■ 23

辰沼家を後にして、億泰は脇目も振らず家へと帰って行った。仗助と康一がその様子に顔を見合わせていたが、ひとまず静観することにしたらしい。もっとも、億泰が暴発しないように注意は払った上で、だ。

帰宅した億泰は鞄を適当に放り投げると、兄の部屋へ向かった。ノックもなしに「兄貴ィ!」と部屋へ入ると同時に、「入る時はノックしろっつってんだろ億泰ッ!」という声と共にそ こそこ厚さのある本の角が鼻に直撃する。涙目になりながら蹲っていると、盛大な溜め息が聞こえてきた。


「ほとんど毎日言い聞かせてるにも関わらず全く成長がない奴だなお前は。嫌気も底を尽きそうだぜ」

「だからって本投げることないじゃねえかよォ〜……」

「言って聞かねえなら手段に訴えるしかねーだろーが。ツルッツルな脳ミソに皺刻んでやってんだからありがたく思え」


ぐうの音も出ない。形兆に口喧嘩で勝てたことも勝つつもりもないが、このままうだうだと言い続ければ次は拳が飛んでくるのは間違いない。唇を尖らせながらなんとか立ち上がって、鼻を啜る。幸いにも鼻血は出なかったようだ。


「で、帰るなり何の用だ。下らねえことだったらその鼻へし折るぞ」

「くッ、下らなくねーよッ!その……兄貴に頼みてーことがあってよぉ……」


つんつん、と指先を突き合せて口ごもる億泰。仮にその仕草をやったのが可憐な少女であったならば可愛げもあっただろう。しかし目の前にいるのはガタイも顔つきもごつい男である。
とりあえず、形兆は手元にあったもう一冊の本を投げた。またしても鼻に直撃し、今度こそ鼻血を出したらしい億泰は床に転がって震えている。


「気色悪ィ真似はすんなって言ってるだろうがッ!いい加減にしろ!」

「ご、ごめんって兄貴ィー!このとーり!」


勢いよく手を合わせて頭を下げる弟に溜め息を吐く。素直なのは美点かもしれないが、嘆かわしいことに確実に裏を考えるだけの頭がないだけだ。自分の育て方が悪かったのだろうか……と少し切ない気持ちになっていると、気を取り直したらしい億泰が「でさあ」と顔を上げた。鼻血が垂れないように鼻を摘まんでいるため、いつもより間抜けな顔になっている。


「今晩ちょっと手ェ貸して欲しいんだよ」

「……何をする気だ?」


眉を顰めて問い掛ける。突っ走らずにこちらの助力を仰ぎにきたということは、それなりに冷静ではあるのだろう。だが、形兆はほんの少しだけ嫌な予感がしていた。生まれてからずっと面倒を見てきた弟のことである、兄の勘とも言えるだろうものが凄まじい勢いで警戒音を鳴らしていた。
その予感を体現するかのように、億泰はニンマリと笑ってみせる。親指で鼻血を拭って、得意げな顔で。


「壁ごとブッ飛ばす!」




*****



――夜。そろそろ日付も変わろうかという時間に、虹村兄弟は辰沼家の前までやって来ていた。
小さな門灯と、近くに等間隔で配置されている街灯がぼんやりと周囲を照らしているが人影はない。深夜の住宅地なので当然とも言える。辺りは静まり返っていた。
ちらりと視線を上げると、明かりの漏れている部屋が一つある。通りに面した窓には、重苦しい印象の格子が取り付けられていた。


「あそこがあいつの部屋か」

「おう、承太郎さんに聞いたから間違いないぜェ〜」

「あの人もなんで知ってやがるんだ……?」


承太郎に苦手意識のある形兆はまたしても眉を顰める。あの男が知らないことなど何もないのではないかという錯覚さえしてしまいそうだった。
それでどうするんだ、と問い掛けると、窓の格子を指差して、「あれ壊せねえかなァ」と首を傾げてくる。まったくもって可愛くないし何となく腹が立ったので、とりあえず殴っておいた。静かにしなければいけないとわかっているらしく、口を押えて悶えている。


「馬鹿か、億泰……いや馬鹿なのは知ってたが救いようがねえな本当に」

「何でだよォ!?」

「壊すことは勿論可能だが――どう考えたって母親にバレるだろう。おれの『バッド・カンパニー』にしてもてめーの『ザ・ハンド』にしても、壊した後あの格子が地面に落ちた時の音は誤魔化せねーだろうな」

