小説 | ナノ


次の日。出社した杉元がメールをチェックすると、一斉送信でメールが来ていた。

『歓迎会およびおかえりなさい会のお知らせ』

そう名打たれたメールには、近々本社に戻ってくるアメリカ出向メンバー二人の戻りを祝う歓迎会を開くと書かれている。

「これか、白石が昨日言ってた」

アメリカエリート野郎。

まだ会ったこともないのに、なぜかほんのり芽生える敵意を他所に杉元は宛先を見た。

一斉送信のメールは、杉元や白石が所属する編集部と営業部、そしてデザイン部にも送られている。当然+++もメールを確認するはずだ。

「随分大所帯でやるんだな…」

もしかしたら戻ってくる二人のどちらかがデザイン部に所属していたとか、鶴見の部下だったとか何かしら関係があるのかもしれない。それなら、+++も歓迎会に来るかも…

そんな淡い期待をほんのり抱きつつ、今まで歓送迎会も忘年会も新年会も来たことのない+++が来るはずもないだろうという絶望も同時に抱く。
彼女に直接聞けば話は早いのだがにべもなく断られた時の傷を考えるとやるせないので、杉元はすぐに返信せずにメールを閉じた。


「杉元さん、デザイン部の***さんからお電話です」

仕事中、向かいに座る女性社員が急に+++の名を口にするので、杉元は思わず立ち上がった。

「っえ、!あ、はいっ」

普段は杉元から電話をすることが多いため、+++から杉元に当てての電話は至極珍しいこともあり、杉元は慌ただしく電話を取った。隣では白石がニヤニヤと笑っている。

「は、はい、変わりました杉元です!」

『杉元くんお疲れさま。デザイン部の***です』

「おおおおつかれ様ですっ」

『あのね、杉元くんが担当してる書籍あるでしょ。差し替えデータが来たんだけどこっちにあるソフトでしか開けないファイルなの。もし時間あったら中身確認しに来てくれる?』

「今すぐ行きます!」

『いいよ急がなくて。じゃ、待ってるね〜』

呑気な声で電話を切った+++を他所に、電話一つでこんなにもどぎまぎする己が恥ずかしくて、杉元は白石にからかわれる前にとスマホだけ手にしてフロアを出る。

ついでに、例の歓迎会およびおかえりなさい会に+++も参加するのかどうか、さらっと聞けたら聞いておきたい。
小さな決意を胸に、杉元は足早にデザイン部に向かった。



「おお、早いね」

電話を切ってすぐ、光の速さでやってきた杉元に+++は驚いたような顔をした。

暇ですから、と仕事中にはあるまじき言い訳をしてごまかす杉元をさして気にもせず、+++は己のデスクの隣に椅子を引いて杉元を座らせた。

「これがさっき届いた差し替えデータ。撮って出しだから色合わせないといけなくて」

パソコンの画面を指差しながら説明をする+++の横で、杉元は画面でなく彼女のデスクに視線をすべらせる。

積み重なった校正用紙やデザインの書籍。パソコンの近くには読みやすい字で走り書きされたたくさんの付箋と、なんだかよくわからない謎のキャラクターの小さなフィギュア。

「(このキャラクターが好きなのか)」

「現物見本つけてそれに合わせて補正してもらう予定なの。この特集ページ、全体的に色うるさいから校正2回くらい必要かも」

今度は盗み見るように+++の横顔を見る。

焦げ茶色の瞳にパソコンの画面が反射して見え、長くセパレートした睫毛が揺れる。すっと綺麗なその横顔に、杉元は仕事の話などそっちのけで見惚れていた。

「印刷会社には一応連絡しておいたんだけど」

「(それにしても***さんて、睫毛すげぇ長くて綺麗。唇やわらかそう)」

「……杉元くん…聞いてる?」

「***さん睫毛長いっすね」

ふいに、+++が訝しげな顔をして杉元を見やる。彼が明らかに話を聞いていないことに気付いていたらしい。
我に帰る暇もなく、杉元は何故か思ったことをつい口に出していた。

「睫毛?」

+++はきょとんとした顔をしている。

黙々と作業をしていた他のデザイン部の社員も少々驚いた様子で顔だけ杉元に向けた。

…しまった、場合によってはセクハラじゃねぇか…!

杉元の全身からサァッと血の気が引くのを感じて、すぐさま取り繕うかのように首を振る。

「あ、ち、違…いや、違くはないけど…す、すいません!印刷会社に連絡しときます!」

「もう連絡してあるよ」

「…っあ…あ〜…」

トンチンカンな言葉のおかげで明らかに真剣に聞いてなかったことは+++も気づいている。しかし彼女はクスッと笑って、傍らにあったファイルで軽く杉元の頭を叩いた。

「なんかちょっと褒められたみたいだから許してあげよう。メールのCCに杉元くん入れとくから、そっちでまた確認して。わからなかったら連絡して」

あまりの失態に心臓がバクバクと波打ち顔が熱くなるのを感じる。
いくらなんでもあまりに彼女を見過ぎていたし、本能的なことを口に出してしまった。

+++以外の社員から刺さる視線も痛くて今にも縮こまりそうな杉元を後目に、彼女は特段怒ることもせず笑いながら印刷会社に必要な見本などを封筒に入れていく。

「これ、印刷会社に行く時ついでに渡してくれる?連絡入れてあるから一言言えばわかると思う」

「わかりました。渡しておきます」

「それじゃあよろしくね」

「…***さん」

「ん?」

「すいませんでした」

杉元は仕事中であるのに注意が散漫になってセクハラめいた言葉を呟いてしまったことを素直に謝罪した。+++は意外そうな顔をしたあと、少し背伸びをするようにして杉元の無造作な髪をポンと軽く撫でた。

「疲れてるんじゃない?何事も休み休みが大事だよ」

杉元が仕事に集中していないのは疲れているからだと+++は思っているようで、ねぎらいの言葉とともに柔らかく笑ってからよろしくね、と彼を送り出した。

廊下に出てデザイン部のドアを閉めたところで杉元はしばらく封筒を抱えたまま突っ立っていた。
+++の華奢な手が己の髪を撫でた。まさかこれは、夢だろうか。

自身の髪にそっと触れてみる。思い出すだけでみるみるうちに顔が赤くなるのが自分でもよく分かった。

「っ、マジか…マジか…!」

思わず口元を押さえひとり呟く。

ここまでくれば社内で+++と一番距離が近いのはおそらく自分だ。

結局歓迎会およびおかえりなさい会に参加するか否かは聞けなかったが、妙な確信を得た杉元はドタバタとせわしなく階段を駆け上がった。

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