謎のプリンス
09
ダンブルドアが今、目の前で無防備に立ち尽くしていること。
これは、悠莉にとって予想だにしない事態だった。
闇の印を天文台の塔の真上に打ち上げ、外出したダンブルドアを誘いだすというマルフォイの計画は見事に成功してしまった。

手すりを背にするダンブルドアの背後に、二本の箒が浮かんでいる。
一本はダンブルドアのものに違いない。
そしてもう一本は――。


(ハリー、どこ?)


悠莉は辺りの気配に気を配ったが、なにも感じ取ることができなかった。
そして、箒を目にしたマルフォイも悠莉と同じ感想を持ったらしい。


「ほかに誰かいるのか?」
「こちらこそ聞きたい。これはどういうことじゃ?こんな真夜中にユーリを連れたきみに出会うとは、想像もしておらんかった」


乗り手がわからない箒から注意をそらそうとしているのかもしれない。
ダンブルドアの矢継ぎ早な問いかけにマルフォイは沈黙した。
ダンブルドアはどうにか立っていると表現するのが相応しい憔悴しきった様子だ。
なにかに痛めつけられたあとのように弱々しい。
おそらく、この城から自力で逃れるような力は残っていない。


(わたしがダンブルドア先生を連れだせるんじゃない?箒を使えば――)


城内で唯一逃げ場がないという理由で目指した場所だが、箒が二本もあるとなれば話は別だ。
しかしそれをマルフォイがみすみす見逃すのだろうか?
計画が動き出し、デスイーターが城への侵入を果たし、すぐ下で戦っているというのに。


「先生、マルフォイの手引きで、城内にデスイーターが侵入してます…」


ただでさえ涙ぐんでいたので、悠莉の声は震えている。


「すぐ下で不死鳥の騎士団と戦ってるけど、多分、こちらが劣勢で…」


そのとき、悠莉の涙声をかき消すかのように階下から轟音が響いてきた。


(どうする?デスイーターたちが今にもやってくるかもしれない。スネイプ先生は――)


今夜の出来事はマルフォイが主導した作戦だ。
彼が敵視するスネイプがデスイーター側から作戦の決行を伝達されているとは思えない。
ダンブルドアもスネイプを巡回の人員に充ててはいないだろう。
二重スパイのスネイプは有事にどちらの加勢も出来ない。


(戦いの音も、きっと地下には届いていない…。スネイプ先生は、今なにが起こってるのか、知らない…)


片手をマルフォイに掴まれたまま悠莉は俯いた。
口元に手を当て、大声で泣き叫びそうになるのをなんとか堪えようとするが――震えが止まらない。


(ダンブルドア先生は、マルフォイかスネイプ先生かに殺されないといけない。…そうならなければスネイプ先生が死ぬ)


今夜迎えられるべき結末が悠莉の頭の中に浮かび上がった。
デスイーターたちがこの塔へたどり着くまでに、マルフォイを説得してダンブルドアをホグワーツから連れ出すのだ。
そして、それが無理なら――ここで、マルフォイが彼の手でダンブルドアを殺すしかない。
ダンブルドアの計画通りの未来を実現させるためには、この二つのどちらかを選ぶしかないということを――聡明なダンブルドアは察しているはずだ。


(わたしにはもう、できることがなにもない)


悠莉にはマルフォイを説得できない。
散々試みて、身に染みてわかったことだ。
不用意に口を出して僅かながらでも影響を与えるようなことはもうできない。


(でもこれは、ダンブルドア先生の待ちわびた『機会』…)


『わしがドラコを説得するのは、ドラコがわしより「優位」に立ったときと決めておったのじゃ』


ダンブルドアはつい数刻前に、悠莉に対してそう言った。
今がまさに『そのとき』だろう。
ダンブルドアは杖を失い、かろうじて立っている。
悠莉が崩れるように膝をつくと、マルフォイがそれに気づいて悠莉の手を強く握りしめなおした。


