■ 13


何かを思い出したのか、仗助の顔が苦しげに歪み、そのまま俯く。

これで、二人の間には『繋がり』が出来てしまった。賢吾が何よりも嫌っていた不良という人種と。胃がむかむかとして、頭の中心が燃えるように熱い。――屈辱だった。
しかしそれ以上に恐怖が勝る。死にたくない、痛いのは嫌だ。平穏に暮らしたい。何も随時共に行動しろという訳ではないし、何事も起きなければいいだけの話だ。幸い、自分には『リザード・テイル』がいる。そうそう簡単に死ぬことはないだろう。

「……まあ、頭には留めておきますよ。もういいでしょう?帰らせてもらいます」


三十分にも満たない会話だった。これくらいなら、担任の手伝いをしていたと言えば許容範囲内だろう。腕時計をちらりと見て安堵の溜め息を吐き、踵を返した、その時。


「賢吾」


呼びとめたのは、承太郎だった。つい先程初めて会った筈なのに、いきなり馴れ馴れしく名前で呼んでくるとは……。やはり不良の身内だ、と顔を顰める。そんな賢吾にお構いなしに、承太郎はじっと見つめてくる。


「――その首はどうした?」

「ッ!!」


咄嗟に、襟の上から首を押さえる。そこは昨晩食い込んだ母の爪によって出血していた。ぐるりと周るようにしてついた痕を隠すべく包帯を巻いていたのだが、シャツも学ランもきっちり留めているため周囲からは気付かれないと思っていた。しかし、何故か気付かれてしまっている。


「話している時、何度か触っていただろう。無意識だったんだろうが……。
怪我をしているようなら仗助に治してもらったらどうだ?」


――何も知らない癖に、と思った。


何も知らない癖に。母の気に障るようなことをしたら痛い目を見るのは僕なのに。何も知らない癖に。僕は「完璧」であらねばならない。
成績優秀で、教師の覚えも良く、品行方正で。彼女の「息子」に相応しい存在でなければならないのに。
不快だった。東方仗助も、虹村億泰も、この空条承太郎という男も。好き勝手に自分達の都合を押し付けてくる癖に呑気に笑っている。

自分は、こんなにも。


「あんたには関係ない……!」


これ以上考えてはいけない、と本能的に悟った。
これ以上考えたら、今まで築き上げてきたものが全て崩壊してしまう。確信できる。そんな予感がした。


背後で何事か叫んでいる仗助や億泰の声も、承太郎の真っ直ぐな視線も煩わしくて、賢吾は振り向くことなくその場を後にした。



***




「何なんスかねえあいつのあの態度ッ!失礼にも程がありますよッ!」


ストローを噛みながら憤慨する仗助と、ケーキに夢中な億泰。承太郎は無表情のまま逃げるように去っていった賢吾の背中を見ていたが、ふっと唇の端を上げてみせた。先程の笑みが余裕を感じさせる笑みだとしたら、今のは「にやり」と効果音がつきそうな、明らかに何かを含んだものだ。

それを目撃してしまった仗助はごくりと唾を飲む。何だか今日の承太郎さんは機嫌がいいぞ、と訝しむがその理由がわからない。新たな『スタンド使い』を見つけられたからだろうか。特に争うこともなく話が出来たというのは、自分が知る限り初めてだ。しかし、理由としては些か弱い気もする。


「あのー……どうしたんスか?辰沼、何か面白いこと言ってましたっけ……?」

「いや……友人を思い出して、な」

「友達ッスか?」


この年上の甥の、友人。浮世離れしているというか、色々と超越している印象のあるこの男にも友人がいるのか、と少し失礼な考えが頭をよぎる。短い付き合いだが、承太郎は自分にも他人にも厳しい男だということは分かっている。そんな彼が「友人」だと認め、隣に立つことを許すほどの人間とはいったいどんな人物なのだろうか。

湧き上がってくる好奇心のまま、仗助は問うた。「どんな人なんですか?」と。


承太郎は目を伏せて、彼には珍しく躊躇するように唇を震わせた。仗助は目を瞠る。ひょっとして、聞いてはいけないことを聞いてしまったのか。慌てて先の質問を撤回しようとするが、承太郎は左右に緩く首を振った。


「十年前に……色々とあってな。その時の仲間に、似ていた。気取ったフリしてやがるが、腹の中はそれどころじゃねえ筈だぜ」

「へえー……」

「さっきのでボロが出たが……恐らく家に何かあるな。もっとも、そこまで首を突っ込むわけにはいかないが」


あいつも家族と何かあったって言ってたな、と呟く承太郎。その声に憧憬のような、過去を懐かしむ色を察知する。――もしかして、その友人は。


「あ、の。その人は、今何してるんですかね……?」


ひりひりと喉が渇く。目の前のアイスコーヒーのグラスに触れながら、仗助はそれでも踏み込んだ。胸の内に生まれた不安を取り除いて欲しかった。杞憂であったら、どれだけいいかと。
視線の先で、承太郎はふっと空を見上げる。抜けるような青空だ。そして、目を細め、今まさにその光景を見ているのだと言わんばかりの顔をした。その表情から、彼にとって十年前の出来事が今も尚色褪せないものとして記憶されているのだとわかる。


――どれほど時間が経っただろうか。恐らくそれほどでもない筈だが、仗助にとっては何時間にも感じられた。実際は、隣の億泰が未だにケーキを食べていることからして数分も経っていないだろう。
重い沈黙の後、承太郎は無言で立ち上がる。不快な気分にさせてしまったかと謝り倒す仗助に「いや、」と断って、自然な動作で伝票を持って去っていった。


「あれ、承太郎さんどうしたんだろうなァ」

「やッ……やっちまった……!オレはなんつーことを……!」



そんな高校生二人の会話も知らず、承太郎は少し離れた場所に駐車していた車に乗り込み、エンジンをかけた。
思い出す。乾いた空気と熱い砂。抜けるように青い空。くだらないことで笑い合った。許せない悪があった。しかし、何よりも満ち足りた五十日間だった。


けれど、どうしても、脳裏に焼き付いて離れないのは、







――地面を濡らす真っ赤な血と、白く冷えたまま投げ出された、友人の身体だった。





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