「そ、そこまで考えてなかったぜェ〜……」


所詮は億泰、考えてもその程度か……と何度目かわからない溜め息が出る。どこまでもツメの甘い奴だ、と吐き捨てるとしょんぼりと落ち込んでしまった。意気込みだけは見事だっただけあって悔しいのだろう。
――だが、少しは考えて行動するようになっただけ、これは『成長』だ。評価してやらなくもない。


「……いいか億泰、あの辺のプランターを窓の下に移動させろ。おれが格子を固定しているボルト『だけ』を撃ち抜いてやる……あとはてめーがどこまで『削り』とって、格子を小さくできるかだぜ」

「!あ、兄貴ィ……!」

「さっさとやれこのウスノロがッ!音をたてるなよ!」


びし、と敬礼して億泰は素早く動き出した。足音を消しながら窓の下にクッション代わりのプランターを移動させ、少し距離を取る。声を出さずに「オッケーだぜ」と手を振る億泰に頷いて、形兆は己の『スタンド』を発現させた。


「『バッド・カンパニー』……アパッチ!撃てェーッ!」

「全部削るぜ『ザ・ハンド』ォ!」


『バッド・カンパニー』のうち戦闘ヘリであるアパッチが二機、それぞれ左右に分かれて格子のボルトを正確に破壊。軋んだ音をたて始める格子を、『ザ・ハンド』が勢いよく削っていく。地面までの数秒の間に、それはただの小さな鉄屑と化してプランターの上に落ちた。柔らかい土と花がクッションとなったため音は出ない。

ガッツポーズを決める億泰を尻目に、形兆はアパッチを窓へと寄せる。搭乗していた歩兵が身を乗り出して窓を叩いた。兄弟が見上げる先でカーテンが揺らめき、窓が開く。


「――え、えっ……?」


窓を開けて顔を出した賢吾が、目の前を浮遊するアパッチに一歩後ずさったと思えば、見下ろした先で満面の笑みで手を振る億泰と腕を組んだまま無表情の形兆に動揺しきった声を上げる。億泰の笑みが深まった。
降りて来いよ、と地面を指差して億泰は言うが二階から飛び降りたら怪我をする。今の状況全てに困惑しているのが明白な賢吾に、形兆は鼻を鳴らした。


「億泰の『ザ・ハンド』が受け止める。とっととしやがれグズ野郎」

「ちゃあーんとキャッチしてやっから大丈夫だってェー!話してーこといっぱいあんだよォ、来いよォー!」


逆光になって、賢吾の顔はよく見えない。それでもすぐさま窓を閉めず、無視を決め込まれない程度には考えてくれているのだという安堵が胸に広がった。最悪の場合、窓を『削って』部屋に押し入ることも考えていたのである。こっそり隠してある梯子は帰りに回収しようとこっそりと頭の中でメモをした。

窓枠を撫で、微かに焦げたボルトの痕を指先が辿っている。彼はどんな気持ちで毎日区切られた窓の外を見ていたのだろうか。少なくとも自分だったらさっさとブッ壊していただろうなというのが虹村兄弟の共通意見だった。
それが出来るだけの力も、度胸もなかった。それでも状況を改善するだけの努力を怠った結果がこれだというのならば、賢吾の自業自得なのだが――まあ、見ていて良い気分ではないのも確かだ。

形兆の視線の先で、思い切ったらしい賢吾が窓枠に足を掛け、ぎこちない動きで外に身を躍らせる。浮上した『ザ・ハンド』が左手で危ういながらも受け止めて、そっと彼を地面に下して姿を消す。嬉しそうな億泰と、硬い表情の賢吾。億泰はそのまま賢吾の肩を抱き、ぐいぐいと引っ張った。


「ちょっ、なに、何を……」

「――なぁ賢吾、ちょっと腹割って話そうぜェ」


潜めた声で、億泰が囁く。びくっと体を震わせた賢吾が、救いを求めるように形兆を見上げた。――だが。


「諦めろ。億泰は、しぶといぞ」


にやりと。無意識のうちに口の端を吊り上げて言い放てば、絶望したかのように顔を伏せてしまった。
さて、連れ出すまでは成功した。この後一体どうするのか。形兆はそれを知らない。すべては、能天気な顔で笑う億泰だけが知っていた。



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