ままごとあそび

〈あり得ないものの例〉
魚の涙。
海月の骨。
蜂の心臓。
幽霊の影。


 クダリは大きな鏡の前に座っていた。映る偶像は息をするように微笑み、クダリは笑ってはいなかった。

「ねえクダリ」
 鏡の中の彼はゆぅるり目を閉じた。
「なんだいクダリ」
 鏡の外の彼は帽子を外して鏡に額を押し付けた。

 彼らは同一人物であり、そうしてひどく別人であった。

「きっとクダリはもうぼくなしでは生きてゆかれないね」
「そうだね。いやきっとそうだ。そうに違いない。でも、僕をこんなにしてしまったのは君だろう?」
「そう。ぼく。嫌いになった?」
「いや。なるはずない。大好き」

 それならよかった。クダリは笑った。
 なっても君が呪うだろう。クダリは溜息を吐いた。

 鏡のおまじない。というものをご存知だろうか。
 深夜に鏡の前で秘密の呪文を唱えると自分の影に会うことが出来る。という類のちょっとしたお遊びである。
 合わせ鏡の鳥かごや三面鏡の無限迷宮のように厳格な手続きを踏まなくてもできるこのおまじないは、子供たちの間で少しずつ姿を変え噂され続けた。
 今までにも興味を持ってやってみた子供はやはりいたが、大事な何かが足りずに成功はしなかった。
 クダリもその例に漏れず小さじ一杯のスリルを片手に真夜中の鏡の前に立った。無論。成功する予定は無かった。

 ズルリ。足元から一気に血が抜けていく時のような気持ちの悪い浮遊感と、自分のはずなのに顔は確かに同じなのに絶対的に違う違和感を伴う誰か。鏡に逃げた、自分の影。

 まさか。ありえない。嘘だ。ぐるぐると忙しなく回る頭に叩き込むように鏡が笑った。
「こんばんは。クダリ」


 クダリはもう一人ではいられなくなった。


「クダリが逃げてしまったせいでもう僕はどこにも逃げられなくなってしまったよ」
「それは嫌なことかしら。ぼくは無理だけどクダリは嫌なら鏡を叩き割っておまじないを終わらせればいいのに」
「そんなこと、僕にできると思うかい?」
「きっとできないだろうね。だってきみはいつもぼくと一緒にいるもの。二人になった時からずっと。鏡を手放さずに」
「それは君のかけた呪いだろう?」
「それは言いがかりだよクダリ。だってぼくがお願いしたのは」
 ずっと一緒にいてね。だったもの。影に戻っていつもきみのそばにって。どうしてこんなことにしちゃったの。

 クダリは笑ったまま言う。それ以外の表情は、まるでクダリに置いてきてしまったようだった。

「僕のこと、嫌いになったかい?」
「そんなことない。だいすき」

 それならいいじゃないか。クダリはやっと笑った。
 だってどうせきみが許してくれないもの。クダリは笑ったままだった。


〈あり得ないものの例〉
魚の涙。
海月の骨。
蜂の心臓。
幽霊の影。
水底の対岸。




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テーマ「人外ファンタジー」
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