■ 21

虹村億泰は浮かれていた。何せ、事件以来入院していた兄の形兆が退院して家に帰ってきたからだ。
未だに通院が必要な身で、行動に制限もつくが病室に縛り付けられているよりずっとマシである。前日の夜は無礼講とばかりに夜中まで騒いだ。もっとも、形兆はさっさと部屋に戻ってしまったので異形の父と二人ではあったが。父は正気を失っているとはいえ、億泰が喜んでいることはわかるらしい。原型を留めていない顔でニコニコと笑っていた。幸せな気分だった。

そうして家族と過ごしていて気にかかるのが、友人の――辰沼賢吾のことである。先日の学校からの帰り道、仗助も交えてふと家族の話題になった。父親がいないという仗助に、両親共にほとんどいない状態の自分。世間的に見ればそういうところも『不良』だとか、そういう目で見られる対象なんだろうというのは今まで嫌というほど味わってきた。
では、賢吾はどうか。そもそも口数が多い方ではないし、自分のことをほとんど語らない。成績も素行も優秀となれば、恐らく『まっとうな』家庭なのではないか、と思っていたのだが――。


「なあーんかクセえんだよなぁ〜」

「何がだよ」


隣を歩いていた仗助が問うてくる。二人は今、暗くなった道を歩いていた。先程までイタリア料理店『トラサルディー』にいたのだ。億泰はそこで絶品料理を味わい、料理人トニオ・トラサルディーのスタンド能力によって体調がすこぶる良い。頭の回転も速くなっているような気がしていた。


「仗助よぉ、オメー賢吾の家んことなんか知ってるか?」

「はぁ?辰沼の……?」

「アイツが変になった原因ってよォ、ぜってー家にあると思うんだよなぁーっ」

「何でだよ」

「こないだ家の話してる時スッゲー変な顔してたもんよ」


ふうん、としか仗助は言えなかった。正直、仗助はそこまで彼を注視していなかった。何となく惰性で昼食や下校を共にしてはいるが仲が良いというわけではなく、むしろ悪いとさえ言える。億泰・康一とは友人だが賢吾とは友人の友人、という位置付けであるため、二人がいなければ付き合いもなくなるだろうと考えていた。
億泰にいわれて頭を捻るが、自分には何も思い当たる記憶がない。では顔の広い母はどうだったか、と考えていると、ひとつ思い当たるものがある。


「そういやあ、お袋がカメユーで辰沼って名字の店員と話したことあるって言ってたな」

「おッマジか!」

「びっくりするぐれー褒めちぎってたから覚えてるぜ。単に同姓って可能性もあるけどよォ、気になるなら明日行ってみるか?」

「行く行くゥー!」


これは大きい収穫だ、と億泰は歓声を上げた。直接家に乗り込んでもいいが賢吾に確実に良い顔はされないし、下手をすればそのまま口をきいてもらえなくなる可能性がある。こっそり彼の家のことを知ることが出来ればそれが最善だ。
決行は明日の放課後、ということで二人は別れた。仗助は帰宅して夕食だろう。先程腹を満たしたばかりの億泰はコンビニでアイスを買って帰ることにした。




翌日。一時期少なくなっていた教師からの雑用が復活したらしい賢吾はしばらく帰宅しないだろうということで、仗助と億泰、康一の三人はカメユーへ向かった。康一には道すがら既に目的を話してある。夕方、それなりに混みあう店内を三人はゆっくりと進んでいた。目指すは、宝飾店スペースだ。


「賢吾くんのお母さん、カメユーの宝石売り場で働いてたんだね。知らなかったよ」

「お袋がなんかの用事で行った時、スゲー丁寧に接客してもらったって言ってたぜ。あの野郎にその愛想の良さが百分の一でも遺伝してりゃあなーっ」

「でもすんげえ笑顔の賢吾も想像つかねーよなぁ〜」

「それはなんというか……怖いね」

「雪どころか槍が降るっつーの」


そんな会話をしているうちに目的地へ着いた。広いフロアの中、静かに佇む一角。ブランドものの宝飾品を扱う店舗を遠目に覗き込めば、二人の女性が会話していた。暫く様子を見ていると一人は店から去って行き、残った一人が頭を下げてそれを見送っている。つまり彼女が店員だ。店舗の前を通り過ぎるようにしてこっそり名札を見ると、そこには「辰沼」と書かれている――ビンゴだ。

