謎のプリンス
10
(どっち――)


駆け上がってくるのは不死鳥の騎士団か、デスイーターか。
扉を背にして立っていた悠莉は塔の屋上へと躍り出た魔法使いたちに押し飛ばされ、転がる。
もうほとんど握りしめ合うような形になっていたマルフォイの手がついに離れた。


(ああ…)


尻もちをついて見上げた先にフェンリール・グレイバックを含めた四人が立っていた。
階下の戦いはデスイーターたちが勝利したらしい。


「ダンブルドアを追い詰めたぞ!」
「杖なしだ!よくやった、ドラコ!よくやった!」


よく似た顔立ちをした男女がそう叫んではしゃいでいる。


「こんばんは、アミカス。それにアレクト。…後ろに見えるは、フェンリールじゃな?」
「名を知られているとは光栄だ。ダンブルドア、俺に会えて嬉しいか?」
「きみの野蛮な行いがこの耳にも届いているからには――わしはきみをこの城へ踏み入らせるつもりはなかった。今では満月を待たずに襲っておるのじゃろう」


ダンブルドアは静かで冷たい声色だった。
グレイバックの蛮行――間違いなく、彼に襲われ命を落とした少年のことだ。


「子どもが好きでね。柔らかくみずみずしい『肉』がこのホグワーツで俺を待っているんだ。ここに来るのは当然だろう」


上機嫌のグレイバックの長い爪が、肉を割いたあとの血で汚れているのを悠莉は見た。
ダンブルドアは嫌悪を隠さずグレイバックに一瞥をくれたあと、ドラコ・マルフォイに顔を向ける。


「ドラコ、よりにもよってこの者を城へ招待するとは…。ユーリがなぜここにおるのかと訝っておったが――察するところ、追い回されておったのじゃな?彼の鼻がユーリを捕らえるのに役立つと考えたのかね」
「僕が招いたわけじゃない――こいつが来ることは知らなかった」


マルフォイが消え入るように言った。
完璧に挫けてしまった様子で、グレイバックを決して見ようとしていない。
そのときようやく、デスイーターが悠莉の存在に気付いたらしい。


「おや、ユーリ・アシハラ?」


アミカスと呼ばれたデスイーターが品定めするように悠莉を眺めまわした。


「写真で見たのより随分痩せちゃってるわ。ママがいなくなって、ご飯が食べられなかったの?」


嘲りをたっぷり含んだ彼女の発言が見事に悠莉の近況を言い当てていたので悠莉は苛立ち反射的に叫ぶ。


「いなくなってないから!」


母親が最後に寄越したクリスマスカードに、確かにそう書いてあった。
悠莉の態度が気に食わなかったらしいアミカスが進み出ようとするのをもう一人のデスイーターが制止した。
アミカスは自分を制止したデスイーターに醜悪な顔を見せたあと、ぞっとするような笑顔で悠莉に向かって声を張る。


「知らないの?あんたの母親は死んだのよ!無謀にも単身で乗り込んできて、闇の帝王の手を煩わせた!」
「知らなかっただろうさ。さもなきゃこんなに元気に動いてない――」


グレイバックがなにかを思い出し、うんざり顔で続ける。


「悪い知らせだ。キャビネットはこの孫娘が完全粉砕した。校庭を駆けて敷地外まで出なければならん」


それを聞いて、アレクトと呼ばれたデスイーターが悪態をついた。
先程アミカスを制したデスイーターが、今度はアレクトを黙らせる。
どうやら、この四人の中でのリーダー格らしい。


「ドラコ、急げ――それほど時間がないぞ」


冷静だが焦っている様子だ。
それがどうしてなのか、悠莉もすぐ知ることになる。


「連中が階段を封鎖した――レダクト!」


階下から轟音と共に響いてきたこの声に、悠莉の心が躍った。
明らかに不死鳥の騎士団側の魔法使いの声だ。
どうやら、階下の戦いはまだ続いていて――この四人は戦いを抜け出して塔の屋上にやってきただけだ。
背後に障壁を作ってきたらしいが、ここでぐずぐずしていると退路を断たれてしまうと考えているのだろう。


