■ 15



数日後の放課後、賢吾は教室を出たところで仗助に呼び止められた。

いつもならば教師に雑用を頼まれるため遅くなるのだが、最近は仗助や億泰とつるんでいる(あくまでも一方的にであると主張している)ことを彼らも知っているらしく、早く帰ることの出来る日が増えてきていた。
賢吾としては一長一短である。あまり家にいたくないという本音もあれば、くだらない用事に時間を割くのも勿体ない。
特に今日は億泰が欠席だったため静かな一日だったのだ。億泰のいない教室に仗助は来ない。仗助が来なければ康一も来ない。何となく、違和感のようなものを感じたが――恐らく、気のせいだろう。


廊下に人影はまばらではあるものの、正直言って彼と会話する姿を多くの人間に見られたくはない。顔を顰めていると、仗助は大きく溜め息を吐いた。


「あのなァ、オレだって承太郎さんからの伝言がなきゃわざわざてめーに話しかけたりしねーっつーの」

「……空条さんが?」

「おう。億泰の兄貴がよー、意識が戻ったんだと。今日アイツ休みだろ?見舞いに行ってんだよ」


成程、と小さく呟く。偶然とはいえ、自分のスタンドが人の命を救ったのだ。容体が気にならなかったといえば嘘になる。素直に「良かったな」と返せば、仗助が意外そうな顔をした。


「……何だよ。僕が人を心配するのがそんなに意外か」

「あー……まあなァ。だって億泰の兄貴だぜ?見た目なんかおめー的に完全アウトだしよ」

「僕は彼を知らないからな。見たといっても、その……」


思い出すと未だに吐き気がする。電線に引っかかった男の姿。肌が赤く焼け、所々黒く焦げて煙を上げていた。その後『リザード・テイル』によってどこまでのダメージが肩代わりされたかは知らないが、意識を取り戻したということはそれなりに頑張ってくれたのだろう。『スタンド』の新しい一面を知ることが出来たという点においても、この件は無視することが出来ないのだ。


「で、本題なんだけどよォ。見舞いに来ないかって」

「僕が?」

「そーそー。さっき電話したら億泰も騒いでてよー、改めて礼が言いたいから来てくれってよ」

「……だって、僕が助けたって言ったって偶然だろう。そんなのは、困る」


本当にただの偶然だったのだ。通りがかって、何となく気になったから。それだけの理由でこっそり首を突っ込んだ結果、たまたま自分の『スタンド』が役に立った。自分は何もしていないに等しいのだから、感謝されても困る。――なにより、そういうことは慣れていない。


「優等生サマは難しく考えすぎなんじゃねーの?億泰は大したこと考えてねえぞ」

「それは知ってる」

「……ひょっとして照れてンのか?おいおい何だよちったぁ可愛げあるじゃねえかよォ〜!」

「――そんなわけあるかッ!いい加減にしろよこのド底辺!まともに制服も着られない癖に偉そうな口を叩くなッ!」

「バッカ野郎これはオシャレに決まってンだろ陰険メガネ!あーさっきの気のせいだわオレがどうかしてた!」


ケッ、と悪態を吐き、仗助はポケットから折りたたんだ紙を取り出して「ほらよ」と放ってきた。開けてみると、病院の名前と部屋番号らしき数字が書いてある。


「とっとと行っちまえよ。しつこいぜェ〜億泰は」

「……知ってる。余計なお世話だ、馬鹿」


ぐっと眉間の皺を深くして、賢吾は仗助に背を向けて歩き出した。あの様子だと、恐らく病院に行くのだろう。何せ億泰のしつこさ――良く言えば義理堅さ――を、彼は身を以て知っている。あの事件以降、どれだけ適当にあしらわれようが賢吾の周りで騒いでいるのだから相当なものだ。

