■ 16



「辰沼くん」


教室での休み時間、トイレに行った億泰を見送って教科書を眺めていた賢吾に、一人の女子生徒が話しかけてきた。見事な長い黒髪が特徴的だが、あまり接点はない。――そもそも、クラスにおける女子との関わりなど大したことはなかったので誰でも同じようなものではある。

視線を上げると、彼女はどこか挑発的な空気を纏って賢吾を見下ろしていた。男子はともかく女子にあからさまな敵意を向けられたのはほとんど初めてで、少し戸惑う。とりあえず穏便に、という意味も込めて「何か?」と返すと、彼女は「聞きたいことがあるのよ」と言って腕を組んだ。


「あなた、最近康一くんとお弁当を一緒に食べてるわよね」

「広瀬くん?……まあ、成り行きではあるけど」


『スタンド使い』への警戒や情報交換も兼ねるという名目で仗助や億泰に混じって昼食を共にしている少年の姿を脳裏に思い浮かべる。あの二人に振り回されている、という印象が強いが限りなく常識的な人間で、賢吾の中では限りなく最高評価に近いものがつけられていた。最近では教室だけでなく色々と場所を変えたりもしていたりするのだが、それがどうかしたのだろうか。


「その……彼の好きな食べ物って、知ってる?」


――思わず、目が丸くなった。つい先程まで威圧的な態度を崩さなかった彼女が、ほんのりと頬を赤らめている。視線は床に注がれ、胸の前で組まれていた腕は解いて指先を落ち着きなく擦り合わせている。あからさまな変化に首を傾げつつ、質問の答えを考えた。

そもそもいつも中身のある話などほとんどしていないのだ。仗助と億泰が騒ぎ、康一がそれを宥め、自分は傍観に徹するか時折相槌を打つ。話の大部分を聞き流しているのがまさかこんなところで仇になるとは思わなかった。辛うじて残っていた記憶をなんとか引っ張り出して「自信はないけど」と前置きしてから答えた。


「和食より洋食が好きだ、と言っていた気がする。美味しいものであれば何でも構わない、とも。好き嫌いは無いようだけど」

「……そう!ありがとう、十分よ」


彼女は満足そうに頷くと、すぐに表情をきりっとしたものに戻し髪を翻して席に戻っていった。彼女の名前は何だったか、とクラス名簿を思い出しているうちに億泰が戻ってきて「宿題忘れたやばい」と騒ぎ出したので、そのこともすっかり忘れてしまった。


――その数日後、当の康一から相談されるまでは思い出すこともなかったのだ。



放課後、プールサイドに集まり、康一に異常な執着を見せているという女子生徒の話を聞く。名前は山岸由花子。その名前と外見の特徴を聞いたところで、賢吾は彼女らしき生徒に質問されたことを思い出した。


「彼女……山岸さんは僕と同じクラスだ。そういえばこの間、彼女から広瀬くんについて質問されたよ」

「ええッ!?い、一体何を聞かれたの…?」

「好きな食べ物は何か、と。……そうか、あれは広瀬くんへの好意に基づいた質問だったのか」

「オイオイ辰沼〜、女子が男子の好きな食いモン聞くとかよォ……あからさますぎンだろ!何で気付かねーかなぁーっ」

「羨ましすぎるぜ康一ィ!!女子から手作り弁当貰うとか……!」

「いや重箱は気合いが入りすぎなんじゃないだろうか」

「そういう問題じゃないよー!巻き込まれちゃった女子もいるみたいだし、早く何とかしないと……!」


実際に、笑い事では済まされなくなってきている。山岸由花子の嫉妬により、既に一人の女子生徒が髪を燃やされるという被害に遭っている。通りがかった仗助と億泰が助けたため命に関わるような事態にはならなかったが、もし彼らがいなかったらと思うとぞっとする。

とりあえず、康一を嫌ってくれるよう幾つか策を講じるという結論に至ってその時は解散した。休み時間もなるべくこの中の誰かと一緒に行動すること。女子と話している場面を見られたりしたらその生徒が危険だということで、出来る限り接触は避けること。
仗助と億泰が提案した『嫌われるための方法』が聞くだけで不愉快ではあったが、同性の自分でさえそうなのだから異性である山岸由花子はより不快だろうと納得することにした。そのうち心変わりして、康一を諦めてくれれば良いのだ。それまで康一には辛い時期が続くだろうが、我慢してもらうしかない。

その日は、それで解散となった。久々に教師に雑用を頼まれた賢吾は一人で下校した。静かに物を考えられる時間というのは久し振りかもしれない、と小さく溜め息を吐く。雑用の無い日は惰性で途中までは彼らと帰っている。――段々、彼らと行動を共にすることが不快でなくなっていることに賢吾は気付いていた。ぐ、と眉間に皺が寄る。

