少年Aの独白
座長がそいつを連れてきたのは一月と少し前のことだった。
僕は大きな歓楽街にある見世物小屋で舞台の手伝いをしたり男娼をしたりしていた。
どこの街にある歓楽街かは知らない。街の名前も知らない。だって僕はそこで産まれた訳ではないのだ。文字も読めない。だから僕に街の名前を知る術はないし、知らなければいけない理由も別段ない。それでいいのだ。
僕はもともと摩天楼の気配もない片田舎の貧しい農村に産まれた。父親と母親、それから妹が一人いた。
僕たち家族はよく似た顔をしていた。
あの村には近親婚の慣わしがあって、母親は父親の妹だった。
母親は気が触れた様に突然笑い出すことがあった。父親は母親がそうなる度に薄く笑いながら母親の髪を一本一本抜いていた。今から考えるとそれはとてもおかしいことなのだろうけれど、僕にとってはそれが普通だった。
ぼくは元からこんな風だったが妹は違った。妹は知恵遅れの子供だった。
口元が緩いのか半開きの唇の端から唾液を垂らしながら焦点の合わない目でどこかをじっと見ていたり、口も利けないのに何か唸りながら壁に頭をぶつけたり。兎に角意味の分からないことをしていた。
僕はそれを見ていると馬鹿な犬か猫かを見ている気持ちになって、とても気分がよいのだ。僕は妹のことを大切に思っていた。
僕が売られたのは僕が七つになってからだった。
人買いの男たちが村に来て、父親が男たちと何やら話して、父親が何か紙に書きつけて、父親が男たちから何か受け取って、そうして僕は売られた。
売られることに特別何か思うことはなかったが、僕がいなくなることに対し妹が寂しがったりしないかどうかがひどく気がかりだった。
妹も連れて行くことは出来ないかと男たちに聞いたが、必要なのは少年だけだと言われてしまい、それきりだった。
この歓楽街に来たのはそれからだ。見たこともない背の高い建物や、目潰しを目的にしているのかと思う位の色彩の海。それらにすっかり酔ってしまい顔色を悪くした僕が連れてこられたのがこの見世物小屋だった。
それからは代わり映えのない日々が続く。初めて客をとった日のことも初めて人の死ぬのを見た日のことも煤けてしまってもう色すらない。
色味のない日々に絵の具をさしたのは、座長が連れてきたそいつだった。
清潔な服を着ていて、髪もきちんと梳かされているのに、どこか薄暗い何かを感じさせるその子供は、ひどく自分のよく知った誰かを思い起こさせた。果たして誰だったのか。
思いのほか直ぐ答えは出た。いつか置き去りにしてしまった妹だった。
どこを見ているのか分からない目も、言葉を発しない口も妹そっくりだった。
程なくして僕はそいつの世話係になった。
驚いたことにそいつはトイレの使い方も食器の使い方も分からないようだった。果たしてこいつは今までどうやって生きてきたのか。
カリカリと金釘をかじる小さなけだものを見やりながら僕は笑う。どうしてか大変機嫌がよかった。
そいつは本当に何も出来ないようだった。服の着方も分からないのか布地に噛み付いて穴を開けながら首を傾げている様は何かの小動物を思わせた。僕が手を焼いてやらないとさっぱり何も出来ないそいつはまるで僕の妹みたいだと思った。
しばらく時間がたった。何とか一通りの人間らしいことがこなせるようになったそいつは、それでも僕が世話をしてやらなければ駄目な様だった。
僕が守ってあげるから大丈夫だよ。痛いことも苦しいことも何もないよと僕はそいつに言ってあげた。言っていることが分からないのか、そいつは首を傾げて何か赤くて酸っぱい臭いのするものをかじっていた。本当に僕の妹みたいだ。
そいつが初めて舞台に上がる日が来た。いつもより上等な服を着て、首輪で鎖に繋がれてそいつは舞台袖に座っていた。せっかくの上等な服が汚れるからと、僕はそいつを立たせて服についた埃を払ってやった。
頭をなでてやるといつものように首を傾げていた。今回の舞台が終わったら僕はそいつにリボンを買ってやろうと思う。赤い色がいいだろうか。似合うものを選んでやろう。そいつは僕の大切な妹なのだから。
そいつが舞台に引き摺られていった。あんな引き摺り方をして怪我をしないだうか。僕も本当はついて行きたいのだが、僕には僕の仕事がある。
そいつの食べるものを運ぶ係だ。僕がそばにいないから寂しがらないか少し心配だ。
そいつの前に色々なものを積んでいく。ベニヤ板だったりコンクリートブロックだったりさっきのショウで出た生ごみだったり。最後に布を被った大きな包みを持って行く。包みの中身は××××だ。とてもじゃないが僕は食べるどころか直視もしたくない。
最後の包みを置いてそいつに笑いかける。大丈夫、僕は見てるからね。
ひやりとするのにあつくてきゅうにめのまえがあかくなった。そういえばぼくのいもうとのかみはこんないろだっただろうか。ぼくのいもうとはこいつだっただろうか。
あれ?
暗転。