番外編 微笑作戦*(炎ゴブ-ドラコ視点)01 「リーザ・ツダが魔法界に帰ってきているなんて…。あなた、ご存知でした?」 母上とよく似た容貌のあの女がユーリ・アシハラの手を引いて去っていくのを見届けた母上が、呆然と父上に言った。 「知らなかった。というより記憶の片隅に眠ってしまった存在だったからな、あの女は」 父上は面白いものを見つけたというように小さく笑った。 皮肉な笑い方だ。 「あのリーザ・ツダとかいう女、なにものです?」 アシハラはあの女のことを『Mama』と、幼児語で呼びかけていたからあいつの母親なのだろう。 そうだとすると入学前の夏休み、洋装店で見たアシハラそっくりの成人女性はアシハラの母親ではなかったということになる。 そして、僕はどこかでリーザ・ツダという名前を見た気がする。 訝って尋ねた僕を父上は鼻で笑う。 代わりに小さな声で返したのが母上だ。 「私の従妹です」 その返答に目を見開く。 ユーリ・アシハラが母上の従妹の娘? じゃあアシハラは僕のまたいとこだというのか!? 僕はあいつのことをマグル生まれの外国人だと、今まで信じて疑わなかった。 「私の母、ドゥルーエラには姉がいたのです。リーザは彼女の娘よ」 「ドラコ、あのアシハラとかいう女の子とは親しくしておきなさい」 はあ!? 驚きすぎて声も出せない僕をまた鼻で笑って、父上は歩き出した。 遅れをとらないよう、そのあとを母上と二人で追う。 「父上はなにを…」 「私が教えて差し上げます」 母上は今度こそ本当に小さな声で、僕の耳元で囁いた。 「我が伯母・アストレイアは若かりし頃の闇の帝王に差し出された――」 アストレイア――祖母の姉で、アシハラの祖母だ。 それが、闇の帝王に、差し出された? 「その二人の間に誕生した娘が、リーザ・ツダです」 頭を真横から至近距離でぶん殴られるくらい、そのまま頭を抱えて転げ回ったって許されるくらい。 衝撃的な言葉だ。 それなら、アシハラは――。 「あの小さな女の子がドラコと同級なのでしょう?お父さまは来るべきときに備え万全の策を取られるお心積もりです――」 来るべきとき? 万全の策? 眉をひそめた僕に母上は小さな声で言った。 「つまり、闇の帝王が彼自身の孫娘を気に入る可能性があります」 来るべきとき。 闇の帝王がこの世界に戻ってこられ、再び勢力の頂点に君臨するとき。 『あの人』はこの世界からいなくなってしまったわけではないだろうと、父上はいつも言っていた。 そのとき、彼の孫娘と敵対関係にあるよりは着かず離れずの位置にいたほうがいい? そこまで考えて僕はそれを否定する。 「…あんな到底魔女らしくない容姿の女の子を気に入る?だいたい、どうしてアジア人なんかが――」 「往来で話すには限度のある話題です。家に戻ってからまたお話しましょう」 僕の疑問にそう答えたきり、母上は黙った。 ただでさえワールドカップなどという母上曰く『世俗』な場に連れ出されて機嫌が悪かったのだ。 あの母上の従妹だという女もろくな挨拶を交わさず、両親を無視する形で去っていってしまった。 * 「それで、アシハラの話ですが」 母上は読んでいた本から顔を上げ、僕を訝った。 あの夜、会場で闇の印が上がった。 誰の仕業かはわからない。 闇の帝王の娘だという、リーザ・ツダの仕業かもしれない。 父親の成した勢力のシンボルである仮面をつけ、浮かれ騒ぐデスイーターを罰したかったのだろうと思う。 母上はあの騒動で僕にいろいろなことを説明するという約束を忘れきってしまったらしかった。 「僕が親しくしないといけないかもしれない、あの闇の帝王の孫娘のことです」 「ああ…」 母上は本をテーブルに置き、物憂げに視線を伏せる。 「グリフィンドール生なんです。