謎のプリンス
02
螺旋階段を駆け下り、辺りを見回す。
薄暗い廊下にはもうもうと埃が立っていて、天井の半分が落ち、辺りには大きな石の塊が散らばっている。
混戦状態のようだ。
誰と誰が戦っているのかを見極めようと目を細めたとき獣のような雄叫びが木霊した。
悠莉は遠目にグレイバックを見つける。
飛び掛かられたハリーが仰向けに倒れたのを煙のような埃の向こうに確かに見た。


(遠すぎる――なにか手は…!)


悠莉ははっと思い至った。
グレイバックを引きつけ階段を駆け上がりながら、彼に対抗する唯一の手段ではないかと感じた呪文がある。
悠莉は杖を掲げ、思いを込め──あらん限りに叫んだ。


「エクスペクト・パトローナム!」


悠莉の杖から噴き出した銀色のもやが動物の形へと変化していく。


(ああ…)


きっと現れてくれると信じていた。
銀色の美しい『豹』が周囲のデスイーターを蹂躙しながらグレイバックへと向かっていく。


(わたしは『恵まれている』…)


パトローナスを出現させることに初めて成功したあの日、スネイプに言われた言葉だ。
悠莉の『幸福な記憶』はスネイプにそう教わってからずっと、『周囲の人々の笑顔』だった。
先程呪文を唱えながら思い浮かべた笑顔は、快活に笑う友人たちのものだけではない。
昨夏よく見た母親の儚げな微笑みも、ダンブルドアの人をいらいらさせるあの笑顔さえ――その裏に秘められた信念を理解した今となっては、悠莉の『幸福な記憶』だ。
パトローナスの豹に襲われ身をよじるグレイバックを、立ち上がったハリーが突き飛ばしたのが見えた。
ハリーは駆け出し、乱闘の中へ消える。
急場はしのいだようだと少し安堵し、自らの周囲に目を配ったとき、悠莉は幾人かのデスイーターが自分を見つめておののいているのを感じ取った。
そして、直感的に悟る。


(ママは、勇敢に戦った)


マルフォイ邸で命を散らした母親は、デスイーターを五人道連れにしたという。
多勢に無勢の状況で――杖すら奪われていた可能性があるが、彼女には攻撃手段があったはずだ。
恐らく『豹』になって立ち向かったに違いない。
それ故に少なくないデスイーターが豹に対して恐怖心を抱いているのだろうと思える。


(…それなら)


悠莉は自分の周囲に散らばる石の中で、特別大きな三つに狙いを定めて杖を振る。
トライウィザード・トーナメントでセドリックが岩を犬へと変化させたように、石は三匹の豹に変わった。
その姿を見た敵味方を問わない人々がどよめく。


(ここからデスイーターたちを追い払って)


「オパグノ!」


悠莉の呪文で豹が一斉に駆け出すと、デスイーターの多くが退却をはじめた。
呪文が飛び交う戦いの音が小さくなっていく。


「ユーリ!」


そのとき土埃と汗と血で汚れたロンが悠莉に駆け寄ってきた。


「無事か!?」
「わたしは大丈夫――」
「こっちに来てくれ、ビルが」


(…ビル!)


蒼白のロンに先導されて駆け足になると、マルフォイに引っ張られながら走っていたときの恐怖がぶり返してきた。
辿りついてすぐ、血だまりに横たわるビルの異変を察する。


「ビル、ビル」


ひざまずき兄を揺するジニーの顔はロンと同じように青白い。
ビルはグレイバックによって顔を酷く切り裂かれていた。
だが、間違いなく生きている。
悠莉がジニーの隣に膝をつき、ビルの傷の具合を確かめはじめてすぐ、背後にマクゴナガルがあらわれた。


「彼を医務室に運びましょう。ここではなにも出来ません。ほかに負傷者は?」


きびきびと言うマクゴナガルこそ満身創痍だったが、周囲を気遣うさまは戦場の指揮官のように見事だ。


「ネビルは私が運びます」


遠くに見えるのは横たわるネビルとそれに寄り添うリーマスだ。


「…あの人は?」


目の端に移った明らかな死体を見て、怖々尋ねた悠莉にはニンファドーラが答える。


「あれはデスイーターだよ。仲間の術で死んだの…。失神していたデスイーターは仲間が連れ帰ったようね」


ニンファドーラはビルを出現させた担架に乗せ浮かばせて歩き出した。


「誰かハリーを見た?」
「スネイプを追って階下へ…」


兄に寄り添うジニーが不安気に周囲に尋ね、担架に乗せられたネビルが弱々しく応じる。


(ハリーは多分大丈夫。スネイプ先生がそう見えなくても守ったはず。でも…)


ハリーがスネイプを攻撃しているかもしれない。
あの身震いを起こさせる憎しみに燃えた瞳を見たあととなっては特にそう思う。
追うべきだろうか?
悠莉は一瞬考えて、内心で首を振る。


(ダメだ、わたしにはなにも出来ない。スネイプ先生、どうにか上手くやってください…)


そう祈るしかない。


「誰も引き止められませんでしたが──恐らく無事だと思います。デスイーターたちは逃亡を優先するはずです。ウィーズリー──ジニー。マダムに診てもらったあと、ポッターを医務室へ連れてきてください。あなたの言うことなら聞くと思います」


ジニーが頷くのを確認してマクゴナガルは大人たちに目を向けた。


「ルーピン、トンクス。全員を医務室へ。私は城内を見て回ります。戦いの音で生徒たちが目を覚ましてしまっていると思いますから」


それぞれに指示してマクゴナガルがいち早く消えた。
悠莉は担架に乗せられ松明に明るく照らされたビルのずたずたの横顔を見つめる。


(わたしがあのタイミングでグレイバックを連れてきてしまったから、不意打ちになってしまった…?)


癒者になることを志望していることを周囲が知っているとはいえ、悠莉はまだ学生だ。
ビルを懸命に治療することは不死鳥の騎士団に敵対する者としての振る舞いではないのだろうし、校医に任せておけばいい案件でもある。
しかし、気にかかる。
人狼に噛まれた場合の対処法はまだ明確には確立していないのだ。


(あっ)


「ロン、寝室に行ってハリーの荷物の中からプリンスの教科書を持ってこれない?」


もしかしたらあの本にマルフォイを切り裂いた呪文の反対呪文が載ってるかもしれない。
ビルはあのときのマルフォイとは違い血を流し続けているわけではないが、スネイプが唱えたあの反対呪文はマルフォイがハナハッカのエキスを飲んだだけで完治したことになんらかの影響を及ぼしたはずだ。


「プリンスの?無理だ、あの教科書はスネイプに見つからないようにハリーが必要の部屋に隠した。まだ取り戻してない」


ロンは一瞬怪訝な顔をしたが、悠莉に対して淀みなく言う。


(隠した…。ホグワーツの人たちが隠したいものを隠してきた場所へ──)


悠莉は少し考えた。
数千数万の品々がひしめきあっていた空間だ。
その上、あの部屋は悠莉が先程盛大にひっくり返してきたばかりだ。


(どこに隠されてるか、見つけるのはハリーにしか無理かも…)


見つかるか見つからないかわからないものを悠長に探している時間はない。
悠莉は自分を見つめるロンに言った。


「わたし、寝室から母の手帳を取ってくる。脱狼薬の作り方が載ってた――なにかの役に立つはず」




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