「随分恐ろしい思いをしたと見える…。よければ彼女の手を放してやってはくれぬか」


ダンブルドアはマルフォイにそう願ったが、マルフォイはそれを無視して悠莉の手を握りしめ続けている。


「彼女をどうしようというのかね?ドラコ、きみがユーリを巻き込むとは思わなかった」
「巻き込んだんじゃない。こいつが首を突っ込んできた」


落ち着いた様子のダンブルドアとは好対照に、マルフォイは苛立ち声を荒らげる。


「遠ざけようとしたのにこうなってしまった。…それならもう連れて行くしかない」
「さようか」


マルフォイに手を強く引かれて悠莉はのろのろ立ち上がる。
涙を片手で拭い、幾分明瞭になった視界の先に立っていたダンブルドアは――マルフォイと悠莉を慈しみに満ちた瞳で見つめ返していた。


「その一点において、わしはきみを見誤っておったわけではないようじゃ。…きみは『一番大切なもの』を持って逃げようとその手を握り続けておるのじゃな」
「わかったような口を利かないでくれ」


マルフォイが忌々しげに吐き捨てたが、ダンブルドアの穏やかさは変わらなかった。


「きみが考えているよりも、わしはきみのことをわかっておるよ、ドラコ。きみはヴォルデモートからわしを殺せと命じられておるじゃろう」


繋いだ手から、マルフォイが極度の緊張状態に陥ったことを悠莉は感じ取った。


「それが上手くいかなかったが為に、きみはこの一年で無関係の生徒を二人も殺しかけた」
「知っていたのか」
「知っていたとも。もちろん、きみの殺人計画を阻むべく動いておった。スネイプ先生にきみを止めるよう命じたのはわしじゃ」
「あいつはあんたの味方じゃない。僕の母との約束で動いていて――」
「そう言ったかもしれぬのう。しかし、あのセブルス・スネイプはわしが全幅の信頼を置いておる男じゃ」
「耄碌したのか」


マルフォイが乾いた笑いを漏らした。


「あいつは二重スパイだ。自分の手柄欲しさに僕に援助を申し出ていたんだ。その手には乗らなかったがな」


悠莉はおずおずとマルフォイの様子を窺う。
マルフォイは、口から出す言葉とは対照的な――弱々しい男の子に見えた。


「明日、あいつが目覚めたときには全部終わってる。あいつは僕に比べればまったく無価値の人間になるんだ」
「一意専心取り組んだからには賞賛を欲するのが当然じゃ」


ダンブルドアは静かにそう言って続ける。


「きみは聡明じゃ。わしをも欺いた謎が一つだけ残っておる。ケイティ・ベルにホグズミードでネックレスを授けることも、今宵のわしの外出を知ることもきみには無理――ああ…」


言いかけて、ダンブルドアはなにかに気がついたらしい。
月と印とに照らされる青白い顔でダンブルドアが言った。


「ロスメルタを共犯者にしたのじゃな?」


(マダム・ロスメルタ?)


突然降って湧いた名だった。
ホグズミード村のパブの女主人だ。


「『服従の呪文』にかかっておる彼女になら、毒入り蜂蜜酒を用意すること含めてすべて可能じゃ」
「ようやく気がついたのか?」


マルフォイが得意げに笑うのを無視して、ダンブルドアが問いかける。


「どうやって連絡を取り合っておったのじゃ。ホグワーツからの通信手段はすべて監視されていたはず」
「コインに呪文をかけた」


(あのコイン…。マダム・ロスメルタと繋がってたんだ――多分、出かけていくダンブルドア先生を、彼女が見つけた…)


ドラコ・マルフォイの計画は、悠莉が考えていたものよりずっと大規模に展開していたらしい。
特に、彼がロスメルタに見舞ったという『服従の呪文』は――。


(同類のヒトに対して使った魔法使いは、生涯をアズカバンで過ごすって…)


四年生の時に知ったことを思い出して、悠莉は身震いした。
躊躇いがなかったわけではないだろう。
しかし、マルフォイは『本気』だったのだ。
本気で、アルバス・ダンブルドアを殺害するべく動いていた。


「『穢れた血』がやった方法を真似ることになったのはしゃくだったが――すべて上手くいった」
「わしの前でそのような侮蔑の言葉を使わないでほしいものじゃ」
「今にも僕に殺されるのに、そんなことが気になるのか?」
「気になるのじゃよ。きみの罠にまんまとはまったこの老いぼれにも」