それと仲良くしろと言われてるのだから、僕はもう少し情報をもらってもいいと思います」 「そうね、ドラコ」 母上と対面する形でソファに腰掛けると、母上は杖を振ってティーセットを空中から取り出した。 ハウスエルフのドビーが我が家を去って以来、細々とした家事は母上の仕事になっているのも、母上の不機嫌に拍車をかけている。 「リーザは私の二つ下のハッフルパフ生でした。私たちは会話したことがほとんどなかった。私の二番目の姉とは懇意にしていたようですが」 母上の一番上の姉・ベラトリックスはデスイーターとしてアズカバンに収監されている。 二番目の姉という人物の話はあまり聞いたことがない。 マグル生まれの魔法使いと駆け落ちで結婚したことで母の生家・ブラック家から勘当されている。 「伯母のアストレイアとも、私は面識がありません。これから話すのは全て周囲から伝え聞いた話です」 母上は淡々と語った。 アストレイアはロジエール兄弟唯一のハッフルパフ生だったらしい。 生き物を下僕にする魔性の持ち主で、祖母の祖母、僕からすれば何代も上の女性がハッフルパフの末裔で同じ体質の持ち主だったという。 「そういえばアシハラも生き物に好かれます」 僕は魔法生物飼育学の一場面や二年生のときの決闘クラブを思い出して言った。 「私も先学期のヒッポグリフの事件の折、どこかで聞いた話だと思いました。お父さまと私でそのことを話し合ったこともあります。まるでアストレイアのようではないかと。興奮したヒッポグリフを身を挺して食い止めるというのは神がかった行為ですから」 祖母・ドゥルーエラはアストレイアを好ましくは思っていなかったようだ。 祖母の祖父と父親がアストレイアをあからさまに贔屓する人だったかららしい。 「とにかく、アストレイアは当時のロジエールの当主の一番のお気に入りで、彼女だけがいろいろなことを許されていたようです。ロジエールの長女ながら卒業後すぐには結婚しなかった。当主はアストレイアに山のように飛び込んでいた縁談を全て蹴っていたのです。彼女は癒者になりたかったから」 「癒者に?」 「ええ。ロンドンの聖マンゴで働いていた。そして彼女は私たちにとって好ましからざるものと深く関わることになります。日本人のマグルの男性です」 そこからのシナリオはこうだ。 アストレイアはマグルの男との結婚の許しを家族に請うた。 いろいろなことを許されてきた彼女は、話せば理解を得られると思っていたらしい。 ロジエール当主は当然そんなことを許すはずもなく、彼女は軟禁生活に入ったという。 「この辺りは曖昧にしか知らされていませんが、アストレイアは軟禁されているときに闇の帝王に差し出され、身篭った。彼がアストレイアを気に入っていたのか、ロジエール側に別の思惑があったのか、私にはわかりません」 「ですが、あの女はツダと言うのでは…?」 ツダはアシハラと同様に聞きなれないファミリーネームだ。 きっと日本のものだろう。 「アストレイアは生き物の助けでロジエール邸から逃れたようです。身篭った状態で。そこからどうしたのか、とにかく日本に逃れたという話です。婚約しようとしていた日本人マグルに愛の妙薬を使ったのかもしれません。リーザは、ツダという日本人の実子ということになっています」 母上によく似た容姿のリーザ・ツダ。 祖母のドゥルーエラと大伯母のアストレイアが似たような容姿の姉妹だったのだろう。 そして、闇の帝王に気に入られたかもしれないアストレイア――。 「おかしくないですか?」 僕は訝って母上を見た。 「ツダが娘でしょう?闇の帝王が孫に気に入るかもしれないという話なら、娘のツダのほうが確実では?少なくともアシハラはただの外国人の女の子に見える」 母上は沈んだ声で切り出した。 「それを説明するにはリーザの話をしなければいけません。