億泰は深く考えずに賢吾と交流を深めているようだが、仗助にしてみれば意外も意外だった。賢吾の不良嫌いは有名だったし、自分の知る限りでは付き合いというものを一切しない男だった。
それが億泰に根負けした形になったからか、自分とも会話が出来るようになっている。外見だけではなく、人の内面を見るようになってきたということなのだろうか。カウンセラーや心理学者でもない仗助にはわからないが、何かしらの変化が起きているような気がするのだ。


「――ま、どーでもいいけどよォ。物好きだよなァ億泰も」


さてこの後はどうしようか、康一でも誘って町に繰り出そうか。

平和な放課後に想いを馳せる仗助が『スタンド使い』に絡まれたのは、このすぐ後であった。



******



ぶどうヶ丘総合病院。メモに書いてあったのは、ここの一室だった。

誰かを見舞うだなんて初めてのことで、妙に緊張する。メモを片手に病院に入り、受付で自分の名前と億泰の兄――名前を知らなかったため「虹村さん」と――告げて、許可証を首に提げてエレベーターに乗る。真っ白なリノリウムの床に蛍光灯の光が反射して目に痛い。静まり返った廊下には自分以外人影はない。心細い、とは認めたくなかった。

少し歩いて角を曲がると、何やら厳重に警護されている部屋があった。スーツを着た男が二人、ドアの両脇に立っている。部屋の並びからして目的地はそこなのだが、非常に近寄りたくない。角のあたりで尻込みしていると、あっさりと見つかって声をかけられた。肩がびくりと跳ねる。


「辰沼賢吾様ですか?」

「は、はい」

「空条様からお話は伺っております。中へどうぞ」


恭しく先導されてひどく落ち着かない気分だった。大体「空条様」ってどういうことだ。只者ではないだろうとは思っていたが、明らかに何かしらの権力を持っている。男の胸元には「SPW」とロゴの入ったバッジがつけられていた。スピードワゴン財団といえば、確か海外に拠点を置く有名企業だったように記憶している。空条承太郎は、財団に対して何かしらの影響力を持っているのだ。増々怪しい。帰ったら調べてみようと心に決めつつ、賢吾は病室へと足を踏み入れた。


「おっ、賢吾!来てくれたのかよォ〜!」

「……お前が来いって言ったんだろう」

「オレだけじゃなくって兄貴もだぜェー、礼がしたいんだってよ」


広い病室だった。窓際に置かれた広いベッドに、誰かが横たわっている。億泰は傍らの椅子に腰かけていたようで、立ち上がる際にがたがたと音をたてた。


「――お前が辰沼賢吾か」


掠れた声が響く。ベッドの上の男が、首だけを動かして賢吾を見ていた。ごくりと唾を飲んで近寄り、視線の先に立つ。男は包帯に塗れていた。その隙間を縫うように沢山のチューブやら何やらが繋がれ、規則的な電子音を響かせている。部屋の奥からパイプ椅子を持ってきた億泰が、賢吾の横に広げて置いた。ありがたく座って、改めて男に向き直る。


「……はい。その、意識が戻って、良かったですね――ええと、」

「虹村形兆だ。弟が迷惑をかけている」

「迷惑かけてんの確定かよォ……」

「まあ、否定はしません」

「マジで!?」


騒ぎ出す億泰に、見舞いの品として持ってきた小さい花束を渡す。花瓶ってあったっけなァと席を外す彼を横目で見送り、形兆に視線を戻した。


「――何故助けた」


賢吾と視線を合わせず、どこか違う場所を見詰めながら形兆が呟く。「偶然です」と返すと、険しい表情をされた。しかし、事実だ。


「あいつが……虹村がどのように僕のことを話しているかは知りませんが、僕は故意にあなたを助けようとしたわけじゃない。そういう風に見られるのは――正直言って迷惑です。
僕は、そんな――」


形兆の、回復しきっていないはずなのに強い視線が賢吾を射抜く。こういう人物は苦手だった。確固たる意志を持った、強い人間は。
あの空条承太郎もそうだ。自分の為すことには絶対の理由があるのだと雰囲気が語っている男。――そういう人間と相対すると、自分がひどく惨めに見えるから、嫌いだった。