康一はともかく、仗助も億泰も分かりやすい『不良』だ。外見は完全にアウト、億泰は授業態度も良いとは言えない。思うがままに行動し、その結果がテストという形で表れている。彼の家庭が複雑な状況であるとはいえ、何故そうも自分勝手でいられるのか、思うと胸の内がむかむかしてくる。

自分のしたい服装。自分のしたい行動。どれもこれも信じられない。賢吾にとって『自分』とは『母の理想の息子』だ。そうあるべきだし、そうでなくてはならない。ずっと、そう思っていた。――けれど、もしかしてそれは間違っているのだろうか。誰かに望まれた姿を、行動を、『自分』として生きるのは決して正しいことではないのだろうか。


それは雷に打たれたかのような衝撃だった。考えたこともなかったのだ、『自分』が自由に行動するということなんて。


由花子に康一の好物を聞かれた。それからふと、「自分の好物は何だろうか」と考えた時、何も思い浮かばなかった。騒動によってすっかり忘れていたが、思い出して愕然とする。――自分には、何もないと。

好きなもの。好きなこと。人物の個、パーソナリティを示すものが無い。嫌いなものは沢山思い浮かぶのに、『自分』を示すものはどこにもない。自分は、どこにもいない。いるのは、母の理想として作り上げられた『辰沼賢吾』という呼び名のついたただの人形だ。……では、今ここに存在しているのは。思考を巡らせて途方に暮れているのは、一体何なのだろうか。

考えていても、足は慣れた帰路を歩く。気付けば家に着いていて、いつもと同じ動作を繰り返していた。微笑む母の顔を見ると思考が止まる。頭の奥が痺れているような違和感に襲われて、その日は早めに就寝した。


――翌日、康一は学校に来なかった。



******


康一の家に確認の電話をしたところ、朝から行方がわかっていないという。仗助と億泰は授業を抜け出して捜索に向かうということだった。賢吾は体調不良を理由にそれを断った。
彼の安否は勿論心配だったが、前日から思考がぐるぐると堂々巡りを繰り返していて気分が悪い。
仮病ではないとわかったのか、二人は何も言わなかった。もし学校に康一か由花子が現れたら連絡するとだけ約束して、二人を見送る。いつもなら集中している授業中もどこか上の空で、生まれて初めて教師に注意を受けた。――ショックだった。

放課後、様子のおかしい賢吾を見兼ねた担任は雑用をいいつけることもなく早く帰るようにと学校から送り出した。ちっとも進展しない「自分とは一体何なのか」という思考にいい加減うんざりしていると、控えめなクラクションが耳に入る。振り返れば、ゆっくりと近付いてくる車の運転席の窓から、承太郎が顔を出していた。


「……空条さん」


正直に言って、今一番会いたくない人物だった。先日は捨て台詞を吐いて逃げるように帰ってしまったし、何とも気まずい。目を逸らすと、バタンという音。視界が暗くなったので顔を上げてみれば、目の前に承太郎が立っていた。
外国の血が入っているらしい承太郎は、賢吾が知る中でも一番の長身だ。ただでさえ凄い迫力が、正面に立たれると倍増する。思わず後退りすると、心底不思議そうな顔をされた。首を傾げたいのはこちらである。


「仗助達から話は聞いた。康一くんは無事だ」

「そう、ですか。良かった」

「だが、二人ともお前を心配していた。様子がおかしい、と」

「……え」

「確かに、調子は悪そうだ。この間の威勢は何処へ行った?」


からかうような口調だ。この男、仗助の話から連想するような英雄じみた人物ではない。もっと性質が悪い、嫌な男だ。
見上げる目つきが鋭くなる。ほぼ睨み付けるようにしてみれば、何故か満足気な顔をされた。……本当に、訳がわからない人物である。


「何か悩んでいるようだな。話してみろ」

「……何で、あんたに。関係ないでしょう」

「話す相手なんぞ他にいないだろう。仗助は論外、億泰では答えが出ない。康一くんは事件に巻き込まれたばかりで疲れている。
幸い、今からなら時間がある。他言はしないから安心しろ」


そう言って、承太郎は賢吾の返事を待たずにさっさと車に乗り込んでしまった。賢吾が続いて乗ってくることをまるで疑っていない迅速さだ。少し苛ついたが、それ以上に堂々巡りの思考を何とかしたいという気持ちの方が強い。

賢吾は唇を噛んで、後部座席に乗り込む。ミラーに映った承太郎は、唇の端をほんの少し上げてみせた。――優越感を感じさせるような、意地の悪い笑みだった。







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