インザクローゼット

彼はどうやらその心臓に小鳥を飼っている様でした。


ゆぅるり。不機嫌に細められた見事に青いその目でゆったりと彼、インゴ様は周囲を睨めつけられました。

初対面でありますがわたくしが何か悪い事をしてしまったのか。必死に考えるわたくしにどこか申し訳なさそうに(けれど目元は厳しいまま)インゴ様は仰られました。

曰く、初めて会う人と話すのが苦手なのだと。
いつもいつも心臓が忙しなく動いて、顔が赤くなって頭が真っ白になってしまうのだと。

そうたどたどしく告げる彼のお顔はそれはもうよぅく熟れた林檎の様に赤く染まっておりました。

とくとくと忙しく初対面の喜びを歌う彼の心臓は、さながら四角く切り取られた青空に思いを馳せる小さな小さな小鳥の様だと、わたくしは思ったのです。


彼はどうやらその舌に少女を飼っている様でした。


最早クダリの私物と化しているエスプレッソマシーンに豆と水をマグ二杯分。そして重たくなったマグを慎重に運んで活字と追いかけっこをする彼の前へ。

ふわり。インスタントのそれとはまだ違う苦味を連れた香ばしい香りが漂いました。

「どうぞ」

湯気を吐き出すそれをインゴ様に手渡すと、彼は目元口元を緩ませてすこぉし笑まれて、それから、どこか恥ずかしそうに言われました。

「お砂糖をいただけませんか」


お砂糖を二つ入れた甘いコーヒーを一口飲んで彼は言いました。

「似合わないとわかってはいるのです。決して飲めない訳ではないのです」

長い長い、髪と揃いの色の睫毛をゆるり。瞬かせて続けます。

「けれど甘いと、どうしても幸せになるのです。お砂糖はきっと魔法だと思うのです」

笑いますか。

そう言った彼の表情は、内緒の告白をした幼子のそれの様でした。

笑いませんよ。

わたくしは返します。
簡単に時間と共に溶けていってしまうお砂糖の魔法はけれど、きっと彼の美しい青い目にきらきらしく写るのでしょう。

魔法を信じる彼の舌はまるで、シンデレラに焦がれ白雪姫に憧れる少女の様だと、わたくしは思ったのです。


彼はどうやらその心に蛇を飼っている様でした。


ひっ。押し潰した様な引きつったその悲鳴は確かに彼の喉から聞こえました。

音と色彩の洪水、或いは混ざり混ざったにおいの坩堝。きっとユノーヴァにはないであろうイッシュ特有のこの通勤ラッシュに彼は怯えているようでありました。

蒸し暑くどこか暴力的ですらある、けれども淡々と事務的に、いっそ機械的に発生するこれはわたくしたち現地の者はもう随分と慣れたものですが外つ国からいらした彼にはそれこそ悪夢のような恐怖すら伴っているのでしょう。

かたり。彼の腕が震え、目が大きく見開かれました。そうしてぎろり、雑踏を睨みつけるのです。

きょとり。不安気に揺れるガラス玉を溶かした様なとろりとした青い目は、きっと彼のその怯えて震える心を現しているのでしょう。

けれど確かに威嚇をするその様は。

目先の恐怖に震えて震える牙で、目で、精一杯の虚勢を張って噛みつかんとするその様は、幼く脆弱な蛇の様だと、わたくしは思ったのです。


とくとくと愛らしい小鳥の心臓に、赤く赤く甘い少女の舌と、そうして臆病に狭い視界で世界を睨め付け怯える蛇の心と。

ちぐはぐでつぎはぎの彼は、どうやら天使様である様でした。


わたくしは石造りの箱に天使様を飼っております。




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