徐々に目線を下げ、終いには俯いてしまった賢吾を形兆はじっと見つめている。視線が痛い。億泰が花瓶を探しているのであろう雑音が、やたらと大きく聞こえる。
膝の上で握った拳がぎゅうと音をたてた時、圧し掛かるような視線がふっと消えた。ゆっくりと顔を上げると、形兆は窓の外を眺めていた。


「億泰の奴が英雄みてえに騒ぐからどんなご大層な奴かと思えば――ただのガキじゃねえか」

「……は?」

「お望み通り、借りだのなんだのはもう言わねえ。どう思おうがこっちの勝手にさせてもらう」

「あの、虹村さん」

「形兆でいい。億泰と被るだろうが」

「え――あの」

「億泰ッ!見送りしてけ!」


いつの間にか話が終わっていて、帰ることになっている。元より長居する気はなかったが、まったく状況についていけない。

花瓶を持って走ってきた億泰が慌てた様子で、それでも慎重に花瓶を窓際に起き、「何だよもう帰っちまうのかよォ」と唇を尖らせた。


「これ以上話すことはない。とっとと帰れ」

「悪ィな賢吾、兄貴いつも機嫌悪ィんだよ」

「いや……」

「おれの機嫌が悪いのは半分以上てめえのせいだぞ億泰ッ!てめえも帰れ!」

「えッ!?」


――結局、二人とも追い出されるような形で病院を後にした。形兆の言葉の意味を考えて沈黙を続ける賢吾とは対照的に、億泰は鼻歌を歌っている。
夕日に照らされた家々の間をゆっくりと並んで歩く。そういえば、こうして誰かと並んで帰るのは初めてかもしれない。そう思った時、鼻歌が止んだ。


「なー賢吾」

「……何だよ」

「兄貴が何言ったかとか、おめーがどう思ってるかとか知らねえけどよー……マジでありがとうなァ」


視線を上げると、億泰がいつになく真剣な顔をしているのが見えた。真っ直ぐ前を向くその横顔は、夕日で赤く染まっている。


「オレ、ずっと兄貴の言うこと聞いて生きてきたからよォ……それじゃダメで、自分で決めてかなきゃいけねーんだってあの時思ったけど……
そんなことより、兄貴は家族だからよォ」


照れ臭そうに鼻を掻きながら、数歩先に進んだ億泰は振り返ってにっかりと笑う。下心も何もない、純粋に『感謝』だけを映したような笑顔だった。


「いっくら言っても足りねーし、おめーもそのまんま受け取っちゃくれねーだろうからさァ。オレ、おめーに何かあったらぜってー助けるって決めたわ」

「……は?」

「おめーはよォ、偶然だろーが何だろーが兄貴だけじゃなくてオレのことも助けてくれたんだよなァ。おめーが何と言おうと『そう』なんだよなァ」

「い、意味がわからない。そういうのは迷惑だって……」

「うるせーなァ〜!つーかダチなんだからそんくらいさせろっつーんだよォ!」

「………………はっ!?」


言いたいことは全て言い終えたのか、鼻歌を再開して億泰はさっさと歩き出す。暫く硬直していた賢吾も、慌てて後を追って走った。


「ちょ……お前っ、何言って、」

「ンだようるせーなァ、小難しいこと言われたってオレわかんねーっつーの」

「ぼ、僕の方がわからない……!」

「おッ、賢吾も実はバカなんじゃね?ギャハハッおめーにもわかんねーことあるんだなァ〜」

「お前にだけはッ!お前にだけは馬鹿と言われたくないッ!!撤回しろ虹村ァアアア!!」


静かな住宅地に、二人の声はよく響き渡った。

それを目撃したぶどうヶ丘高校の生徒によって翌日には「あの虹村と辰沼が一緒に下校してた」という噂が広まり、賢吾の胃痛の種となるのだが、当人は知る由もなかった。




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