宝飾店で賢吾の母親が働いているというのは本当だった。しかし、彼女に何か違和感のようなものはない。先程の接客を見る限り、「笑顔の優しい店員さん」といった印象を受ける。
母親に問題がないというのなら、消去法で父親が怪しい。しかし、どうやってそれを確かめればいいのだろう。友人の父親に会う機会などそうそうありはしないし、聞いて回るのも怪しまれる。
ばれない内に、とカメユーから出た三人は、ふらふらと帰路につきながら頭を捻る。何かいい策はないものか。――しかし、偶然とは唐突にやってくるもので。


「あ、賢吾くん」

「お?」

「ゲッ」


三人が歩いている道の向かい側を、賢吾が歩いていた。止める間もなく億泰が大声で彼を呼び、気付かれてしまう。仗助としてはいっそのこと家そのものの様子でも見た方がいいのでは、と考えていたのだが、上手くいかないものだ。ぱっと駆け出した億泰、康一に続いて道を渡る。怪訝そうな顔をした賢吾はわざわざ立ち止まって、彼らを待っていた。


「なんだ、お前達……さっさと帰ったんじゃなかったのか?広瀬くんまで巻き込んで何企んでるんだ」

「べッ、別に何も企んでなんかねえよォ〜!なっ仗助!」

「お、おう……」

「ぼッ、ぼくたち今カメユーに行っててさ!うろついてたら賢吾くんのお母さんっぽい人を見かけたんだけど、ご本人かなァ〜なーんて……!」


うそだろ康一!

仗助と億泰が勢いよく康一を振り返る。顔全体で「ヤバイ」と表現している康一の額には冷や汗が浮かんでいた。やらかすとしたら億泰だとばかり思っていたが、まさかの大穴。自分達に周囲を嗅ぎまわられているとばれたらどうなるかわからない。三人揃って顔を青くし、仗助に至っては耳を塞いでいた。どんな罵声が飛んでくるか、わかったものではない。


「――――あの人に、会ったのか」

「え、」

「会話したのか」

「い、いや、ほんとに見かけただけで、話したりとかは全く」


ふうん、と頷いて視線を逸らした賢吾は驚くほどに無表情だった。てっきり怒鳴られるとばかり思っていた三人は呆気にとられて顔を見合わせる。どういうことだ、と賢吾を見詰めていると、顔を上げた彼は言い放った。


「二度は言わない。近寄らない方がいい。お互いのためにそうするべきだ」

「ちょ、それってどういう……?」

「なァ賢吾、もう考えるのめんどくせーから直接聞くけどよぉ……最近なんか変じゃねえ?オメーなんかおかしいぞ」


ずい、と身を乗り出した億泰がガンを飛ばしながら問いかける。心配してるんだろうなァとは思うが、傍目から見たらどう見ても絡みにいっている不良だ。人目もあるから、と康一がなだめるもあまり効果はないらしい。


「辰沼よぉ。承太郎さんも何でか知らねーけどオメーのこと気にしてんだよ……正直に吐いちまった方が楽だと思うんだがよォーッ」

「じょ、仗助くんまで……!」


慌てふためく康一を見て気の毒に思ったのか、それとも気紛れか。小さく溜め息を吐くと、賢吾はぽつりと呟いた。


「ただ色々思い出して、色々納得した……それだけだ。僕の中でこの問題は既に解決してるんだ」

「その色々ってのは?」

「……空条さんもお前もしつこいな。お前達に何の関係があるっていうんだ?」

「おい、心配してやってんだろ!何なんだよその言い方はよぉ!」

「何なんだ、はこちらの台詞だ。心配してくれなんて頼んでないし、助けを求めた覚えもない。義憤に駆られただけの無鉄砲な行動のことを何て言うか知ってるか?
『余計なお世話』、だ」