「さあドラコ、早く!」


もはや怒鳴り調子の命令だったが、マルフォイはそれに従わない。
先程のダンブルドアとのやりとりで、彼はもう杖を振る気を失ってしまったはずだ。
ただ、デスイーターたちは青白い顔で俯くマルフォイが怯えきっていると判断したらしい。
グレイバックが牙をむき出しにして言った。


「俺がやる」
「だめだ!我々は命令を受けている!ドラコがやらねばならない!」
「この坊主には無理だ!」


グレイバックがダンブルドアに向かっていこうとするのを見て、悠莉も駆け出した。
想定外の出来事が続き、悠莉たちの計画は完璧に狂っていた。


(マルフォイはもうやらない!このままじゃ、ダンブルドア先生はデスイーターに殺されてしまう…!)


ダンブルドアは二つの選択肢を二つとも潰されてしまったのだ。
グレイバックが仲間のデスイーターと揉み合いになっている内に、悠莉はダンブルドアを後ろ手にかばうことに成功する。


「先生を殺すなら、わたしからにして!」
「お退き!」


アミカスのヒステリックな怒鳴り声が辺りの空気を支配した。
デスイーターたちは一層焦った様子だ。


「どうする?孫娘を傷つけでもすれば一大事だ…」


アレクトが仲間にひそひそと話しかけたそのとき、突如としてこの屋上へ繋がる扉が開いた。
先程とは違い、誰がやってきたのか悠莉はすぐに察する。


(スネイプ先生…!)


セブルス・スネイプの暗い色の瞳が素早く辺りを見回し、最後に悠莉とダンブルドアをじっと見つめる。
スネイプは悟っただろうか。
今夜、今から――彼は『与えられていた任務』を遂行しなくてはならない。
それはスネイプが拒み続けて、最後には苛立ち紛れに了承した任務だ。


「スネイプ、困ったことになった」


アミカスが目と杖で悠莉とダンブルドアをしっかりと捕らえたまま言った。
そのとき、他でもない彼が――スネイプの名をひっそりと呼んだ。


「セブルス…」


ダンブルドアは悠莉をそっと脇に押しやり、覚束ない足取りで数歩進み出る。


「セブルス――頼む――」


その言葉に、それぞれが違う感想を持ったはずだ。
恐らく、マルフォイとデスイーターには弱々しい命乞いに聞こえただろう。
しかし、悠莉にはそれがこの上ない信頼からの言葉だと思えた。
きっと、スネイプもそうだ。


(これが)


自分から少し離れたところに立つダンブルドアの後ろ姿を、呼吸も出来ないまま見つめ続ける。


「アバダ ケダブラ!」


緑の閃光がスネイプの杖先から迸り、ダンブルドアに直撃した。
その身は空中に投げ出され、弧を描きながら手すりの向こう側へ落ちていく。
悠莉はそれを見つめながら、無意識のうちに駆け出し――手すりから上半身を乗り出してダンブルドアの姿を見送る。


(――ダンブルドア先生の運命)


風になびく長い白髪、はためくローブ。
真夜中で、城から漏れる光はない。
アルバス・ダンブルドアの亡骸が暗い地面に向かって遠く小さくなりながら落ちていく。


(…あんなに弱々しくなるまでなにかに痛めつけられて、こんな闇夜に儚く散るのが?)


浮かび上がった疑念を振り払い、悠莉は納得した。
これは、ダンブルドアが望んだ運命だ。
マルフォイの魂は汚れることなく、スネイプはデスイーターたちの前でダンブルドアを殺めたことで闇の陣営において確固たる地位を築いたことだろう。
『破れぬ誓い』の責めを負うことなく生き延びるスネイプには、『やり直しの機会』が残されている。
そして、ダンブルドアは死に至る呪いの壮絶な苦痛から解放された。


悠莉の進むべき道は今――空から差す『闇の印』の緑色の光に照らされている。
母親が死に、ダンブルドアが今逝った。
悠莉のこれからの行いは、この世の誰からも理解されず、褒めてももらえない。


(…『敵になる準備』をしなくちゃ)


乗り出した身を持ち直し、杖を握りなおして――悠莉は背後に振り返った。



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