リーザはとても有能で、私の在校時代彼女のことを知らない生徒はいなかったと思います。劣等生だらけのハッフルパフに何度も寮杯とクィディッチ杯をもたらしたのがリーザです。彼女は自分の母親と、父をとても誇りに思っていた。リーザはよく両親の自慢話をしていたようです」 「父というのは――」 「もちろん、日本人マグルの養父です。私の学生時代は闇の帝王が活躍していた時代です。…彼女が自分の血筋の事実を知っていればもう少し大人しく生活していたと思います」 「ツダは自分の父親が闇の帝王だと知らなかった?」 「そうです。一部の人々はリーザが闇の帝王の娘だということを知っていましたが、表立ってそれをリーザに指摘するものは一人もいませんでした。ロジエールは日本に去ったアストレイアを一族の恥と、最初からいなかったように振舞っていたので、旧家の機嫌を損ねるのは得策ではないと思っていたのでしょう」 実の父親のことを知らずに育ったリーザ・ツダ。 母上も認める有能な魔女。 そこで僕は思い出した。 リーザ・ツダの名は今世紀最年少のアニメーガスとして変身術の教科書に載っていた。 「事態が急変するのは私が卒業して、リーザが七年生になったときです。母の弟、私たちの共通の叔父、エバン・ロジエールがリーザの養父を殺害します」 ひゅっと息を呑む。 エバン・ロジエールは闇祓いのムーディに殺害された、デスイーターだった僕の大叔父だ。 「どうして――」 「とにかくリーザは有能でした。そして一般にはマグルとの混血の魔女だと思われていた。マグルを父に持つ魔女が純血の魔法使いに引けを取らない、むしろ一歩先んじる成果を出している。魔法力が血に左右などされないと信じられるのは純血を誇る魔法使いにとって苦痛だったのです。エバンは姉と姪を罰したかった」 気持ちはわかるが殺害するとは行き過ぎだ。 「そのすぐあとにアストレイアも闇の帝王との対決の末亡くなりました。リーザはその辺りで自分の本当の父親のことを知り、自暴自棄になった。デスイーターの子女のスリザリン生を多数攻撃し、卒業後姿をくらましたのです。リーザは養父と母親を殺害した闇の勢力をよくは思っていないでしょう。彼女が私たちの側に来ることは生涯ありえないことです」 事実を整理すると、リーザ・ツダは闇の帝王を恨んでいる。 自分を殺そうとした女そっくりのツダを、闇の帝王が気に入ることはまずない。 だからといって、どうして闇の帝王がアシハラを気に入るかもしれないという話題に話が飛躍するんだ? 「アシハラが闇の帝王に気に入られる可能性はない。僕があいつに好意的な態度を取る必要はないですね?」 「あるのよ、ドラコ。早合点はお止めなさい」 母上は眉をきっとあげて僕を睨んだ。 「闇の帝王がどうしてアストレイアに子どもを産ませようと思ったのか、これは誰にもわかりません。愛していたから?きっと違います。母は彼にそういう性質がないだろうと言っていました。彼は苦もなくアストレイアを殺した。良い感情は抱いておらずとも母にとってアストレイアは姉だった。母はアストレイア殺害の折、打撃を受けています。ハッフルパフの末裔の血も引く純血の血筋に魅力を感じた?これも違う、アストレイアはマグルと恋に落ちた愚かな人だった。嫌悪の対象となってもおかしくない、他にも候補者はいたはずです。アストレイアが特別だったというなら、それは生き物を下僕にする魔性です。そしてあの小さな女の子はその体質を受け継いでいる――」 母上は真剣な表情で僕を真正面から見た。 「その体質に魅力を感じるなら、闇の帝王にとってあの女の子は特別な女の子かもしれない。私たちは上手く立ち回らなければなりません。ドラコ、いいですね?」 ← | top | しおりを挟む | → |