されたのは『一度だけ』だとバカみたいに思い込んでいたッ!まずそれが間違いだったんだ!」


本来なら、人間が『死』を体験するのは一度きりだ。その一度で魂が漂白され、記憶も同じように白紙になる。
だが辰沼賢吾という人間は、その能力ゆえに回数制限がほとんどないに等しい。故意に害された場合、彼は一日に『六度』蘇生する。彼の魂が、記憶が白紙になるには『六度の死』
が必要になるのだ。

今回の事件で彼が故意に害されたのは明白である。そしてそれが一度きりであったなら、恐らく一ページとはいえ白紙になることはなかっただろう。復元されようとする記憶を、傷を癒そうとした魂を、更に害されることがなければ。


「最低でも二度、賢吾はあの家で誰かに殺された……」

「そして貴方は、『犯人の痕跡は包丁以外見つかっていない』と言った……だが血痕が残っていたのはキッチンだけ」

「何の痕跡も残さずに、人を殺すことができる人間――……」


承太郎の脳裏を、ひとつの情報が過る。杜王町という町を訪れるにあたって行った下調べで、何度も目にした文字の羅列。


「杜王町の殺人鬼、か……!」


行方不明事件が多発する杜王町。それを行ったのが、『スタンド使い』だとしたら?行方不明になった少年少女は、人知れぬ場所で死体も残さず殺されていたのだとしたら。


「可能性は、あると思いますよ。本来なら死体も残さず消そうと思ったが、生憎と辰沼賢吾は『リザード・テイル』によって復活する」

「『スタンド』を使って証拠隠滅を図ったが上手くいかず、包丁を用いたところで康一くんたちがやって来て――そのまま逃走、か。

推測にすぎないが、有り得ない話じゃあないな」




――つらつらと、静かな熱気を伴って交わされる会話を、ベッドの上の少年は黙って聞いている。露伴の集中力が途切れたのか、『ヘブンズ・ドアー』による本化は既に解けていた。

覚えていない。彼らの話に思い当たる節は全くないのだ。自分の記憶は、音石明の確保が知らされたところで途切れている。その後、自分には何か――彼らの言葉を鵜呑みにするならば、『殺される』ようなことがあったのだ。


ああ、しかし。どうにも眠い。意識が霞む。誰かに呼ばれている気がしてならない。自分がいるべき場所は此処ではなくて。こんなに日当たりが良くて、澄んだ空気の、暖かい場所ではなくて――





『おまえの能力は一見すると無力かもしれない。だが、わたしに従ってみろ。わたしの言葉を聞け。わたしに、委ねてみろ』



低く湿った声が耳の奥、脳の中心を蕩けさせるように響く。目を閉じれば、肌に触れる空気はじっとりと重く、生臭く、そして冷たい。



「――……」


誰にも聞こえないほどの声で尊い名前を呼んで、賢吾は目を開ける。そこは真っ白い暖かな病室ではなく、蝋燭の灯りに照らされた薄暗い部屋だった。



「わたしの言うことが聞けるな……?」


揺らめく炎を、豪奢な金髪が反射する。人形よりも白い肌がぬらりと動き、指先までが色気を孕む。噎せ返るような甘い香りが鼻孔を擽り、瞼がとろりと落ちた。ぼんやりとする思考は、眠りに落ちる直前のようで心地良い。


「……はい、DIOさま」


零れるような返事の内容は決まっていた。逆らうことなど考える訳がない。絶対の安息が、此処にはあるのだから。




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