■ 19

車中は沈黙で満ちていた。

乗っているのは元々口数の少ない承太郎と賢吾の二人であるし、先程の砂浜での会話で何かを思い出したらしい賢吾は助手席でぼんやりと窓の外を眺めている。行きはどこか緊張した面持ちでいたというのに、落差が激しい。
ぽつぽつと家までの道順を説明する声以外は微かにエンジンの音が響くだけの時間がどれほど続いただろうか。「ここで結構です」という言葉に承太郎はブレーキを踏み、ゆっくりと停車する。シートベルトを外してするりと車を降り、同時に運転席から降りてきた承太郎にひたりと視線を合わせ、賢吾は頭を下げた。


「今日はありがとうございました」

「……いや」

「何か、気になさってるみたいですけど……貴方が気に病む必要はありません。
むしろ僕は感謝してるんだ。……思い出せて、よかった」

「……お前が何を思い出したのかは知らんが、今の顔は気に入らねえな。まだ睨まれてた方がマシってもんだぜ」

「感謝してるって言ったでしょう?それに――とても、穏やかな気分なんだ」


そう言い切った賢吾は、これまでに見た中で最も柔らかく口元を綻ばせていた。普段の彼を知らない人間がその表情を見たら、「真面目そうで柔和な少年」という印象を抱くだろう。
しかし、仗助や億泰、康一といった彼と付き合いのある者が今の彼を見たら、確実に慌てふためく。それは承太郎も同様で、しかもほとんど直接と言っていい原因を作った身としては今の賢吾に対する危機感が尋常ではない。

何せ、目が死んでいる。確かに口元は笑みの形に吊り上げられてはいるが、それだけだ。目は底の無い沼のように光を吸収しているし、発せられる空気もどこか濁っている。決して『マトモ』な状態ではない。


「心配してくれてるんですか?――大袈裟だなあ、平気ですよ。そりゃあ、いきなり思い出したんで少しはびっくりしましたけど……どうってことないんです」

「……悩みってのは、どうなったんだ。解決したのか」

「ええ、そりゃあもう。何の為に『イイ子』でいたのか、思い出しましたから」


ふふ、と笑って賢吾はもう一度頭を下げた。承太郎としては彼が一体何を思い出したのか追及したいところだが、どう考えても踏み込める領域ではない。確実に、『辰沼賢吾』という人間の根幹となる部分だろうということがわかるからだ。

それじゃあ失礼します、と賢吾は少し先にある民家に入っていった。そこが彼の家なのだろう。間を置いて、承太郎は家の様子を探る。玄関の前には数種類の花が飾られ、ポストに郵便物が溜まっている様子もない。綺麗に整えられた家、というのが印象に残る。
ふと目線を上げ、二階の窓を見た。――窓に、格子がついている。思わず目を見開いた。視線の先で格子の向こうのカーテンが揺れ、その隙間から賢吾の顔が見えた。つまり、あそこは彼の部屋なのだ。


「……やれやれだぜ」


思わず口から零れたのはいつもの口癖だった。拗れたことになってきたとは思っていたが、自分の想像以上に解決は難しそうだ。
とはいえ、今ここで自分に出来ることはない。承太郎は一度だけ家を振り返ると、コートを翻して車へと向かった。



***


翌日、仗助と共に登校した億泰が見たのは、いつも通り自分の席で読書をしている賢吾の姿だった。顔色が悪いというわけでもないし一安心である。遅刻寸前の時間に来たためゆっくり話をすることは出来ないが、席は前後なので声を掛けることは出来る。

「よォーッ賢吾!腹痛ェの治ったか?」

ほとんど何も入っていない鞄を放り出し、どすんと椅子に腰掛ける。それを見た賢吾が「埃が舞うからやめろ」と顔を顰めるのがいつものパターンだ。――しかし、今日はそれがない。代わりに聞こえてきたのは小さな溜め息だ。続いて、ぱたん、という本を閉じる音。ぎ、と微かに椅子を軋ませて前を向いていた賢吾が苦笑を浮かべながら振り返る。