「てっめえ……!」


青筋を浮かべて殴りかかろうとする仗助の腰に康一が縋り付く。先にも言った通り、人目がありすぎるのだ。住宅地に差し掛かった場所とはいえ往来であることに変わりはなく、現に今も通り過ぎる人々が目を丸くしているのが見て取れる。渋々と拳を下ろす仗助と、それを冷めた目で見遣る賢吾。間に挟まれた康一は生きた心地がしなかった。


「なァ、賢吾」


それまで不自然に黙っていた億泰が口を開く。背を向けかけていた賢吾が足を止めて振り返った。常ならばせわしなくあちこちを行き来する億泰の視線は、今はぴたりと賢吾に固定されていた。初めて見る彼の真剣な様子に、なぜだか場の空気が引き締まる。


「オレはよォ、オメーが何考えてんのかもさっぱりわかんねーし、わかる気もしねーけどよぉ……
なーんか嫌な感じだぜ、今のオメーはよ」

「……流石、馬鹿の言うことは抽象的にすぎるな。僕もお前の言いたいことはさっぱりだよ」

「辛いんじゃあねえの?」


――時間が止まったような気がした。


そう感じたのは、賢吾だけだったのかもしれない。けれど確かに、周囲から音という音が消えたかのような錯覚に陥った。ばくばくと心臓が早鐘を打ち、体の中は燃えるように熱いのに、頭だけ冷水を被ったかのように冷たい。言葉が、出てこない。否定しなければならないのに。


「オメーにとって余計なお世話かもしんねーけどよォ、目の前で辛気臭ぇ顔されんのはオレが嫌なんだよなァ〜!ムカつく奴がいんならブン殴ってきてやっから言っちまえって!」

「い、言い方はともかく……何かあったんなら、相談だけでもって思うんだ。聞いてもらうだけでも楽になることってあるし」

「ケッ」

「仗助くん!」


わけが、わからない。理解できない。どうして目の前の人々はこうまで食い下がるのか。

――甘えてしまえ、と頭の中で声がする。全部ぶちまけてしまえ、と。きっと彼らは助けてくれる。三人は何か策を講じてくれるだろうし、今この場にいない承太郎は直接何かしてくれるかもしれない。彼女が、母がいなくても生きていく知恵と手段を授けてくれるかもしれない。

呼吸が荒くなる。震えているのは唇だけではなく全身だ。――逃げられる。彼女から。本当に?
ひょっとして、未来は明るいのではないか。彼らが共に歩いてくれるというのなら、決して暗くはないのではないか。ずっと閉じてきた目を開き、塞いできた耳を放し、自分の足で、思うがままに歩いてみても許されるのではないか――?


口を開く。ただ一言、「助けて」と言えばいい。それだけで未来は変わる。跳ねる心臓を押さえつけるように拳を握り、からからに乾いた喉を動かして、















「あら、お友達?」












――凍り付いた。


思考が停止する。ゆっくりと振り返れば、穏やかな笑みを浮かべた彼女が立っていた。



「母さ、ん」

「少し早いけれど、いつも頑張ってるから今日はもう帰っていいって。会えるなんて、偶然ってすごいわね」


白魚のような繊手が肩に触れる。ずしりと一気に重りを乗せられたようにすら感じた。視線を上げられない。じっと爪先を見詰めていることしか、今の賢吾には出来なかった。


「……なんだか、とっても『個性的な』お友達みたいね?」

「……違います」

「あら、駄目よ?お友達をそんな風に言ったら……。
帰ったらお話を聞かせてちょうだいね」


それじゃあ、失礼するわね。彼女は――賢吾の母親は、有無を言わせぬ完璧な微笑を終始浮かべたまま歩き出す。肩を掴まれたままの賢吾もそれに続いた。



去って行く親子を、三人は茫然と見送ることしか出来なかった。


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