そしてダンブルドアは、長い人差し指で頭上の闇の印を指差した。


「あの印はわしをここにおびき寄せるための罠じゃな?誰も死んではおらぬのじゃろう」
「…誰かが死んだ」


マルフォイの小さな声の返答が、悠莉の頭に大きく響く。


「そっちの誰かだ――血まみれで転がっていたのを見た」


鬱々と沈み込みそうな様子のマルフォイは階下から響いた爆音と叫び声にまた悠莉の手を強く握りなおした。


「どうやらきみはひとりで仕事に取りかからなければならぬ…」


ダンブルドアの身体がぐらりと傾いだ。
崩れるように座り込んだダンブルドアは息も絶え絶えな様子でマルフォイを見上げて言った。


「デスイーターの援護などもはや要らぬじゃろう――わしは杖を失い、自衛の術を持たぬ…」


悠莉はこんなダンブルドアを見たくなかったと思った。
この局面から彼を助け出したい。
しかし、そうするべきではないことを悠莉は知っている。
ずっと繋いだままのマルフォイの手は震えている。
微動だにしないマルフォイに対して――ダンブルドアが優しくささやいた。


「恐ろしくて動けぬのじゃな」
「恐れなどない!」
「そうか。それでもわしは期待してしまう。きみがわしを手に掛け――自分の魂を汚すことを躊躇していると」


そしてダンブルドアが畳みかける。


「ドラコや、きみに人殺しはできない」


一瞬の静寂をマルフォイが激しい口調で破った。
杖を持ち直し、その杖先をまっすぐダンブルドアに向けてだ。


「僕がなにをできるか決められるのは僕だけだ!一年がかりで今あんたの前に立っている…!僕を見くびるな」
「そうじゃな」


悠莉はその一言に、諦めに似たなにかを感じ取る。
目を瞑り、頭を垂れるダンブルドアが『殺されるしかない』と覚悟したように見えた。


(嫌だ、こんなの…)


悠莉は無意識にマルフォイの手を強く握り返した。
半泣きの情けない顔でマルフォイの横顔を見上げる。


(もう本当にダメなの?こうなるしかないの?)


悠莉の口から、言葉は出ていない。
漏れているのは、無意味な呻きのような音だけだ。


「ほとんどすべてがわかっていたというのならあんたが動かなかったのはなぜだ」


マルフォイが発した言葉に悠莉は目を見開く。
今はもう、単純な疑問を口に出すような軽々しい局面ではない。
彼は、この会話を引き延ばしたいのだ。
少しだけでも『猶予』が欲しいと思っているのなら、その『戸惑い』は――悠莉にとっての『希望』だ。


「きみとわしが腹を割って話せるのは、今このときだけであろうと知っておったからじゃよ。きみがわしに杖を突きつけ――心に余裕がある今このときだけだと」


ダンブルドアの落ち着いた低い声は、辺りに染み渡っていくかのようだ。


「きみは確かによくやった。もう強がりなど必要ない。今このときが、『きみの選択肢に』ついて話し合うときじゃ」
「僕の選択肢?そんなものはひとつだけだ。僕はあんたを――」


マルフォイの言葉は続かなかった。
手をつなぐ悠莉でなくともわかっただろう。
もう、杖まで震えている。


「きみの難しい立場はよくわかっておる。そうでなければ、もっと早くにわし自身が動いておった。わしがきみを疑っておること気づかれれば、きみは殺されておったじゃろう――あやつが開心術を使う可能性もなくはない」


マルフォイは、自らを真っすぐ見上げるダンブルドアのブルーの瞳に気圧されたようだ。
唾を呑む動作で、彼の喉仏が上下しているのが見えた。


「しかし、やっときみと話ができる。わしはきみの助けとなれる」
「…できるわけがない、誰にもだ。あの人が、僕にやれと命じた。そうしなければ――殺される…。僕には他に道がない…」
「ドラコ、我らの側に来るのじゃ。我らはきみを匿える。母君も、父君も」


ゆっくりと立ち上がったダンブルドアの堂々たる姿に、悠莉の涙腺が決壊する。


「きみは殺人者ではない――ドラコ、正しき道を選ぶのじゃ」


ついにマルフォイの杖が下がった。
しかし、悠莉は喜ぶことすらできず、恐怖で固まる。
複数人の荒々しい足音が駆け上がってくる音が響いてきた。




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