「まったく、鞄を投げるなと何度言ったら分かるんだ?ほら、早く教科書を出せよ。一時間目は小テストだぞ、覚えているのか?」

「お、おう……悪ィ」


何だろう、気味が悪い。小言を言われるのはいつものことだが、なんというか、『目』が気持ち悪い。億泰はそう感じた。
賢吾の目付きが悪いのはいつものことだが、なんというか――機嫌が悪いとか、そういう空気ではない。人が怒っている時というのは、もっとぴりぴりしているというのを億泰はよく知っている。何せ一緒に暮らしている兄が基本的にぴりぴりしているのだ。そういう空気は身に染みている。だが賢吾の目に『敵意』の類は見受けられない。

その気味の悪さの正体は何なのだろうと頻りに首を傾げても、一向に答えは出てこない。とっくに朝礼が終わり、そのまま授業が始まろうとしている。昼休みになったら仗助と康一に聞いてみようと心に決めて、億泰は回ってきた小テストの問題を見る。さっぱりわからなかったから、名前だけ書いて眠ることにした。


目が覚めたらちょうど昼休みだった。それまでの休み時間もずっと寝ていたらしい。口元に垂れていた涎を適当に拭って顔を上げると、前の席には誰もいない。首を傾げていると、いつものように仗助と康一がそれぞれ弁当を片手に現れた。


「よう億泰、顔に教科書の痕ついてスゲー面白いことになってんぞ」

「ひょっとして今までずっと寝てたの?」

「そーなんだよ、そーいや小テストどうなったんかなァ〜……」


今日は天気いいから屋上行こうぜェ、と仗助が笑う。億泰が買ってきたパンと飲み物を取り出している間に康一は周囲を見回して、「……賢吾くんは?」と呟いた。自分が起きた時には既にいなかった、と告げると心配だね、と返してくる。
心配、という言葉で今朝の賢吾の様子がおかしかったことを思い出し、億泰は自分が感じた『得体の知れなさ』をなんとか伝えようとするがあまりにも漠然としすぎていて、仗助と康一にはいまいちピンとこない。とりあえず屋上に移動して、詳しい話はそこでしようということになった。流石に、賢吾本人の前でこういう話をするわけにはいかない。どこに行ってしまったのか気がかりではあるが、今は好都合だと思うことにした。


屋上に移動し、のんびりと食べながら会議は始まる。お題は「辰沼賢吾の異変について」。


「なんつーかよォ〜……気味悪ぃんだよなァ……『目』がヤベェっつーか」

「それだけじゃわかんねーって!なんかねーのォ?」

「昨日は、なんていうか『心ここにあらず』みたいな感じだったけど、そうではなかったんだよね?」


そうそう、と首肯しながらも億泰はその状態を的確に表現するための言葉を知らない。精一杯擬音と身振りと手振りも交えて説明しようとするのだが、余計に仗助達を混乱させてしまう。
一向に進展しない会話に痺れを切らしたのか、仗助が「わっかんねーって!」と叫んで仰向けに倒れ込んだ。そもそも仗助からしてみればいけ好かない相手のことで労力を使うのもおかしな話なのだ。確かに昨日見た時は随分大人しかったなァとは思うが、それだけだ。

康一はもともと優しい性格だし、知り合って日が浅いとはいえ友人に分類される賢吾の様子がおかしいと聞けば心配するだろう。言ってしまえば、過剰な心配は億泰と康一の担当であり、自分は一歩引いたところから意見を言うのが妥当だろう……と仗助は考えていた。


「あ、そういや承太郎さんは?昨日あの後様子見に行くって言ってなかったか?」

「おォ〜ッそういやそーだったなァ!会いに行ったんかなァ〜」

「え、そうなの?」

「そーそーッ、承太郎さんてやけにあいつのこと気にかけるよなァ……」


無意識のうちに唇を尖らせる。仗助にとって承太郎は『憧れ』なのだ。唐突に現れた年上の甥という事実には随分驚かされたが、冷静な判断やその強さには目を瞠るものがある。あわよくば認めてもらいたいし、背中を預けるまではいかなくとも気にかけてもらいたいという気持ちは少なからずある。
そんな男に関心を持たれているのが自分の嫌いな男ともなれば、いい気はしない。流石に承太郎や賢吾本人の前で態度に出すほど子供ではないつもりだが、そう思ってしまうのは仕方がないと言えた。

ともかく、今ここで自分達に出来ることはない。放課後になったら承太郎に話を聞いてみようということで話は纏まり、三人は昼休みを満喫することにした。





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